なぜ日本人は恋愛が苦手になったのか?|戯曲『AIに聞いたら「いい時代ですね」とタイトルをつけた話』発想ノート①
はじめに
どうにもこうにも戯曲を書いても、上演できない。ネットに上げても、まあ、見事に読んでももらえない。さすがに辛いので、AIたんに聞いたら、発想ノートを書けというので、書いてみます。
本文
発想の種は、かなり昔からかつての日本は自由恋愛がメインではなく、家との結婚がメインであり、開国時に、自由恋愛という概念が入ってきたという事です。これが、面白いなと思っていました。
現代の感覚だと、「愛」という概念はかなり重要なのは間違いなく、映画でも小説でもマンガでもドラマでももう、愛が溢れまくってます。
左右上下前後どこを見ても愛だらけ。
愛を描くのも見るのも苦手な自分はかなり生きづらい。
それが実はそんな概念、昔はなかったですと。そもそも「愛」という概念がかなりキリスト教的であり、キリスト教にも嫌悪感がある自分には非常にしっくりくるというか、救われるような事で、頭に強く残っていました。
そして、始まりは、洋画を見ていて、欧米の若者は当たり前のようにパーティーに行く姿を見ていた時でした。これは日本人からしたら、かなり違和感で、まあ都会では当たり前なのかもしれないですが、そんなにパーティーを開いたり、行ったりする概念はありません。しかし、パーティーが日常にある世界では、自由恋愛がかなりやりやすそうです。人によるでしょうが、コミュニケーションの取り方がそもそも違う。
そこで降りてきた。 ああ、自由恋愛の概念は、このパーティー文化と密接に関係している概念ではないのか? しかし欧米型の「自由恋愛」は映画やドラマで刷り込まれたが、意外とこの「パーティーピープル」であるという事は日本に入ってきていない。そりゃ、恋愛が大変で、現在の恋愛に消極的な若者というニュース記事が出るわけだと思いました。 そこで、まず生まれたのが「パーティーピープル養成講座 初級編」という戯曲です。
次回に続きます。
今回話している戯曲はコチラ
松永恭昭謀(まつながひさあき)
和歌山を拠点に活動する劇作家・演出家。
不条理な世界や、和歌山を題材に戯曲を書いてます。
劇団和可代表。
