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【愛着障害と生きる】全ては『無愛』を知る事から始まった。

『孤独』と『絶望』

その生き辛さを抱えていた根源が「母の無愛」である事への気づき。

人から見たら大袈裟に見えるかもしれない、軽視或いは、私自身が社会的通念から非難される様な、目に見えないが確かに存在する、内省化した事実。

無愛の絶望に打ちのめされ、孤独を極め抜いた先にあったもの。

それが「自分を愛する事」だった。

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「貴方は母親から与えられるべき「愛情」が与えられなかった。」

その医師は私に告げた。

考えもしなかった。いや、本当は分かっていた。

ただ「他人」が「医師」が、それを客観的に私に告げた事が耳を通じて私の脳裏に繋がった。

「私は母を信じたかった」し母は必死で「自分は愛のある人間だ」と他人に認められようとしていた。

人類が、人生というものの残酷さを、私たちはそもそも軽視していたのだろう。

「愛」を個人の中で他人への承認欲求を意識するから「無愛」を他者へ与える。

母が「愛」だと思っているそれは他者への「無愛」の始まりになる事を、母は理解していなかったし、そんな母でも私にはたった一人の母だった。

つくづく「カルト・ドグマ」がこの人類社会に蔓延して、共有されて「思考停止」というよりは「感性の停止」が社会秩序になっている事への恐怖を感じる。

私は「母の無愛」が私の幼少期における生育によって人格形成が成された事に気づいた。

それは「バタフライエフェクト」の様に、これからの人類社会における「無愛」への気づきを与えていく事になる。

そうなって欲しいと心から願う。

孤独や絶望へ誘う「自己愛」というエゴからの子育ての根底に、「カルト・盲信」による「遺伝子生物的感性の欠如」がある事を、私たち人類はまず意識した場所から、これからの未来を生きる必要がある。

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「愛着障害」は「少子化」に、深く関与している可能性を私は感じる。

つまり心理的ネグレクトを与えられて育った「二世」「三世」における「出生数」は減少し、遺伝子的終焉に寄与している可能性を感じる。

それは「癌」や「脳血管障害」「疫病」などの克服とは違った意味で「種族滅亡」へと誘う「心理・精神・脳科学的病魔」と呼べそうだ。

これからのASI・シンギュラリゼーション時代、それは瞬時に社会課題として人類へと提起されていくだろう。

「無愛」という「自己愛」が生み出す「言語・大脳・思考」による「本能・本質」の喪失。

私たち人間は、本来「肌感覚」で生きている生物であり、そこに「神仏」と表現するような「自然界との直感的本能・本質」が備わっている。

シンプルに言えば、1.5歳までの赤子にすべき事は、側にいて、目を合わせて触れ合ってその感覚を「共有・認識『しあう』」ことだけだ。

同じ空間にありながら他の心に意識や心を奪われた、放置や、相手を確認しない一方的な「愛」と錯覚した行為の全ては、赤子にとっての「無愛」である。

恐らく、現在「出生率」が2.0を超えている国々にはその「愛」と「無愛」の違いが本能的に、種族文化の中で共有されているのだろう。

少子化、出生数減少に対して、補助金や所得増加、教育、制度などをいくら行っても意味がないことをそろそろ気づいたほうがいい。

ホモ・サピエンスとして「遺伝子を継承する」事が顕在化するために必要なことは「ネグレクト」「愛着障害」という課題解消を社会全体が真摯に向き合う事から始まる。

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私は40代も後半になりようやく私の中に、「母からの無愛・ネグレクト」があった事に気づいた。いやもう、無視する事を辞めた。

それは「社会的孤独」を選択した事から始まった。

どんなに「絶望的」であったとしても「己を生きる」を優先する。

そう心に誓う所から始まった。

私はそれをしたが、そんな「無愛・ネグレクト」がもし日本国、日本人社会に大量に蔓延していたとしたら?

この日本人社会は本当に未来に向かって「崩壊」或いは「滅亡」するだろう。

それを如実に表したものが「出生数減少」である。

正直、日本人は「他人事」として「少子化」を捉えていないだろうか?その根底に「子供を産みたくない」「結婚したくない」などの潜在的心理の根底にあるものが「親」からの「無愛」或いは「自己愛」に起因している可能性を「精神医療」や「発達」の専門家たちも、専門範囲外として軽視している様に感じる。

この世の全ては繋がっている。人類の社会現象に、一つ一つの個体や、意識、行動が、関与していない事象など一つもない。

その場当たり的で、短絡的な判断を重ねた社会秩序、盲信、常識がこの社会に巨大な「遺伝プログラムの不継承という病魔」というある意味「戦争」や「犯罪」「疫病」よりも「種族繁栄に対する致命的事象」を蔓延させている様に感じる。

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地球は球体であり、放射線は螺旋状に曲がる。非直線性。

非定義性。結局「あるがまま」以外に我々の事実は存在しない。

ホモ・サピエンスを、地球を、宇宙を、生命を、親子を、社会を、ただ触れて感じて、そしてアップデートのためにもその瞬間、「放擲」する。

死に向かう遺伝子プログラムをただ、己と共に刻む。

「無愛」と「自己愛」が、人類には混在している。全ての人類遺伝子の中にそれが実在する。

私たち一人ひとりが可能な事は、それを認知してどう行動選択するかのみだ。

そしてそれは、次世代の2つの遺伝子物語の融合体へと引き継がれていく。

1つでも3つでもなく「2つで1つ」だ。

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私は今「無愛」を知った私の人生を心から愛している。

正直、私にはもう「私」しか残されていない。

「真我」とは「天上天下唯我独尊」とは「無愛」への気づきの表れなのではないか?とも感じている。

時代は違えど、私はゴータマシッタールタも母からの「無愛」が「悟り」への「出家という孤独」を選択させた様に感じる。

人類の苦悩への関心が、己の中にあった。

それは己が人類として苦悩している事実を知る旅だったのだろう。

そこには「教義」や「修行」では悟れない事を彼は「悟った」。

そう「唯我独尊」は「無愛」と「自己愛」の違いを知る事だった。

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「カルト」や「カリスマ」に己の人生を費やす人々は、未来の「無愛」の温床を己の中に形成している。

自らの中に「ネグレクト」「自己愛」を抱えた己を「誤魔化している」。

単純な事。「愛」を男女が「身体」で互いに共有すればいい。

結局、遺伝子プログラムである真核生物が、真我が求めている事に個々が正直に向き合えばいい。

「理性」という「思考」は、大脳は必死でそれを抑制、拒否、回避する理由を探し「レッテル」や「都合」を探す。そうして「時間稼ぎ」或いは「洗脳操作」を始める。

孤独な私には、そんな今を生きる人々がとても「不憫」に見える。

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結局全ての人類が、「誕生」してから「幼少期」を経る。それは人格形成の「根幹」であり、一生涯に渡りその人の全てを左右する。

それなのに大脳に刻まれたニューロンの記憶を頼りにする人類は、大脳皮質が発達するまでの「幼少期の記憶」を知らない。周囲の大人たちが何をしたのか?記憶がないまま、ある日突然その人生の記憶が始まる。

それが「ホモ・サピエンスの象徴的特性」だ。

他の民族が、その民族を終焉させる、或いは内部から洗脳支配するなら、母と子の時間を奪い、次世代の「幼少期」を破壊すればいい。

誰かがそれを考えたのか?勝手に日本人がそれをしたのかは分からないが、

「グローバリズム」は確実にその路線を踏襲してきた事実から、社会・医療・発達・教育などの専門家たちは、理屈やエゴからではなく事実から現象、事象、数値を多元的に「解読」した方が建設的だと感じる。

まぁ、人類がやらずとも、そのうちASIが「ホモ・サピエンス」について見解を、そのうち示すだろうが・・・。

「愛着障害と生きる事」は、私そのものであり、私は「自己愛」という存在と、今をただ向き合って生きている。


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ご愛読、ありがとうございます。
これからもいつ果てるか解らぬこの小生が、残せるだけ「note」にアップロードしていこうと思っております。
あなたの、その更に先にある存在に、明日への静寂、安寧なる心の棲家が、この惑星で人類として生きる全て人が見つけその胸に宿った事を、風が運んでくれる今この瞬間への出会いを、いつも願っております。

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『ホモ・サピエンス・宙唄(そらうた・Sorauta)の独り言』 私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。