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仕事を「出す側」と「受ける側」の倫理について(出版社を例に考える)

さて、今日は職業倫理みたいなことについて考えてみたい。僕はフリーランスの物書きであり、独立系メディアの主催者でもある。だから発注する側と、される側の両方の気持ちが分かる。なかなか、こういう立場の人はいないと思う。だからこれから僕が書くことはたぶんちょっと貴重な意見で、たくさんの人に参考にして欲しい。

まず、会社員(特に大手のエリート)に言いたいのは、自分たちがめちゃくちゃ「強い」立場にいることを自覚して欲しいということだ。

さすがに最近はようやく社会問題化してきたのだけど、たとえば大手出版者とフリーランスの物書きの力関係の非対称性は深刻だ。出版はいまだに大手でも出版後に契約書を結ぶような業界なので、ほとんどの仕事は信頼関係ベースの口約束だ。だから、たとえば「こんな段取りでこんなプロモーションをしよう」と決めていたとしても、(伝統的にいいかげんな人が多いので)平気でサボられたりする。これは完全に「契約不履行」なので出版業界じゃなければ一発アウトな案件なのだけど、こういうことを大したことじゃないと思っている人が、特に上の世代にものすごく多い。

会社員編集者にとっては一年に何冊も出す本のうち一冊かもしれないが、出す方としては人生を賭けた代表作かもしれない。そんなケースで、適当に扱われて、ミスやサボタージュでコトがうまく運ばなかったら、その著者にとっては一生もののダメージになってしまう。そういうことを、ちゃんと理解して欲しいのだ。

そもそも、僕みたいな人間は給料が保証されてるわけではないので、稼働した分しか実入りがない。そういうことを特にエリートコースに乗った会社員様は想像することができずに、自分たちは何もせずに、著者を無限に稼働しようとしたりする。

そして僕がこの問題を口にすると、それこそ大手に勤務する友人の編集者とかはこう言うのだ。「宇野さん、そんなこと言うとめんどくさい著者だと思われて、出禁になりますよ」と。

これはつまり、僕たちフリーランスの物書きは版元に対して「奴隷」の奉仕を要求されるということだ。要するに、何をされてもニコニコと応対しないと「干される」のだ。

大組織のビニールハウスに守られていると、人間はどこまでも立場の弱い人間に対して傲慢になるのだなと改めて思った。

これはなんというか、端的に発注者と受注者の力関係を悪用した「ハラスメント」以上のものではなく、今後は積極的に告発されるようになるべきだと思う。

少し前にビックリしたのは僕に対して「自分の担当本で◯◯さんの批判をするな。するなら部数を下げる」と「脅迫」してきた編集者もいたことだ。ちなみにその人は僕を脅す過程でいくつも嘘をついていたりもして、かなり職業倫理が欠如していたと思う。

このときはさすがに僕が彼の上司にクレームを入れると、その上司が僕に謝罪して担当変更になったのだけど、出版社にはたまに狭い業界で何年も仕事をする中で一般常識を理解できなくなったり、業界の「空気」や社内事情ばかり考えるようになって倫理的にアウトなことを平気でやるようになってしまった人がいる。(さすがにこのレベルは珍しいが。)

これまではなんというか「そういう業界だから」で済んだのかもしれないけど、これからは弱い立場の相手に対するハラスメントとして告発されていくだろうし、単純にいろいろアウトなので思いあたる人はちゃんと反省するべきだと思う。

(あと、管理職の人は特にミスや不義理の言い訳に社内のアレコレを持ち出すのはやめるべきだ。そのアレコレ、僕らにはまったく関係ないし、あなたはアレコレを解決しないといけない立場なので。)

その一方で、僕は発注する側の人間でもあるので、クリエイターサイドの人に言いたいというか、気をつけたほうがいいと思うのは、出版者やメディアに「先生」扱いされることでプライドを満たすのはやめるべきだということだ。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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