Sophiaの居場所〜Vの家にようこそ🥀①〜
Vは昔からSophia(ソフィア)という名前が好きだ。元はギリシャ語のΣΟΦΙΑであり、【叡智】を意味する。
ラテン語ではソフィア、フランス語ではソフィー (Sophie)、ヨーロッパで人気のある女性名である。
意味合いも響きも美しく、Vは女性の名前として理想だと感じていた。強い憧れを持つということは、つまりはVにはない部分だと認めているようなものだ。
「叡智不足? 」そんな四文字で呟くあたり、やはりVにはかなり不足している気がする。
そして、憧れの意味を持ったその名前を、娘に名付けて効果を期待してみようと思っていたものの、うっかりそれを忘れて日本人と結婚したV。笑止千万。
Vの計画性の無さと叡智不足は更に露呈した。誰にも言ってないけど。命名は叶わぬ夢となった。
無理に名付けることもできないわけではないが、そこで漢字の当て字を使って名付けてしまっては、本来の意味とは逆になってしまう。キラキラネームは意に反する。
やはりアルファベットのSophiaでなくては‥‥
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武智倫太郎氏の『ツンデレ童話』にマッチ売りの少女《ソフィア》が登場する。武智氏に命名の意図はお聞きしていないものの、おそらくこの賢い女の子に相応しい名前として選ばれたのではないかと。
とうきょうの高い塔にある王国、王の名前は「はげ」、臣民は王を「びじょん」と呼ぶ。
武智ファンにはお馴染みの登場人物だ。
この国のルールは単純だった。『未来を担保に、現在を買う』
王国のパンは焼けていなかった。だから王国は、焼けていないパンを売って、先に現金をもらった。それを決算書では『前払式先渡契約(前受けフォワー
ド)』と呼ぶ。
この国には、決算書よりも強い症がある。名前は『キャッチ22』。それは注記番号ではない。番号に見せかけた、制度の笑い方だ。
以下の引用も同様
マッチ売りのソフィアの前に、会計に詳しい黒い紳士が現れる。
『その火、売らない?火そのものじゃない。火を渡す約束だけでいい。今、現金をあげる。あとでモノで払えばいい』
紳士はソフィアにこんな取引を持ちかける。「それは借金ではないの?」と眉をひそめるソフィアに対して、これは取引であり、しかも安心な物理決算だと教える。
『物理決算?!』この辺りから、内容を理解する為に、Vは正座をした。
物語は展開する。
次の日、王国の広場では花火が上がった。『デリバティブ益』。決算の言葉は童話よりも強い。だれも内容を読まないからだ。
SBGの説明資料には、アリババ株のプリペイド・フオワードに関連したデリバティブ益が載る。臣民は安心した。『ほら、儲かった』
だがソフィアは知っていた。それは儲かったのではない。評価の出し入れで、寒さをごまかしただけだ。暖炉の前で笑っている間も、外では雪が積もる。それが財務だ。
童話の中で、企業財務が語られる。「誰も内容を読まない決算」と。シビアにシニカルにクールにグリグリとSBGの実情が暴かれる。
やがて恐ろしい音が鳴る。
その夜、マッチの火が消えた瞬間、遠くで通知音が鳴った。ちりん。ちりん。
紳士が言った。『まーじんこーる』
マージンコールだ。証券会社から追加資金を求められた! 投資家にとって恐ろしい通知。
デリバティブ益が出たのに! OpenAIが神さまなのに! とソフィアは驚く。
ソフィアは王国の財務を疑問視できる知恵を得て、この国のルール『未来を担保に、現在を買う』、こんなからくりに踊らされてはならないと知る。
賢いソフィアは再びマッチを売りに街に出る。金融の知識を得て、財務のからくりを知り、その上で、マッチを売らなければ生きられないことを改めて悟ったからだ。
武智氏のツンデレ童話の中でも、特にこの『つんでれ・まーじんこーる』は登場人物と背景のエッジが効いていて楽しい。時に詩的にシニカルに、財務の裏側を語る武智氏の比喩や言い回しが、軽やかで機知に富んでいる。
ひらがなのタイトルのおかげで煙に巻かれて、可愛い童話を想像したが、その実、こわ〜い大企業の財務状況を覗き見できる。
ご一読をお勧めする。
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さて、冒頭で『ソフィア』と『ソフィー』は同じ『叡智』の意味を持つと書いたが、こちらの物語ではソフィーだ。
ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』で、祖父ソニエールが残した暗号を解読し、主人公ラングドンと共に謎を究明する知的な捜査官、彼女もまたソフィーである。キリストの血脈の真実が明かされるこの壮大なミステリーのヒロインとして、ソフィーの名はいかにも相応しい。
名は体を表す。人は生まれてきて、親の願いを込めた名前を与えられ、ずっと呼び続けられると、やがて人柄や気質もその名前の通りの人になっていく。
子どもにソフィアと名付けて、毎日『叡智』という崇高な文字を思い浮かべて、期待を寄せて呼び続ければ、その子は暗号をさらりと解いてしまうような人に育つに違いない、と思ったわけだ。
Vのミステリー寄りの好みが、そこに願望として表れる。
子どもには名付けられなかったので、では何かにに名付けてみましょう、とVはある日思った。人形?しかしよく考えると、部屋にはその名に合いそうな人形がいない。
部屋にはリヤドロのハイポーセリン(磁器)の人形ばかりだ。寝室には長年の相棒、シュタイフ社のテディベアが並ぶ。
そういえば、ちゃんとガラスケースにいれて飾っておくようなタイプの人形を、何年も店で見た記憶がない。
バブルの頃は、高価な輸入品の縫いぐるみや抱き人形は子供服の店によく飾られていたけれど、バブル崩壊と共にそうした贅沢な品は見られなくなっていった。デパートのおもちゃ売り場に並ぶ物は安価な物ばかり。
お雛様🎎は高級品であるが、縁起物であるので、女の子が産まれれば、祖父母は当然のように購入する。別枠だ。
そうすると、ちゃんとしたお人形というのはどこに行ってしまったのだろう。
人形を長く所有し続けるというのは案外難しいことで、子供の頃持っていた布製の人形や塩ビ製の人形は、親が処分したり、結婚する時にどこかへしまい込んでしまった。
子どもの頃の人形は、お世話をよくしていた為に、ブラッシングしすぎて髪のカールはみな取れてボワボワになっていたし、洋服の洗濯を頻繁にしていた為に縮んで着られなくなってしまったり。
大人になってからは、ジェニーちゃんの可愛らしさにハマって、着替えのドレスを何着も揃えたものだが、娘たちは関心を寄せず、寧ろアンパンマンやカエルやウサギの縫いぐるみの方が好まれた。
「お人形が好きなのはママだけ」
とまだ小さい娘から冷静に言われたものだ。
その娘が成人後、「ママが好きそうだから」と限定版『風と共に去りぬ』の衣装のバービー人形をプレゼントしてもらったこともあった。
そのようにして、いつも人形はそばにいたものの、その子たちは、既にジェニーとかバービーと元々ぴったりの名前をつけられていた。
Vの脳裏にあるイメージ、ソフィアと名付けるような人形は、抱き人形くらいの大きさのビスクドールだろうと考えていた。
ビスクドールといっても、ジュモーの作品に代表されるような、古い時代のアンティークドールが欲しいわけではない。あの特徴的な、眉毛が繋がりがちの絵付けの顔ではなく、V好みの近代的な顔、自然な美しい顔の人形を欲しいものだと考えていた。
日本ではなかなか売っていなくても、ヨーロッパであれば見つかるだろうと考えたV。フランス旅行の最中、観光をしながら店を探してみた。いかにも優雅な人形が沢山ありそうな国なのに、まるで見つからず、がっかりした経験があった。
Vは姉にそれを話したたところ、たまたまその後、家族でイタリア旅行に行った姉が、ヴェネツィアでたまたま人形が沢山ある店を見つけ、お土産として持ち帰ってくれたのだった。
その一軒しか人形を扱う店はなく、そこは工房を兼ねているようだったと話してくれた。
小さなビスクドールは、現代風の可愛らしい顔をしており、手作りの衣装もヘッドドレスも美しく凝っている。ずらりと並ぶ全ての人形が、店オリジナルの違うデザインのドレスを身につけていたという。
美しいものを選ぶのに定評のある姉が、厳選して選んだその人形は格別に美しい子だった。

あるところにはあるのだ、と知ったV。その数ヶ月後、ヴェネツィアへ。自分でもその店を訪ね、その中からVの理想の顔と衣装の子を手に入れた。

そうして理想の人形を2体手に入れたVは、その後ずっとその子たちを大切にした。そして、もう別の人形と出会ったとしても、買うことはないだろうと考えていた。
既に理想の子が家に存在しているのだから、別の人形を見ると優劣を付けてしまう。あの子たち以下だと感じることそのものが失礼だ。
可愛がってあげられないとわかっている人形ならば手に入れるべきではない。
などと考えつつ、Vはその2体にソフィアとは名付けなかった。6〜7歳くらいの究極の美しさの女の子、五頭身の完璧なバランスの子たちには、もっと甘く可愛らしい名前の方が似合ったからである。
それから年月が経ち、再びヴェネツィアを訪れたVは、人形の足を制御するゴムが緩んだ為、買った店に修理に出そうと考えた。
その時のお話はこちらで ↓
もう製作者のおばあさんが引退してしまった為、今後は同じタイプの人形が買えなくなったと知ったV。もう店に出さずに、おばあさんが在庫として手元に残していた人形を3体買わせてもらったのだった。
移転した店を探し回って、その人形たちを手に入れたVは、ご機嫌で愛らしいイタリア人女性の名前を付けたのだった。
5体揃った人形たちはVの一番の宝物となった。そしてソフィアと命名するのはまたお預けとなった。
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イタリアから戻る途中、
「これでもうお人形を買うこともないだろうなぁ」とVは感慨深くOに話し、
「あれだけ揃ったしね」
とOも答えたのだった。
そんなVだったが、その舌の根も乾かないうちに、ドイツで次の人形を買うことになった。Vはさすがに躊躇したのだけれど、Oが後押ししたのだった。
VがOと一緒に犬を連れてよく出かけるアンティークマーケットは、広い敷地の木立の中に何百と店が出て、夏は涼しく快適で、冬は凍てつく寒さ。商品が多岐にわたり大変面白いので、寒い時期にも出かける、楽しい場所である。
いつものようにあちらこちらの店を気楽に眺めていると、Oが通路の先を指差す。
「あれ? 人形が沢山並んでる。珍しいな」
これまでは、プロの業者が絵画と一緒に1〜2体並べているとか、玩具を扱う店にたまに1体置いてあるとか、このマーケットではビスクドールは殆ど見たことがなかった。
塩ビ製の人形はごちゃごちゃと箱に入れられて、あちらこちらで売っている。そして案外子ども連れの人たちが選んで買っていく。
Vは、それらの積み上げられた人形が可哀想で正視できない。どんな経緯を経て、その人形はそこにあるのか、考えただけで辛くなる。
Vがそれを買うことはないけれども、誰か買って家に連れて帰って、可愛がってあげてほしい、とだけいつも願っている。
Oが指差した店に近づくと、いつもその辺りに店を出している人たちではなく、初めて見る業者の人たちで、商品は人形だけだ。とても珍しい。
Oに促されて、じゃあ見るだけね、とVが人形に近づくと、様々なドレス、様々な様子の人形の中に、一体だけ明らかに目立つ人形があった。
しばらく倉庫の中にでも置かれていたのか、ドレスと帽子は薄っすらと汚れているものの、腰まである長い巻き髪に乱れはない。50センチほどの背の高い人形だった。
大抵、一旦人の手に渡った人形は、髪が乱れたりリボンが取れたり、付属の小物が取れたりしているものだけれど、この人形は全体が整っている。よく見ると、ラベルがついたままだ。売れずに残った新古品のようだ。
このように大きなビスクドールを見たのは初めてだった。そしてこのような傾向の人形をこれまで見たことがなく、おそらくこれはドイツ製ではない、ドレスのデザインからしても、ハンガリーとかチェコのものではないかと、Vは推理した。
顔は優しげで穏やかな表情をしている。ドイツ製のはずはない。
ドイツの民族衣装の人形は素朴で可愛い。しかし、それ以外のヒラヒラしたドレスを着た抱き人形は、何というか‥‥顔を造形する考え方が何か違う‥‥というか、ぶっちゃけ変な顔が多かったのだ。
Vの捉え方の問題ではなく、おそらく世界共通で感じられる、『可愛らしさ』の定義から外れている気がした。
「人に流されない」という価値観を持ったドイツ人は、“Mia son Mia(私たちは私たち)”という信念の民族だ。人の真似をせず、一人一人の個人の価値を認め、自己肯定感が高い。
何かそうした意識が、人形の顔に反映しているのか‥‥
いやいや、女の子が好むお姫様っぽいお人形の話なのだから、それは違う。単に作り手のセンスの問題だろう。
ドイツ名産品の木彫りの人形は、あんなに可愛らしく美しいし、実際お手本となるような綺麗なドイツ人は沢山いる。こうしたリアルな顔の人形を作るにあたっての、美しさの捉え方の違いなのか。
それに加えて、人形の表情というものは、無表情、或いはごく自然な顔であってもらいたい。そうでなければ想像の余地がないではないか。
持ち主の気持ち次第で、ある時は幸せそうに見え、ある時は少しご機嫌斜めに見え、またある時は少し悲しげであったり。それでこそ持ち主と人形の対話が成り立つというものだ。
最初から高笑いしている人形とか、酷く仏頂面している人形も見たことがあるけれど、そこにはそれ以上の何の感情も見てとれない。
そんなこれまでの人形との出会いをあれこれ逡巡するV。
このような大型の人形を手にしたのは初めてであった。手にしたものの、どうしたものかと考えていると、Oから、
「その人形どう?」と訊かれた。
えーっっ‥‥人形と目が合うと、買わない理由が見つからなかった。あるとすれば、こんなに大きい子をどこに飾るのよ、という問題だけだ。
この日よりも少し前に、Oは40センチほどの幅の布張りのソファをマーケットで見つけ、お人形を座らせればいい、と買っていた。
いつからお人形の家具を自ら買う人になったのか‥‥
しかし、家にあるヴェネツィアの人形たちは小さいのでサイズ感が合わず、椅子にはテディベアを乗せていたのだった。
あのソファは多分この人形のサイズに合うはず、とVは思った。
こんなに大きい子が家に来たら、どうなるだろう、大きい人形は印象も強いし、このガラスの瞳を夜見たら怖い、とか何も問題はないだろうか。
そして、Vは少し不安を感じつつも、この子は連れて帰って、この子の雰囲気に相応しい暮らしをさせてあげるのが正解だと決めたのだった。
人形は、背がすらりと高く、帽子と洋服が良く似合っている。デザインは凝っていて綺麗だけれど、素材は人形の服にありがちなポリエステル。とはいえポリエステルの生地なら洗濯もしやすいというものだ。
ヴェネツィアのあの店のおばあさんだったら、こういう大きな人形にも、すばらしい素材のドレスをあつらえるだろうな、と思い出す。
改めてよく見ると、この人形のコンセプトは大人の女性だ。デコルテが美しく滑らかで、ドロップショルダーのドレスは、女性らしい身体にフィットしたデザインだ。
この人形は子ども向けのものではない、とVは思った。ビスクドールにこれだけ丁寧に女性らしい肉付きを再現した子は少ないのだ。ガラスケースに保管して大事にされる種類の子。
家に持ち帰って、早速ドレスと帽子を脱がせて洗濯した。長い間溜まった埃の茶色の汚れが流れ出る。
脱がす時に、ドレスが精巧に作られているのに気づく。立体的な上半身、腕にぴったりと作られている為に、脱がすのも一苦労なほど。
これは立体裁断で製作された良いドレスだ。作るのは難しい。良いお人形の証。
人形を丁寧に綺麗にする。といっても本体に汚れは見当たらないので、消毒して清潔な状態に。丁寧に柔らかい布で拭き取る。
ドレスと帽子が乾くまで、人形はふわふわのバスタオルで包んでおいた。
その時点で、人形にはまだよそよそしい雰囲気を感じていた。本来のドレスを脱がされて嫌だろう、と感じて、
「明日の朝まで休んでいてね」と声を掛ける。そしてリビングのテーブルの上にそっと寝かせた。
寝かせておかないと、少し怖かったから。馴染みがない人形というのは、独特の空気を放つ。
翌朝、乾いたドレスと帽子を身につけさせる。するとすっかり綺麗になった人形からは、昨夜のよそよそしい空気は微塵も感じられない。
ソファに座らせてみるとサイズ感もぴったりで、この子の為のソファのよう。
ドレスを広げて座る姿は、居心地良さそうに寛いでいるようだ。明るい瞳からは喜びを感じる。ずっと前からその場所にいたかのように、部屋に馴染んでいる。


『この子はうちに来て良かったのだ』とこの時初めてVは思った。うちの子だ。
そしてこの子がソフィアだ、と感じた。とうとうソフィアが家にやって来た。
前日、人形を綺麗にした時に、首の二重のパール(風)のネックレスは接着されているのに気がついた。二重のパールはお似合いだけれど、そこに付けられた大きめのトップはどうだろう。色や形に違和感があり、好きではない。これはドレスに似合わない!と迷わずペンチで外した。
ソファに落ち着いたソフィアを眺めると、余計なネックレスの飾りを無くしてすっきりしたものの、今度は胸元が少し寂しい。
『ここにはブローチを付けよう』
ブローチといっても、普通のブローチでは人形には大きすぎる。
別の街のマーケットに、優雅なアンティークのガラスボタンを売っている店があったことを、Vは思い出していた。
次の週、そちらのマーケットに出かける。目的の店は常設の店なので、いつものように美しいガラスボタンやアンティークレースが並べられていた。
サイズを選び、一個購入。7mmほどの小さなものだけれど、ガラスのアンティークボタンは、ボタンとしては高価だ。この人形を買った時と同じくらいの値段で、笑ってしまう。
人形のドレスに縫い付けると、サイズ感がぴったりで宝石のブローチのように見える。これで完成。元々のペンダントトップが付いていた時より、可愛らしくなった。

買ったボタンを縫い付けたからね、という意味で
この胸元アップの写真を「ほら♪」とOに見せたところ、
「あれ? ママこんな服持ってたっけ?」と。
口元と髪の感じが、Vに見えたそうで。
Vは人形の顔を改めてじっくりと眺めた。優しい気取りがない顔立ち、目が活き活きしている。面白いことを見つけるのが好きで、謎解きやパズルに夢中になるタイプだ、と感じた。
貴族の息女に生まれついたものの、活発で賢く、興味を惹かれることには首を突っ込むタイプ。乗馬好き🐎
暗号を解き、事件を解決に導いたり、大胆で少し危険な目に遭いつつも、主人公の手助けをしに事件に飛び込んでいくような女性像が浮かんだ。
アガサ・クリスティのミステリー『なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?』の主人公ボビィの幼馴染、お転婆な伯爵令嬢フランシス(フランキー)のように思えた。

『なぜ、エヴァンスに頼まなかったのか?』
純朴で誠実な牧師の息子ボビィとは身分の差があるものの、グイグイ近づくお嬢様フランキー。
探偵ではないこの二人が、失敗して頭を抱えたりしながらも前に進み、じっとりと暗く重い事件を解決に導くストーリーはとても面白く、納得のいく爽快なラストを迎える。
長いこと準備していた名前《ソフィア》を、やっと人形に名付けられた。
Vはそっと人形を抱き上げる。先住の人形や縫いぐるみの諸先輩方に、
「この子はソフィアちゃん。みんな宜しくね」
とソフィアに頭を下げさせて、挨拶回りを済ませた。
Vの小さい頃からの慣わしだ。人形でも縫いぐるみでも、新人は先輩に挨拶をして、家への仲間入りをするのだ。
『すごく大きい子ね』
『お顔が大人よ』
『お胸があるわ』
小さな先輩たちの囁きが聞こえてきたようだった。
—了—
【あとがき】
武智倫太郎氏の新作で、拙稿をご紹介いただき、その中で《Sophia》の意味するところが語られている。
Vの何気ない行動や認識は、武智氏により定義付けされる。現象として科学的な解となる。
未完成の人間だけが直観に救われる。
完成した人間はマニュアルで生きるが、未完成の人間だけが感覚を頼り、Sophiaという未到達の名前を燃料にする。
到達した瞬間に名前は死ぬが、未完である限りそれは光り続ける。名前は所有物ではなく未来から届く信号であり、人間はそれに追いつく途中にいる。
お人形の話を書いたところで、人に理解されるの
だろうか、との微かな迷いの中で書いたこの『Sophiaの居場所』。
元々は武智氏の『つんでれ • まーじんこーる』のコメント欄に「うちにもソフィアがいます」と書いたことが始まりだった。
そのコメントに対して、思いがけず武智氏から返信をいただいた。「どの人形が『Sophia』なのか」という問いであった。
『おや? 我が家の人形の話に、関心を向けていただいた』
意外だ。意外だった。
Vは長く人形と暮らしてきたものの、人形そのものを語ったことはなかった。関心のない人に話せば揶揄されるからだ。「いまだにお人形さんごっこをしているのか」と。
ごっこではない、人形の存在には意味があるのだ、と語ったところで大抵理解はされない。酔狂な道楽と捉えられて終わりだ。
しかしno+eに関わる人々は、こうして《人形》を語ってみても、それを特殊なこととして捉えず、そこに何らかの意味を見出してくださる。多様性への許容度の高さを感じる。
常日頃から『書く、読む』人々は、目の前に起こる出来事を柔軟に受け入れ、咀嚼して、それぞれの価値として認められる人々だということなのだろう。
Vがno+eを『自分の居場所』と決めたことは、必然であったのだ。
ふと「『no+e』とは何か」を検索したあの時の直感は、未来からの示唆であったに違いない。
その後、今度は男の子の人形がやってきた。
再びVの頭の中に、この子の名前が落ちてきたのだ。
その話はこちらで↓
