「出版」を守る(ために変える)意外なアイデア
先日、久しぶりに箕輪厚介さんと対談した。テーマは「出版」。まあ、これは僕がこの世界で仕事を始めてからずっと言われ続けていることなのだけれど、情報環境の変化に対応して、出版というものがどのように変わっていくのかと言う議論を改めて彼としたのだ。
動画の冒頭は彼が最近始めた光文社との裁判の話題が中心だが、動画全体としてはもっと大きな出版業界とか、それが支えてきた文化と言うものをどのように残していくのかと言う事について真剣に機能してるのでぜひ最後まで見て欲しい。
それはそれとして、僕がこの箕輪さんとの対談を通じて考えたのは、僕がどうするかと言う話だ。この収録から1週間ほどが経って、改めて考えているのが、もう少しみんなが幸せになる仕組みを作ってみたいということだ。
例えば古い体質の出版社と仕事をすると、いろんなところでボタンをかけ違ってしまう。それも担当者個人個人には悪意なんてあるわけもなく、彼らとしては今まで通り当たり前のことをやってるだけなのだけど、その結果として強いて言うなら自分より弱い立場の人への想像力が足りてないせいで、ものすごく理不尽なことを仕事相手に強いてしまっているケースが結構ある。
僕も長いキャリアの中で、こういった理不尽には何度も直面していて、中にはこの記事で書いたように、部数を縦に特定の誰かを批判しないように強要されたり、事前に打ち合わせで合意したはずのプロモーションが実行されなかったり、そのことの問題を指摘すると、なんで自分たちを責めるのかと(自分たちのことは、棚に上げて)逆ギレされたりしたこともある。
しかし問題の根底にあるのは、この業界の商慣習の古さのようなものだと思う。自分たちが今までやってきた世界のやり方が全てで、いつも通りやってるだけなのになんでお前はその問題を指摘してくるんだと僕に言ってくるような人は根本的に想像力が足りてないというか、外の世界に自分たちの基準を暴力的に強要していることにあまりに無自覚だと思うのだけど、根本的な解決はこういった古い慣習がある種の経済的な合理性によって、塗り替えられていくことだと思うのだ。
例えばこれは全く別件なのだが、以前僕はある出版社にこんなことを依頼されてびっくりしたことがある。
それは僕の主催するレーベルから本を出している批評家さんへのオファーで、その老舗の出版社から出ている別の批評家さんとの対談相手として彼が指名され、都内の有名書店で合同の出版記念トークイベントをやらないかと言う話だった。光栄な話だと思ったので、僕は前向きに検討してほしいとその著者である批評家に伝えた。本人も二つ返事でオーケーしたので、そのトークイベントは開催されることになった。
ところが開催数日前になって、僕にその話を持ち込んできた老舗出版社の担当者(僕と同世代のベテラン編集者で、以前から親しい人だった)から、登壇者のギャラの半分を僕のほうで負担してほしいというものすごく申し訳なさそうな長文メールが届いた。
普通こういった企画では会場側がチケット代から登壇者のギャラを出すのだけれど、企画したと思われるその出版社がイベント会場となる書店側とそういう話にできなかったらしいらしい。そしてポイントはそのときこの老舗出版社が僕に負担してほしいと言ってきた金額はものすごく低く、なんというか、高校生のお小遣いに毛が生えたようなものだった。本当にこの金額で、彼らに登壇をお願いしていいのかと僕が心配になったが企画そのものはその老舗出版社のものなので、僕に口を挟む余地はなかった。
はっきり言って低い金額だったので、僕は即オーケーしたがこの金額を僕に出させるために、ベテラン編集者が長文のメールを僕に送ってくると言う現実に、むしろ打ちのめされた。
そしてイベントはつがなく終了し、その後、その老舗出版社は、著者たちを連れて打ち上げに消えていった(僕は飲み会が嫌いなので、基本的にそういうところにはいかない)。そしてこのときその老舗出版社からは、編集と営業を合わせて数名がイベントと打ち上げに参加していた。著者本人たちも含めるとこれから5名から6名の打ち上げが行われる計算になった。多分数万円の費用がかかったと思われる。
そこで僕はあれっと思った。この打ち上げの費用は、わざわざ担当者が僕に長文をメールを出して、僕に負担を要求してきた費用よりもはるかに多い。いや金額が少ないので、それ自体は別にどうでもいいのだが、何か根本的に間違ってるような気がした。
登壇者にイベントのギャラを払う予算は通らなくて、イベントそのものの実行には不必要な打ち上げの予算には、その数倍の経費が認められるのだ。
いや、そういったコミュニケーションが合理的だった時代もあるのかもしれない。しかしどう考えても21世紀の今は違うだろう。
実際に僕も編集者には接待で高い飯を奢られるよりも、最低限の倫理性を持ってハラスメントをしないことや、打ち合わせで合意した事はちゃんと実行してくれるほうがよほどありがたい。
先日、僕に対してよくこんな失礼なメールを仕事相手に送るなと思って呆れさせてくれた編集者の人は、結局僕にその件を謝罪したのだが、その謝るときに夜はほぼ毎日、何かしらの飲み会があって、夜にメールを返信すると、つい乱暴なコミュニケーションになってしまうと言い訳していた。
まぁ謝ってるので、そんなこともあるだろうと流したのだが、何かこれも根本的に間違えてる気が僕にはするのだ。この編集者も、特に僕に害意があるわけではなく、本当にそう思っているし、本当にそれを僕に言ってしまうことが失礼なことだと思い当たらないだけなのだ。この人に限らず本を作ることよりも、本を作るための環境作りと言う名目での村社会的なコミュニケーションの方が重要になって、本当に大切なことがおざなりになっているのではないかと僕は思う。
さて、その上で、僕が今考えているのは出版社体質を批判することではなく(いや言うべき事は言っておくべきだと思うのだけど)、そのオルタナティブを作ることだ。
正確に言うと、新しい出版社を作って、既存の出版社をやっつけてしまえと言うのではなく、既存の出版社にうまく使ってもらえるような仕組みを作って、僕たちの作るその仕組みを使って仕事をしてもらうことで、本を売る仕事もうまくいくし、結果的に業界の古い体質も直されていく……そんなシステムが作れないかなと言うことを今考え始めているのだ。
そして、僕がこういうことを考えるきっかけになったのは、明らかに箕輪厚介だ。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…
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