宮脇俊三と行く【北海道&東日本パス】のたび³
3. 11時20分、新白河駅。涙の和解と「せきた」の奇跡
黒磯から新白河までは、わずか20分強。
しかし、乗り遅れた宮脇先生を駅の改札前で待つ千鶴たちにとっては、
それは永遠とも思える1時間半の空白でした。
お昼ご飯を食べることも忘れ、空腹と疲労、そして極限のストレスでポロポロと大粒の涙をこぼし始めた千鶴の前に、11時過ぎ、ようやく次の列車で宮脇先生が到着しました。
その手にはスルメの袋。
そして、うるさい添乗員のいない1時間半という「完全なる自由空間」で、ロング缶の角ハイボールを2本も空けたらしく、その顔は実にご機嫌に赤く染まっています。
千鶴(泣きながら怒鳴る)
「このバカオヤジーーーっ!!
こっちは心配して、お昼ご飯もとらないで待ってたのよ!」
泣きじゃくる千鶴の肩を凛々子がそっと抱き寄せ、
レルフ教授が
「人生も鉄路も、すべてが思い通りにいかないからこそ面白い。
君が泣き、先生が酔っ払い、私たちが立ち尽くしているこの1時間半のロスこそが、私たちの人生に二度と消えない
『場所の記憶(Sense of Place)』だ」
と静かに諭しました。
どうせ次の郡山行きは12時50分までありません。
「もういいわよ! 付き合ってやるわよ!」
と吹っ切れた千鶴が、駅から少し歩いた場所にある、
11時から開いている名店「手打中華 せきた」
へ全員を引っ張っていきました。
千鶴
「すみません、チャーシュー麺と餃子、あと……生ビール人数分!」
冷たい生ビールを喉に流し込み、極厚のチャーシューと手打ちの縮れ麺を口にした瞬間、全員の顔が綻びました。
👓 サウアー教授(麺を器用にすすりながら)
「美味い……! この手打ち麺の不揃いな食感こそが、大量生産のプレイスレスネス(居場所のなさ)に対する、地域の食文化の意地(Local Identity)だな」
宮脇先生(バツの悪そうな顔から、嬉しそうな笑顔になって)
「いただきます。予定通りにいかないからこそ、この味に出会えた。
これもまた旅の味付けですね」
千鶴
「宮脇先生、もちろん一番高いチャーシュー麺ですからね!
全部先生の奢りですから!」
4. 12時50分〜17時05分。爆死、ゾンビ、そして福島トイレパニック
お腹も膨れ、アルコールもまわった一行は、12時50分発の郡山行き(E721系)に滑り込みました。
しかし、車内に足を踏み入れた瞬間、6人を襲ったのは容赦ない睡魔。
最初のジョイント音を聞く頃には、ボックスシートは完全なる「爆死状態(死体安置所)」と化していました。
「時間をかけて鈍行列車で行くのも豊かだな」なんて言っていた知性はどこへやら、6人はただの「酔っ払った満腹の塊」として運ばれていきます。
13時31分、終点の郡山に到着。
しかし、13時41分発の福島行きへの乗り換え時間は、わずか10分しかありません。
千鶴(寝起きの掠れた声で、全員の肩を揺さぶりながら)
「ちょっと! 起きて! 郡山に着いちゃったわよ! 2番線から跨線橋を渡って4番線へ移動よ! 急いで!!」
「時間をかける旅もいいな」なんて言っていたメンバーは、今や足元をおぼつかせながら、ぼろぼろのゾンビのように跨線橋を歩いて福島行きに滑り込みました。
14時26分、列車は定刻通り福島駅に到着。
今度こそ14時39分発の白石行きにスムーズに乗り換える、はずでした。
しかし、跨線橋の真ん中でピタリと足を止めたのは、他でもない千鶴でした。
その顔は、微妙に青ざめています。
千鶴(モジモジしながら、蚊の鳴くような声で)
「……ねえ、凛々子。ちょっと、トイレ……」
凛々子
「えっ、千鶴!? 新白河でも行ったじゃない」
千鶴
「だって! 新白河から福島までの40分間、せきたのビールで調子づいちゃって、車内でアサヒスーパードライのロング缶空けちゃったのよ!……もう限界、漏れる!!」
千鶴は女子トイレへと脱兎のごとく猛ダッシュ。
結局、巨頭たちのポンコツぶりに激怒していたはずの千鶴が原因で、14時39分発の列車は行ってしまいました。
次の仙台方面への接続は、1時間以上先の15時43分までありません。
無為に福島駅の売店で時間を潰すことになりました。
👓 レルフ教授(福島駅の売店を眺めながら)
「なるほど……。今度は運行管理者の肉体的限界によって、我々は再び時空の歪みに放り出されたわけだ。実におもしろい」
千鶴
「……うるさい。反省してますよ。でもドライのロング缶は効くのよ、利尿作用が……」
15時43分発の仙台行きに乗り込むと、今度は全員が再び爆睡。
気がつくと車内は、学校帰りの大量の高校生たちで超満員になっていました。朝の宇都宮線の光景が、夕方の宮城でも繰り返されているのです。
列車は高校生の波をかき分けるようにして、
17時05分、東北最大のメガロポリス・仙台駅に滑り込みました。
凛々子(ホームに降り立ち、心の底から)
「はぁ……本当に疲れた……! でも、
今日はまだここがゴールじゃないんだよね」
千鶴(スマホの乗換案内を見ながら、白目を剥いて)
「そうなのよ。今日は一気に、岩手県の『北上(きたかみ)』まで北上するんだから!」
その時です。リュックを背負った宮脇先生が、仙台駅のニューデイズから、実にお嬉しそうに小走りで戻ってきました。
その両手には、青い缶の「ヱビスビール」数本と、
仙台名物「笹かまぼこ」の詰め合わせパックがしっかりと握られています。
千鶴(一瞬で般若の顔に戻り、声を荒げる)
「ちょっとーーー!! 宮脇先生っ!! またビール買ったんですか!?
これから小牛田、一ノ関と乗り換えて北上まで行くのよ!?
どんだけ飲むつもりなんですか、電車は居酒屋じゃないのよ!!」
宮脇先生(笹かまをパキッと開けながら、実にいい笑顔で)
「いやあ、仙台へ来たら笹かまを食わんわけにはいきません。
これをつまみに飲むヱビスは最高ですから。
さあ、17時22分発の小牛田行きが来ますよ、急ぎましょう!」
5. 20時15分、北上駅。「北上」の夜と、幸楽苑の夜
仙台17:22 ➔ 小牛田18:07着/18:43発 ➔ 一ノ関19:32着/19:37発 ➔ 北上20:15着。
暗黒の東北本線を乗り継ぎ、東京駅を出発してからじつに15時間。
ついに6人は岩手県の北上駅へと降り立ちました。
駅前ロータリーの冷たい夜気の中で、
千鶴がゆっくりと宮脇先生を振り返りました。
千鶴(殺意のこもった声で)
「……東京から15時間かけて、普通列車で……『北上(ほくじょう)』した、目的地が……『北上(きたかみ)』。
宮脇先生。まさか、この地獄の移動、このオヤジギャグのためだけに計画したんじゃないでしょうね?」
宮脇先生(コートの襟を立て、満足そうに微笑んで)
「いやあ、気づいてしまいましたか。『北上へ北上する』。
この文字の並びだけで、胸がワクワクしてきませんか?」
千鶴
「っの、クソオヤジがああああ!!」
お腹の空いた一同が駆け込んだのは、駅の近くに見えたチェーン店の「幸楽苑」でした。
またラーメンか、と誰もが心の中で一瞬思いきや、自動ドアをくぐってボックス席に雪崩れ込んだ瞬間、千鶴の目がキラリと光りました。
千鶴
「ふん、みんな幸楽苑だと思って舐めないでよね。
最近の幸楽苑、餃子がリニューアルされて、皮がパリッとして餡がジューシーで、かなり美味しくなってるんだから!
すみません! ダブル餃子定食と生ビール人数分!!」
運ばれてきた生ビールで、今日一日の本当の乾杯。
一口飲んだ瞬間、3人の人文学の巨頭たちの顔に、最高の生気が戻りました。千鶴の言う通り、焼き立ての餃子は信じられないほど美味く、冷え切った身体に熱いスープが染み渡っていきます。
👓 サウアー教授(餃子をタレにつけながら)
「素晴らしい……! 全国一律のチェーン店だと思って侮っていたが、この激しい移動の果てにたどり着いた『北上の幸楽苑』は、私にとって完全に固有の、かけがえのない『オアシス(Place)』だ!」
👓 レルフ教授
「どこにでもある風景の中に、自分たちだけの特別な意味を見出す。これこそが場所へのコミットメントだ。美味い、餃子が美味すぎる……!」
もう、食うわ飲むわの大宴会。凛々子も千鶴も、宮脇先生も学者3人も、合計6人全員が完全に出来上がっていました。
6. 21時45分、駅ナカホテルの部屋飲みという名の終着駅
幸楽苑を出た一行は、そのまま駅前のセブンイレブンへ直行。
「部屋で飲む分の酒とつまみを買うわよ!」
という千鶴の頼もしい号令のもと、レモンサワーや角ハイボールの缶、おつまみを大量にカゴに放り込みました。
今夜の宿は、駅ナカのビジネスホテル。
全員でひとつの部屋に集まり、本日最後の乾杯の缶を合わせます。
凛々子(ベッドの上で、トロンとした目で)
「はぁ……。朝の5時に東京にいたなんて、もう1週間くらい前のことみたい。新幹線なら一瞬で通り過ぎちゃう景色を、私たちは15時間かけて、全部肉体で受け止めてきたんだね。
レルフ先生の言った通り、思い通りにいかないからこそ、この1日がすごく愛おしい気がする」
宮脇先生は、セブンで買ったワンカップの日本酒をちびちびと舐めながら、静かに呟きました。
宮脇先生
「時間をかけて移動するというのは、世界を少しずつ自分の中に馴染ませていく作業なんです。
明日は、いよいよここから盛岡を越えて、さらに北の、あの素晴らしいローカル線たちが待っていますよ」
千鶴(缶サワーを片手に、完全に酔っ払って赤くなった顔で)
「明日また遅刻したら、今度こそ本当に置いていきますからね……。でも……今日の餃子とビールは、人生で一番美味しかったかも」
学者3人は、すでにベッドの端や床の上で、缶を持ったまま幸せそうにイビキをかき始めています。
「北海道&東日本パス」の旅、激動と混沌の第一日目は、アルコールの匂いと、心地よい疲労感に包まれて、静かに幕を閉じました。
(つづく)
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