参政党現象と「父になる」自己実現に執着する男性たちの問題
僕が参政党の台頭でいちばんゾッとするというか、これはマズいな……と思うのが、その性差別的なイデオロギーだ。僕はそもそも、20世紀後半の西側諸国に生まれた「弱者男性」の問題は、この先の人類の社会の最大のリスクの一つだと考えている。トランプ現象を支えているイデオロギーの一つが、前世紀的な「男らしさ」の復権にあることは間違いないだろうし、日本国内でも維新の会や石丸伸二への40代、50代の男性の支持が集まりがちなのは、知識社会の与えるオブセッションにさらされた結果、「自分はバカじゃない」と自他にアピールしていないと不安になる心理と、前世紀的な「男らしさ」の悪魔合体が、あの後出しジャンケンで強い側、勝った側のほうに加担して自分も「強い」「勝ち組」に見せる冷笑系キャラの流行を生み出したと考えればいいだろう。その意味では、トランプ現象も石丸現象も「男性問題」である側面は確実にあるのだ。
要するに参政党の、女性の社会活動を否定するイデオロギーの背景には、女性から安定した雇用を奪い、前世紀的な「二級市民」に貶めて結婚圧力を高め(つまり、男性に正規雇用を集中させて、女性は専業主婦化しないと生きていけないようにして)、すべての男性に「女をあてがう」というゾッとする発想があるのだ。
ここでそもそも「栄光の三十年」に労働者階級のアイデンティティの置き場が「家族」に集中しすぎたことの問題を指摘しておきたい。ものすごくかいつまんで言えば、国民国家は世界大戦×2までは、労働者に「国民」としてのアイデンティティを与えることで社会を安定させていたのだが、ナショナリズムのリスクに直面した結果として、戦後は「家族」に、具体的にはフルタイム正規雇用の男性に対して再分配を行い(具体的には持ち家の取得による資産形成を誘導し)、経済的にも社会的にも「父」にすることに結果として舵を切ったと言える。このために例えば、男性労働者にはいわゆる「勤め人」が圧倒的に増加し、その男性正規雇用賃労働者が専業主婦の妻を養う「標準家庭」が支配的になった。この構造が女性の就職差別や社会・文化的な「二級市民」扱い、望まない結婚を受け入れざるを得なくなる性搾取などを伴うものであったことはもはや自明で、戦後的な家族制度の実態とは表面的には(家制度の廃止や参政権の拡大などで)マイルドになった家父長制の延命であったと言えるだろう。
したがって当然、僕は「栄光の三十年」のジェンダー状況に「戻す」ことによって社会を再安定させるべきという弱者男性論には、強く反発せざるを得ない。国民(といってもある年代の男性限定なのだが)を「父」にすることでのアイデンティティの安定は、「父」に「所有」される「妻子」の権利を無視することで成り立つ発想だからだ。
社会を共同体ベースの前近代的なものに回帰させよという流れに僕が批判的なのも、彼ら彼女らが共同体内のカーストの下位に置かれたり、(カーストが機能しない共同体ではより性急に求められる)共同体を維持するための「敵」として攻撃される人間のことをまったく考えていないからだ。「どこかにあなたの居場所=共同体がある」と言いたくなる人は、それが実質的に「あなたがいじめる側に回れる場所がある」「あなたを味方として一緒に敵に石を投げてくれる人がいる」というのと同じであることに無自覚だ。僕があくまで社会のセーフティネットは「個人」を対象にすべきだと考えるのはこのためだ。「父」に「所有」される側、共同体の中心ではなく周辺に配置される側、共同体内のカーストの下位に配置される側、共同体維持のために「敵」として攻撃される側のことを1秒でも考えてみればいい。
ポイントは今日の弱者男性イデオロギーは戦後の「栄光の三十年」の中流化に伴って形成された、性差別的な再分配と就労構造に起因しているということだ。この時期に男性が核家族の「家長」となるということが、戦前の「制度」とは異なり「誰もが努力すれば手に入る」「等身大の夢」として(その犠牲者のことは顧みられず)位置づけられた。そしてそのために、性愛から家族形成に至る過程がロマン主義的に肥大した。それに失敗することが、決定的に男性を傷つけるようになったのもそのためだ。
そして令和の現代においては、生物的に子どもがいるかどうかではなく、アイデンティティの中核に「父になる」「父である」ことが置かれているタイプの男性が現役世代にまだまだ残存していることが、男性中心主義や昭和的な社会の延命に結びついているのは明白だ。
さて、ではどうするか。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
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