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【わかってきたぞ】天使に関する備忘録16【悟り・気づき】

 おれだ。前回の続きだ。カバラについてもうちょっとやってみよう。

◆逆境◆

◆無頼◆


知識流出

 学者・商人などとして広く地中海世界や欧州諸国、中近東などで活動していたユダヤ人だが、14世紀頃から風向きが変わって来る。まずフランス王が南フランスのアヴィニョンに教皇庁を据え、1307年には多額のカネをフランス王に貸していたテンプル騎士団を異端として財産を没収した。ついで1315年からは大飢饉が襲来し、1337年からはいわゆる英仏百年戦争が始まり、1348年からは黒死病が到来して膨大な数の人が死に、ユダヤ人は民衆の腹いせに襲撃・虐殺され始めた。王侯貴族は金づるでもあるユダヤ人を庇護したが、聖職者に煽動された民衆の暴動を抑えきれず、14世紀末にはフランスでユダヤ人追放令が発布された。15世紀末にイベリア半島のレコンキスタ(再征服)が完了すると、ユダヤ人やイスラム教徒は国外へ追放された。

 ユダヤ人はドイツやボヘミアを経てポーランド、オスマン帝国など東方へ移住するか、各地のユダヤ人街に隔離されるようになり、あるいはキリスト教に改宗していく。こうしたユダヤ人の移動や改宗によって、彼らが保有していた様々な知識もそれこそ流出(アツィルト)することとなる。

ユダヤ人の移動

 またこの頃、ヨーロッパでは古代ローマやギリシアの文芸・美術・知識などが再発見され、いわゆる「ルネサンス(古代復興)」が始まっていた。1261年にコンスタンティノポリスを奪還して復活した東ローマ帝国では、これに先行してパレオロゴス朝ルネサンスが起きており、14世紀にオスマン帝国の属国に成り下がると多くの知識人がイタリアへ亡命したから、その影響はあるだろう。これにより東ローマ帝国に蓄えられていた多くの古代の知識が西欧へ流入し、新プラトン主義の哲学や魔術ももたらされている。

 ペロポネソス半島における東ローマ帝国の分国・モレアス専制公領で活動していた哲学者ゲオルギオス・ゲミストスは、プラトンになぞらえた「プレトン」という筆名を持ち、プラトンの著作『国家』に基づいた政治を行い、古代ギリシアの神々を復活させるべしとまで主張していた。1439年にはフィレンツェに赴いて新プラトン主義を伝え、のちメディチ家がその影響を受けて「プラトン・アカデミー」と称するサロンを創設することとなる。プレトンやその弟子アルギロプロスの講義を受けたメディチ家の侍医マルシリオ・フィチーノはその筆頭となり、プラトン哲学の書物を翻訳している。

ピコ・デラ・ミランドラ

 彼の弟子ピコ・デラ・ミランドラはユダヤ教のカバラをも学び、これを新プラトン主義やキリスト教と結びつけた。新プラトン主義や錬金術は古代の哲学者ヘルメス・トリスメギストス(ギリシアの神ヘルメスとエジプトの神トートが習合した姿)に由来するとされ、ヘルメス主義とも呼ばれたから、これを「ヘルメス主義カバラ」ともいう。またカバラをキリスト教の教義と結びつけたものを「キリスト教カバラ」という。カバラ思想は新プラトン主義がユダヤ教に入ったものだし、キリスト教の教義もユダヤ教や新プラトン主義と関わりが深いから、いわば先祖返りを起こしたのだ。

 彼は1463年に北イタリアの小領主ミランドラ家の末息子として生まれ、少年の時にボローニャに留学して聖職者としての教育を受けたが、これに飽き足らずフェラーラ大学やパドヴァ大学、パリ大学に遊学してスコラ学やアリストテレス哲学を学び、ラテン語・ギリシア語・ヘブライ語・アラビア語・アラム語に通じた早熟の天才であったという。

 21歳でフィレンツェに赴くとメディチ家当主ロレンツォ・デ・メディチとマルシリオ・フィチーノに出会い、論文を携えて学者たちと議論しようとローマに向かったが、途中のアレッツォでメディチ家の人妻と恋愛事件を起こし、彼女の夫に捕まってペルージャの刑務所にぶち込まれてしまう。ロレンツォの手引きで釈放されたが、彼はしばしペルージャにとどまり、この地でカバラの師匠に出会うことになる。

 その男は古代人っぽくフラウィウス・ミトリダテスと名乗っていたが、本名はグリエルモ・ライモンド・モンカダともサムエル・ベン・ニッシム・アブルファラージともいい、スペインからシチリアを経てイタリアに渡り、キリスト教に改宗したユダヤ人であったという。彼はマイモニデスやアブラフィアほかカバラ文献やラビ文学のたぐいを多数所持しており、ラテン語に翻訳して食いつないでいたが、ピコにその書物を譲り「カバラの神秘はキリスト教徒にとって天国への鍵である」と吹き込んだらしい。

 また、ピコのカバラの師としてヨハナン・アレマンノも挙げられる。彼はコンスタンティノポリスないしマントヴァ出身で、イタリア各地で医師兼哲学者として活動していたラビ・ユダ・メッサー・レオンの弟子の一人だったが、師匠が説くアリストテレス哲学に飽き足らず新プラトン主義にかぶれ、これをカバラと結びつけたとも言われている。

人間の尊厳に関する演説

 1486年末、ピコは『人間の尊厳に関する演説』と呼ばれる900もの論文を携えて改めてローマへ向かい、翌年学者たちと討論を行おうとした。しかし内容はアリストテレス哲学と新プラトン主義、ヘルメス主義やカバラ思想を混ぜ込んだもので、「人間には神から自由意志が与えられており、自らが望むものになることができる。堕落すれば獣になるが、向上すれば高次の存在に近づく。エノクのように天使や神の子にもなれるし、神と合一することもできる」と述べていた。聖書にも書かれてはいるのだが、論文を読んだ教皇インノケンティウス8世は問題視して討論会を中止させ、調査委員会を招集した。聖職者を差し置いて神と合一するとは冒涜千万というわけだ。

 セラフィム(熾天使)はの炎で燃え、ケルビム(智天使)からは知性の輝きが閃き、トロノイ(座天使)は正義の堅固さでしっかりと立っています。したがって活動的な生活の追求において、私たちが正当な基準によって下位の事柄を統治するならば、私たちはトロノイの確固たる地位に確立されるでしょう。もし、活動的な心配事から解放され、時間を観想に捧げ、創造主の御業について瞑想するならば、私たちはケルビムの光で輝くでしょう。もし私たちが創造主への愛のみで燃えるならば、創造主の燃え盛る炎は私たちを速やかにセラフィムの燃えるような姿へと変えてくれるでしょう。

 トロノイの上、すなわち正義の裁き主の上に、神は時代の裁き主として座しておられます。ケルビム、すなわち観想の霊の上に、主は翼を広げ、包み込むような温かさで彼を養うかのようです。主の霊は水の上を流れ、天の上にある水、ヨブ記によれば夜明け前の賛歌で主を讃える水の上を流れます。セラフィム、すなわち愛する者は神の中にあり、神もその人の中にいます(ヨハネ伝6:56等)。神と人は一つであると言っても過言ではありません。正しい判断によって私たちが得るトロノイの力は偉大であり、愛によって私たちが得るセラフィムの崇高さは、その中でも最高位です。

『人間の尊厳に関する演説』より

 ピコは反論したが論文のうち13が問題視され、撤回したものの正当性を主張し、1488年にフランスへ亡命した後、1489年にフィレンツェで出版してパトロンのロレンツォ・デ・メディチに捧げた。教皇はこれに対して異端審問法廷を招集し、同書を発禁処分にして焚書したうえ、ピコを逮捕・投獄するよう命じた。ロレンツォは各方面へ手を回してピコを釈放させ、フィレンツェに呼び戻して自分の庇護下に置いたが、1492年にロレンツォが没するとメディチ家は衰え、ピコはフェラーラへ移住した。翌年に友人の修道士サヴォナローラがフィレンツェを牛耳るとその信奉者に転向し、財産や著作を捨てて修道士になると言い出したが、翌年31歳の若さで毒殺されている。

 ピコ没後の1496年、『人間の尊厳に関する演説』は再び出版され、異端的とみなされながらも欧州諸国へ広まっていく。彼自身は晩年に捨てたとしても、そのミームはキリスト教カバラやヘルメス主義カバラとして人々に受容され、西洋魔術の理論的基盤となっていった。また「人間は自由意志を持ち、望む何者にもなれる」という人間賛歌の文言は、ペトラルカやボッカチオ以来の人文主義/人間主義(Humanism)の流れを汲み、現実の人間を肯定するものとして、近代人権思想の基礎となったのだ。

◆Baba◆

◆Yetu◆

【続く】

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