誰かが見てくれている│昭和の会社、急病で事務員私ひとり?!
新社会人になりたての頃、本社へ出社したあと、そのまま地元の営業所へ向かい、勤めることになりました。
そこには、1年先輩の女性事務員さんがいて、私との2人体制。
当然ですが、
最初は、分からないことだらけ。
仕事をしながら教えてもらうので、余裕なんてなくて、何度も同じことを聞いてしまうこともありました。
所長、主任、営業さん、メンテナンスさん。
男性ばかりの職場で、
厳しいことも言われましたね。
中でも、いつも「そんなことも知らないのか?」と言うメンテナンスの男性がいて。
いやいや、入社したばかりやし、知らんから聞いてるんやけど……と、心の中では思ってました笑。
正直、大嫌いでした笑。
「私より先に辞めてくれへんかなぁ」なんて、よく思ってましたね。
すると、数か月後、本当に辞めていったんです。
今となれば、私への風当たりだけじゃなく、会社や上司への不満もあったんだろうなと思えます。
そんな中、半年ほど経った頃。
突然、先輩事務員さんが、夜中に腹痛で病院へ運ばれ、そのまま数か月休職することになったんです。
で、結果―
営業所の事務員、私ひとり。
「うそやん、無理やん……」
そう思いました。
電話応対、納品伝票、配送の手配、請求書発行、集金業務、夜間金庫袋の準備などなど。
もう、毎日が、ドタバタでした。
今みたいに、データ送信ではなく、当時は、本社から、大量の紙の請求書が、営業所へ送られてきて。
請求書と会社控えに分けて、三つ折りにして、封筒へ入れて、近所のポストから投函。
20日締めの請求書なんて、
本当に山のようでした。
結局、家へ持ち帰って、母に手伝ってもらったことも、忘れられません笑。
残業も増えました。
ただ、他営業所のベテラン事務員さんたちは、家庭を持っている方も、多くて。
「〇〇さんみたいに、
残業されると困るわ〜笑」
なんて、冗談ぽく、
チクリと言われたこともありました。
でも、それも分かるんです。
主婦として働きながら、
時間に追われる大変さ。
だから、私も、請求書を持ち帰ったりしていましたから。
もちろん、残業代なんて付かない、まさに “奉仕残業” の時代です。
でも、そんなドタバタの中で、所長や営業さん、メンテナンスさんたちが、自然に手伝ってくれたんです。
営業さんたちは、いつもより
積極的に電話を取ってくれる。
来客のお茶まで、
入れてくれた記憶があります。
請求書を三つ折りにして、封筒へ入れる作業も、メンテナンスさんたちが、黙って手伝ってくれました。
男の人って、職場では、そんなに、ベラベラ私語をしゃべらない。
でも、本当に大変な時って、何も言わずに動いてくれる人が、いるんですよね。
あの時の私は、「すみません」「ありがとうございます!」と、必死で言うだけでしたけど、本当に嬉しかったなぁ。
誰かが見てくれている。
その言葉って、こういう時に使うんだなって、今でも思います。
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