「平熱」のまま政治にかかわるためにーー「参政党」以降の市民社会を考える
さて、今日は参議院選挙から一週間経って改めて考えをまとめてみたいと思う。具体的には、参政党のブレイク以降のこの日本社会の民主主義というか、選挙文化の行方についてのことだ。
参政党に関する分析で大事なのは、その思想や文化的な背景と同じくらい、その手法についても注目することだと思う。常にたくさんの分析が既にここについても行われるわけなのだが、まさにポイントはその名の通り「自分が運動に参加している」という、「手触り」の部分にあることは間違いないだろう。
僕は5年前に出した『遅いインターネット』で、現在におけるインターネット・ポピュリズムのポイントは、まさにこの「自分が世界に直接関与している」という「手触り」に他ならないということを指摘したが、それを具体的に取り込んでいるのが、それも極めて現代的な形で実践しているのが、参政党だと言える。
社会運動の中には昔ながらの集会だとかビラ配りだとか、そういうどこかカビの生えた手法のままアップデートしきれていないところが、特に高齢者ターゲットのものにはまだ多いと思う。これらの運動が明らかに今日のSNSプラットフォーム下でのコミュニケーションの手軽さと、直接的なフィードバックが得られることの絶大な快感というものをうまく組み込めていないのに対して、参政党のそれはSNSを前提とした運動の新形式が最初から組み込まれていることにポイントがあるように思う。
単純に考えれば、参政党に対抗しようと思っている勢力がこの手法を真似ておけば良いという話になるのかもしれない。ただしこれは諸刃の剣ではないか、というのが今日の僕の話だ。
参政党と新宗教の共通点は既に何度か指摘しているが、この点に関しては、例えば大学における統一教会系や新左翼のダミーサークルの学生勧誘の方法が参考になるかもしれない。
これらの悪質なサークルは、大学で孤立している学生をターゲットにする。高校までと違い、大学では学級概念が希薄で、自分から能動的に行動しないとなかなか友達ができない。そのため、高校までは特にコミュニケーションが得意でなくとも、ただなんとなくスクールカーストの真ん中ぐらいに収まっていけたような人が、案外簡単に孤立してしまう。そこにこれらの悪質なサークルは目をつける。そして彼らの寂しさにつけ込んで洗脳していくのだ。
ここでポイントとなるのが、彼らの「話を聞いてあげること」だ。SNSが証明したように、人間はすごく希少な他人の話を聞くよりも、ものすごく凡庸でつまらない自分の話をする方が、何倍も快楽が強い。なので、こうしたカルト的なサークルは、ターゲットにまずは人生や社会問題についての意見をたくさん喋らせる。そしてそれを肯定するところから始めるのだ。
すると、寂しい学生は「自分の話に価値を認めてくれた人たちがここにいる」「自分の居場所がここにあったんだ」と感動してしまう。優等生でプライドが高い学生であればあるほど、この罠にはまりやすい。
この手法というものは、政治の世界や論壇などでも応用されている。メディア露出の多い政治家やネット人気頼みの起業家や言論人などは、定期的に若者を集めて彼らに存分に語らせる。そして彼らの意見やポテンシャルを、その場のボス的な存在がまずは一通り肯定してあげる。すると、プライドの高い若者は「自分があの有名な〇〇さんに認められた」と錯覚して、たちまち心酔してしまう。
こうしたことを何度か繰り返していくうちに、すっかりと洗脳が完了し、気がつけば若者たちはボスの手駒になっている。SNSでボスの敵に積極的に石を投げつけ、飲み会では積極的にボスの機嫌を忖度して、その敵の悪口を言う。こうして、使い捨てのファンネルと陰湿極まりない「家族的共同体」がいつのまにか生まれていく。
参政党のシステムは、おそらくこうしたある種伝統的なカルトの手法の、最も現代的なアップデート版の一つで、これに今まであまりマーケティングの対象にされてこなかった、もう少し前だったら新宗教に流れていたであろうリテラシーの低い層を対象にしたところが、成功要因だったように思う。
そして今回の選挙に前後して、そのターゲットは、SNSで毎日「自分はバカじゃない」ということを自分に言い聞かせるために、大して詳しくもない話題について識者からの借り物の意見でただひたすら毒づいているタイプの、プライドに実績が伴わない寂しい男性たちに拡大しているように思われる。
この層の男性の多くが、表面的に参政党を支持しなくても、表には出さない本音のレベルでは、その女性差別的な世界観に共感しており、参政党を絶対に許容しないリベラル勢力を「もっとバランスをとって、参政党的なものにも耳を傾けよう」と批判する形で間接的に参政党を支持していくという流れは、既に定着しているように思う。
また、今回の参政党の手法的な成功は、人間に「自説を語らせる」ことによる肯定感の充足と、それを利用した洗脳という手法を、SNSの投稿や動画中継を交えたアップデート版として定着させていくことになるだろう。
もしあなたの身の回りの人が、今まで自分が考えていたことや悩んでいたことを、少し距離のある「偉い人」にじっくり聞いてもらったという体験を目を潤ませて語っていたら、それは少し警戒した方がいいかもしれない。
誤解しないで欲しいが、僕は弱者がインターネットで声を上げることや、半ば開かれた公的な場所で自分の考えを自由に語れることは、無条件で素晴らしいことだと思っている。だからこそ、この快楽を悪用した政治家や言論人の「洗脳」については極めて厳しい意見を持っている。
それは、歴史的にこうした「自分のナラティブを聞いてもらえること」の快楽が、カルトの洗脳手段として用いられてきたことを知っているからだ。やはり僕は、参政党の成功がこの快楽を用いたカルト的な顧客獲得に利用されていくことが避けられないことについては、指摘せざるを得ない。
さて、今回はその上でどうするかを考えてみたい。
ポイントは「平熱であること」であるように思う。
こうやって独特と自説を語ること、それを誰かに聞いてもらいたいと強く思っていること、承認欲望を抱いているのは、ちょっと強気の男性が多いように思う。つまり、悪い意味での男性性を内面化していて、誰かをマウントしたり、自分より弱い対象を支配したい(象徴的な「父」になりたい)という欲望が強い人が多いように思う。だから参政党的な家父長制への回帰に親和性が高いのだと思うが、それはまた別の話だ。
究極的な処方箋は、彼らに「自分より弱い誰かを所有すること」ではない。欲望、つまり象徴的な父になることではない。欲望を覚えてもらうことなのだが、その啓蒙の長期にわたるロードマップは、また別に考えたいと思う。
とりあえずの短期的・中期的な対応として考えられるのは、「話を聞いてもらえる対象」のレベルに介入することだ。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
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