【エッセイ】倒れるなら前のめりに。
「志望動機を教えてください」
そんなありきたりな面接官の質問に、15年前の私は溌剌として答えた。
「研究者はかっこいいからです!」
そう、研究者ってかっこいい。
いや、正確に言えば、私に実験の仕方から研究のいろはを教えてくれたK先輩はかっこよかった。
単身で名古屋の研究室に飛び出て行って武者修行したり、論文がトップクラスの科学誌に載ってテレビの取材を受けたり、かと思えばラボの飲み会ではいつも羽目を外し過ぎて、毎回最後は4年生の女の子に土下座するようなめちゃくちゃな人だった。
「研究っておもろいやろ。そんな簡単に結果は出ないけどおれが見てるから。お前のことはおれが一番買ってるからな」
そんな風に励ましてくれるK先輩みたいになりたい。なれないけど、あの生き方を真似したい。そう思った日から、私の座右の銘は「倒れるなら前のめりに」になった。K先輩の言葉だ。
◇◇◇
ある日から、製薬企業の研究員、Sさんがうちの研究室に来るようになった。
博士課程の学位を取るため、うちのラボとの共同研究成果を論文にするという。
その後無事に論文が発表され、Sさんの研究成果報告会を聞きに行って、度肝を抜かれた。
例えるなら、野球少年が大谷のバッティングを初めて見た時のような衝撃だった。
「なんじゃこりゃ……!! このひとのプレゼンめちゃくちゃ面白い。製薬企業の研究員ってすごい」
K先輩もすごいけど、Sさんはこれまたレベルが違った。大学に残るのではなく、企業で研究する道が突然輝き始めた瞬間だった。
やっぱり研究者ってかっこいい……!!
◇◇◇
その後K先輩は、国内トップクラスの製薬企業で研究員として就職した。
私もK先輩の後を追って同じ会社を志望したものの、残念ながら採用されなかった。そこでSさんが勤務する企業の門戸を叩き、「研究者はかっこいい」と宣ったのである。
その時私の頭には、K先輩とSさんの姿があったのは言うまでもない。
薬のことをもっと知りたい。
世の中に何かプロダクトを生み出したい。
病気で苦しむ患者さんやご家族の為に出来ることをしたい。
もちろん全部本心だけど、私にとっては全て後付けだった。
「研究者はかっこいいからです」
最初はそれが全て。かっこいい大人になりたかった。胸を張って、自分ってかっこいい。そう思いながら生きていたかったのだ。
◇◇◇
薬が出来るまでには、初期探索と言われるアイデア出しから、人に投与するまでの非臨床研究、人での臨床試験、とまるでリレーのようにバトンが受け渡しされる。
初期探索から非臨床研究に進む確率は0.001%と言われ、ほとんどが失敗する。うまくいかないし、人事評価もつかない初期探索はずっと冷遇されてきた。
周りの同期や後輩が、求められる役割を上手にこなしながら、評価される仕事をこなし、1歩ずつ階段を登っていく中で、私は不器用に初期探索研究にしがみついた。
どんな薬を作るのか、決められるのはゼロからスタートする初期探索だけだ。
それに、患者さんの想いや要望を拾い上げるには、初期探索からデザインされていないと対応できない。
ほぼ失敗するが、そこには夢がある。K先輩やSさんに教わった研究者としての矜恃がそこにある気がしていた。
そんな風に「かっこいい」にこだわって、がむしゃらにやっていたら、いつの間にか周りはみんな偉くなって取り残されていた。
入社して10年経って「このままでいいのかな」って思った時、Sさんから「やっぱり研究向いてるよね」と言われて、その一言だけで頑張れた。
その後パワハラで死にそうになった時、K先輩に「お前は悪くない。その上司がおかしい。マイトンは優秀な研究者っておれは知ってる。大丈夫や」と言われて折れる寸前で踏みとどまった。
かっこいい研究者の2人からもらった言葉を支えにひたすら走り続けた。
入社して12年経った時、本社のマネジメント業務と研究を兼務することになったが、当時の上司にお願いして研究現場に戻してもらった。
その時もSさんが裏で動いてくれて「こういう切符は1回しか使えないからね」と飲みの席で笑いながら言われたのを覚えている。
現場に戻った私は、研究人生を全て捧げる覚悟で目の前のプロジェクトに邁進した。
とことんやって、全力を尽くしたけど、結果は付いてこなかった。
プロジェクトが終わった時には心も体もボロボロになっていた。
年齢も42歳。
そろそろ身の振りを考えないといけないタイミングだった。
研究現場に残るのであれば、残りの研究人生を賭けられるテーマを見つけたい。そうじゃないと、もう最前線で走り続けられない。
でも、そんな気持ちと裏腹に心が動く研究は簡単に見つからない。
走りたいのに走れない。気持ちと体がチグハグでもどかしい。焦れば焦るほど理想とのギャップに辛くなる。
ある日Sさんに呼び出された。
「最近どう?」と。
あぁ、見透かされてるな、と思った。
取り繕っても仕方ない。
今の自分の状況を全て話した。
その上で、「できればもう1回研究現場で走りたい」と伝えた。
Sさんからは、「まずは笑顔だよ。表情暗すぎる。そうゆうの大事だから」と肩を叩かれ「やれるだけのことはやるよ」と言って貰えた。
◇◇◇
少ししてK先輩と会う機会があった。先輩は、とっくに研究現場は卒業して、今では子会社の取締役になっている。
同じく大学時代の研究室の先輩と同期も一緒だったけど、その2人も経営の道に進んでいた。
自分以外の3人が、年収の話や経営の話で盛り上がる中、「マイトンはまだ研究頑張ってるんだよな」と言われ、「はい」と答えて胸がチリチリした。
ここでも自分だけが変わらない。
取り残される感覚。
それなのに、必死でしがみついてきたものすら手からすり抜けようとしている。
おれは何がしたいんだろう?
何もできていないおれは何なんだろう。
握りしめた拳に落とした視線を上げることができなかった。
K先輩がお金の話ばかりしているのも嫌だったし、綺麗事の言い訳ばかりして、同じ場所から動いていない自分にも心底嫌気がした。
目指すものも居場所も分からない。
品川のオシャレなバーで、周りが楽しそうに飲む中、苦いだけのビールを何杯もあおった。
自分の思い描くかっこいい大人とは程遠い自分がとにかく痛かった。
それから2ヶ月後、出された人事は「マネジメント業に専念せよ」とのことだった。つまり、現場からは卒業することを意味する。
◇◇◇
結果的に希望は通らなかった。
Sさんはわざわざ面談の時間をとってくれてこう言った。
「ごめん、今回は無理だった。でも、どの部署でも一生懸命やるのが大事だよ。薬をつくるってゴールを一緒に目指すのは変わらないから」
そして今、私は本社から帰る満員電車の中でこれを書いている。
はっきり言って、今も何が正解なのか分からない。
自分を納得させる言い訳なら沢山できる。
43歳になって、そういうスキルだけは身についた。
実際、現場で走れない自分を直視しなくていいと思うと、ほっとする自分もいる。
新しい仕事は人と人を繋いでプロジェクトを前に進めるプロジェクトマネジメント業務だ。
どちらかと言うと得意な仕事だということも分かっている。
これまでの現場でやっていたプロジェクトリーダーがキャプテンだとしたら、プロジェクトマネージャー は航海士。ルフィからナミになった。
ただそれだけの事。
うん、ただそれだけのこと。
ここで一生懸命やるだけやって。
でも……
いや……でもじゃないんよ。
かっこいい研究者にはなれなかったけど、一生懸命やるだけやねん。
そう、自分に言い聞かせている。
エリさんの文章を読んで、声が届いて、自分のことも書きたくなりました。
まだまだ先が見えない中でウロウロするかっこ悪い私ですが、それでもできることを一生懸命やろうと思っています。
エリさん、素敵な声をありがとう。
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