「参政党」問題で、ウッカリ忘れてはいけないアプローチ
今日は久しぶりに政治の話だ。今月の参院選では、僕は個人的に応援している山尾志桜里さんと音喜多駿が同じ東京選挙区に出馬してしまったので板挟みになっているのだけど、おそらくギリギリまで情勢を見ながら、効果的な一票になりそうなほうに投票することになると思う(それの読みがまた、このケースだと難しそうだが……)。今のところ、比例代表は立憲民主党に入れるつもりでいる。
さて、僕の個人的な板挟み的問題はどうでもよく、今日僕が考えたいのは参政党の問題だ。僕はこの政党の掲げる政策のほとんどが問題外と思うのだけれど、問題の本質はそこにはなく、ポイントはまず「陰謀論的なオーガニック信仰と右派イデオロギーの相性の良さが発見されたこと」と、実質的な新・新宗教(れいわ新選組もこの枠だろう)として、この種の政治勢力が一定の支持を獲得し続ける社会を想定しないといけないということだ。
たとえばオールド左翼の問題や日本維新の会や石丸伸二などの右派ポピュリズムの問題は、アイデンティティの問題にほぼ回収できるだろう。階級対立の相対的に薄い日本ではナルシストが左派に、コンプレックス層が右派に流れているという構造が前面化しており、これが独特の厄介さを生んでいるのだが、これは別の機会に論じよう。
新宗教とは創価学会、立正佼成会、PL教団など、高度経済成長期に都市部で信者を増やした伝統宗教ではない宗教団体で、オウム真理教のような消費社会下のサブカルチャーがカルト化したもの(新興宗教)とはニュアンスがやや違う(厳密な線引はなかなか難しい)。ただ、僕は参政党やれいわ新選組については、新宗教がとくに戦後社会で担った役割との共通点に注目することが理解の助けになると思う。
要するに、SNS上で自分はバカじゃないと自他に言い聞かせるために、いろいろなものにXで毒づいているような人の受け皿が左右のイデオロギッシュなポピュリズムや冷笑系だとまとめることができるのだけど、参政党やれいわ新選組の動員は明らかに別の層をターゲットにしている。ここを読み間違えると本質をとらえ損なうだろう。
公明党や共産党、とくに前者が後退した結果として、まさに新宗教の支持層にこれらのカルト政党が食い込んできているというのが僕の理解だ。そして、彼らに何らかのアイデンティティの安定装置を提供するという処方箋は、それほど有効ではない。たとえば冷笑系と後期村上春樹的な、思わず「こんな時代だからこそ家族」みたいなことを言ってしまいがちな男性中心主義者(セカイ系男子)が被りがちなのは、それが氷河期世代の男性が家父長制イデオロギーを捨てきれないまま大人になってしまったにもかかわらず、それが戦後中流の経済的崩壊と女性の社会進出で獲得できなかったことのルサンチマンが、社会的には石丸伸二的な後出しジャンケン左派批判(オレ、現実分かっているぜ!)として、内面的には後期村上春樹的な男性中心主義として(オレの人間的な深みと優しさで癒やしてあげて尊敬されたいから、傷ついている女性に出会いたい!)発現するのだ。
しかし、参政党やれいわ新選組がマーケティングしている層はもっと単純に、世界の複雑化に耐えられないタイプの人たちだ。
では、この層にどうポジティブなアプローチをするか。
最初に言っておきたいのは、まず
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
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