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過去生が導く?歌への憧れ〜ローレライ岩を望んで歌う『ローレライ』〜

「客席の2階に届けるように意識して! 声を響かせて!」
声楽の師匠は繰り返しそう言った。
 腹式呼吸の要領で、呼吸と声を出す方法を繰り返し練習する。身体全体が声になったような感覚も、時折やってくる。

 声楽を習い始めたのは、過去生を見てくれたYさんのアドバイスによる。

 20年前のことになる。仕事は順調であったものの、忙しすぎて疲れが出ていた。今後はどうしたものかとふと思った時、ファッション雑誌に『過去生を見るYさん」のことが掲載されていた。大人気で予約もままならないという。何が、どう良いのかはわからない。

 当時、自分の過去生を見てもらうのはお流行りだった。占いよりもちょっとスピリチュアル、自分の過去と現在の接点、わかるものならば知りたい、と思う人は多いことだろう。
 真偽のほどはわからないまでも、ロマンがあるではないか。

 当時、周囲の女性たちは、何か悩むと占いに行くという人が多く、それこそ美容院やネイルサロンに行くくらいの感覚で足を運んでいるようだった。 
 形は違えど、自分の為の癒しや楽しみという点では似たようなもの。それに、誰でも客観的なアドバイザーはほしいものだ。

 手相などの占いには2、3回行ったことはあったものの、過去生は別ジャンルだ。興味津々でYさんに電話で予約をしたところ、3ヶ月待ちであった。場所は都内。
 姉も評判を知って興味を持ち、一緒に行くこととなった。

 待ち期間3ヶ月なんてあっという間だと思っていた。しかし、予約直後にアキレス腱を完全断裂させてしまって入院する。いつまでに、どの程度治るのか、初めての経験でわからない。
 都内まで行かなければいけないので、予約は諦めるしかないかと思いつつ、治るかもしれないと楽観視して、キャンセルはしないことにした。
 

 手術をして1ヶ月入院し、その後はリハビリに通い、順調に回復する。片側だけの松葉杖使用で歩けるようになった頃、予約の日が近づいていた。
 間に合った!  そこに行くのは運命に違いない、と決める。私はこういうタイミングが妙にピタリとはまるのだ。

 仕事をしたくても、出社の条件は、全快が条件だと上司から言われていた。医師によると「全快」とは「走ることができる状態」だと言う。それはまだ当分無理だ。
「勿論まだ診断書は書けませんからね!」とのこと。
であるから、まだまだ自宅療養を続けるしかない時期であった。



 さて、片側だけ松葉杖の状態ではあったものの、都内まで出てしまえば、Yさんの指定したサロンの駅は近い。さほど歩くこともない。そう考えると行っても大丈夫そうだ。 
 病院が好きとはいえ、さすがに家と病院だけの往復の毎日も飽きてきていた。外の世界の空気が懐かしい。
 
 ということで、都内に向かう。
 過去生を見てもらって、姉とお茶を飲んでお喋りして帰って来るのだ♪
 姉と駅で待ち合わせて、興味津々でYさんの元へ向かったのだった。


 Yさんは最寄りの駅まで迎えに出てくれていた。すうっと引き込まれるような、静かな雰囲気の女性だ。

 私が最初に過去生を見てもらう。お香が焚かれた静かなサロンの一室、Yさんは瞑想状態に入る前に、
「あなたの過去生を知る、宇宙の高次の次元にいる存在に尋ねます。3人のうちの一人を選んでください」
と、見えない世界に存在する三人の存在、そして私自身のハイヤーセルフ(高次元の自己)の話をされた。

 それ以上の説明はなし。過去生を見てもらう、というのは、こうしたスピリチュアルな世界の知識を多少知っておいて、それをそのまま受け入れることが必要だ。
「輪廻転生はある」と信じる前提がなければ、過去生の話は進まない。

 『え〜っと‥‥高次の次元の存在? ハイヤーセルフ?』なんとなくは分かるが、まだ心から話について行ってはいない。私は戸惑いつつも、一人の名前を選んだ。

「わかりました」、とYさんは目を瞑り瞑想状態に入り、しばらくの時間を経て語り始めた。

 その一人の存在が語ることを、Yさんが言葉にして、私に伝える。
 私の過去生、家族との関係、今後担うべきべき役割。手相や四柱推命などの占いでは聞いたことがない事柄が、彼女の口を通して、次々と語られる。

 やがて瞑想状態から戻った彼女が、「何か他に質問はありますか?」と尋ねるので、仕事の忙しさに追われ、趣味もなく、ただただ日々を過ごしている、と話した。

 するとYさんは静かに笑い、
「あなたはね、歌えばいいんですよ。過去のあなたは、喜びを持って、歌うことを生涯の職業にしていたのですから。歌うことによってあなたは満たされます」
と答えた。

 私の過去生は、ヴェネツィアの劇場の経営者の娘で、父親の勧めで歌い手となり、職業として日々歌い続けていた、という。

 この話は出来すぎている、と思った。ヴェネツィアの劇場って、フェ二ーチェ劇場?
 この人は私の雰囲気を見て、傾向的にそう判断したのではないか、と猜疑心が生まれる。実際「オペラ歌手の人みたい」、と久しぶりに会った友人から言われたことがあった。巻き髪だけ見ても、そのような見方をする人もいる。
 このように猜疑心を持つような人は、本来見てもらうべきではない、と思いつつ😅、黙って話を聞く。
  

 私がヴェネツィアをどれだけ好きで、幼い頃からどれだけ憧れてきたかということなどは、彼女には勿論話していない。それどころか、事前に誕生日などの個人情報も、趣味も一切訊かれてもいない。



 「当たるも八卦当たらぬも八卦」
いや、過去生は、そもそも占いではないので、当たっていようがいまいが、立証できるものではない。そもそも輪廻転生だって、あるのかないのかもわからないことだ。

 また占いというのは、生年月日や血液型など、統計学で得られる情報に加え、大抵の占い師は占う相手の見た目や気配も含めて答えを出している筈だ。
 服装や髪型、顔つき、話し方、髪や肌、爪の質感で、どんな人なのか、どんな生活をしているか、大体判断がつく。

 [人間は見た目9割]、当時よくビジネス本のタイトルになっていた言葉。これは真実だと思っていた。人の印象というのはそういうものだ。私ですらそれは判断できることであり、仕事の上でも、自分の目で見た印象で対応していたし、それは大抵当たっていたのだった。

 であるから、Yさんの言葉も、私の印象から、ヴェネツィアに憧れるタイプ!と判断して語っているのだろうと思った。

 『私はそんなことではしゃぎません』、と少し冷めた気持ちを抱きつつ、それでもここまで来たのだから、と話を聞く。

 その後、彼女は沢山の事を語った。何故それがわかる?  と驚く内容が続く。その過去生での私が、現在の私自身の生き方と妙にリンクしてくるのだ。

 広い世界の中の、一都市ヴェネツィアをなぜそこまで語る? と思うほど、やけに具体的な過去の私の人生が語られる。

 次第に鳥肌が立った。勿論それは実証できることではない。けれども占いとは違う何かが、その言葉の中にあり、優しく語られる過去の私、今の私、亡くなった親との関係性、それらを聞くうちに感動すらも覚えたのだった。

 Yさんは、そのサロンを訪れる女性たちに向かって、『あなたはヨーロッパのお姫様だった』とか、『女優だった』とかいうような一見ご機嫌な、華やかな過去生話ばかりするわけではない。
 Yさんが優しく語る、『妙にリアルで具体的な話』に驚いた体験者からの口コミが広がり、人気が出ていたようだった。

 私の姉は、私よりずっと華やかな外見であるが、過去生は、出身の〇〇県で暮らし、生涯そこを離れなかったと告げられたという。その地に縁が深いのだ、と。ちなみに事前に姉は出身県を明かしてはいない。
 姉は「地味な過去生」だと不満顔だったが、語られた性格や行動、過ごした生涯の話には妙な具体性があり、随分驚いていたのだった。
 また、ここが妙に気に入った姉は、その後2回Yさんに見てもらったという。

 不思議な体験だった。


 その後、足が治り(整形外科の医師に強めに頼んで、早目に『全快』の診断書を書いてもらった)、仕事に復帰すると同時に、私は早速声楽の師匠を探した。
 紹介してくれる人が現れ、師匠の示すお稽古の条件も合い、またその師匠の歌は大変素晴らしいことに感動し、自宅を兼ねたお稽古場に週に一度通うこととなった。

 グランドピアノが置かれたお稽古部屋は、花が沢山飾られ、優美な家具に囲まれたサロンとなっていた。ヨーロッパの雰囲気が漂い、お稽古の後は、繊細な絵付けの茶器で紅茶が出された。
 師匠は大変ほっそりとした70歳を越えた女性であったが、歌うとガラス窓が震えるほどの声量であった。
 お稽古は厳しく、最初からスパルタで声の出し方を指導されたのだった。

 私は全くの素人である。しかし発声法を一から学び、師匠の真似をし、腹式呼吸を繰り返し、数回通う頃には、それなりの声が出るようになった。喉を使わず、身体から声を出す感覚が掴めたのだ。その代わりにカラオケでは歌えなくなった。

 喉を使って歌う、自分のキーに合う好きな歌謡曲、会社の飲み会の二次会でよく歌っていた歌も、声の出し方がわからなくなっていた。
 その為カラオケでは薬師丸ひろ子さんの歌を選ぶようにしていた。あの人の歌は表声と裏声の切り替えがなく、声楽的な声の出し方に似ていると気づいたからだ。


 お稽古で使っていたテキストは、唱歌が載っている楽譜集を自分で選び、その中から師匠と相談しながら曲を選んでいた。
 小学校・中学校時代の音楽の教科書に載っていた歌、母が好んで鼻歌を歌っていた古い歌、懐かしい歌の数々。一番初めは歌いやすいからと『浜辺の歌』に決まった。

 その後は、『サンタ・ルチア』、『モルダウ』、『帰れソレントへ』など、懐かしい歌が続いて楽しかった。

 『モルダウ』にはトラウマがあって、中学の時、音楽の歌唱のテストがある日に風邪で休んだ私は、翌週全員の前で一人で歌わされたのだった。
 歌い終わっての、教師からの講評は、
「音程は良いけれど、声が小さい」だった。まぁそうだろうな、と自分でも思った。

 音楽の授業を思い出していただきたい。教科書に載っている歌はそもそもキーが高いのだ。アルトの音域の私には大変歌いにくい。
 大人になってから、カラオケで自分に合うキー(或いは調整して)で歌った時の爽快感といったら!

 それに学校では、歌い方の指導はされなかった。皆、自分の歌い方で歌うだけ。大概の生徒は喉に力を入れる歌い方であり、表声で歌える範囲は歌い、高音部は裏声で歌う。

 その歌い方では、ピアノ伴奏に負けないような大きな歌声は出ない。教師は「お腹から声を出せ」、と言うだけで、実際の『お腹から』声を出す、歌唱そのものの指導はなかった。
 私の歌のテストはそんな感じで、中途半端な声で歌って終了した。そういう訳で、『モルダウ』は長い間トラウマであった。

 それがまあ、声楽の歌い方ならば、同じ『モルダウ』を同じ人間が歌っているというのに、大変大きな声で歌えるようになった。腹式呼吸の要領で、師匠から教わった、遠くへ響かせる声楽独特の歌い方をすれば、表声、裏声を切り替えることをせずとも歌えるのだ。
 中学のあのテストの時、これを習っていれば、倍くらいの大きな声で歌えたのに、と悔やまれた。


 さて、ある日課題曲は『ローレライ』に進んだ。ハイネの詩が翻訳されたこの歌詞に改めて向き合ってみると、これほど抒情的で美しい歌であったのか、と思う。岩の上の妖しい乙女に幻惑された船乗りが、次々とライン川で命を失うストーリーは、考えてみるととても怖い。

 子どもの頃は、教科書に当然のように載っていたけれど、時代は移り変わり、古風な文語調の歌詞の歌は教科書から消えている。それが残念だ。
 言葉は難しくとも、美しい歌は沢山あるのに。


 現代の教科書には、有名な合唱曲や唱歌に加え、歌謡曲が増えた。歌手本人が歌えば素晴らしい歌であっても、ピアノ伴奏の合唱にすると、歌いにくい上、大変凡庸な歌になることが多い。安っぽくなる。

 小中学の音楽では、真っ当な合唱曲を、真っ当に歌ってこそ美しい響きになるのに、と思う。歌謡曲では、いくら名曲であったとしても、いくら好きであったとしても、合唱の場合は別。

 音楽会など、クラス対抗で合唱を競ったとしたら、真っ当な合唱曲が勝つのは当然なのだ。
 一生懸命生徒たちが練習した『大地讃頌」とか。感動して親は泣く。
 
 たとえ少し下手くそだったしても、名曲というのは、不思議と練習した努力の痕跡が感じられるものだ。
 聴く人はそこに感動する。





ローレライ

作詞:近藤朔風   作曲:FRIEDRICH SILCHER

なじかは知らねど 心わびて
昔の伝説は そぞろ身にしむ
さびしく暮れゆく ラインの流れ
入り日に山々 あかく映ゆる

美わし乙女の 巖に立ちて
黄金のくしとり 髪のみだれを
ときつつ口ずさむ 歌の声の
くすしき魔力に 魂もまよう

こぎゆく舟びと 歌にあこがれ
岩根も見やらず 仰げばやがて
波間に沈むる ひとも舟も
くすしき魔歌 歌うローレライ

 
 さて、『ローレライ』の練習を始めて3週となり、まあまあ歌えるようになった私を師匠は褒めてくれた。
 お茶をいただきながら、その頃芽生えていた望みを口にしてみる。

 「先生、私この歌がとても好きなので、今度ドイツに行ったら、ライン川のほとりで、ローレライ岩を眺めながら、歌って来ます」

「え? ‥‥あら、そう」
師匠は微妙な顔で、微妙な返事だった。

 それから20年の年月が過ぎ去った。ドイツで暮らすようになり、犬の為に車を買ったことで、私の願った小さな夢は幾つも叶えられた。
 最も長く、半世紀近く願っていた夢、車でヴェネツィアに買い物に行く夢も実現した。
 そうなってくると、他にもやりたいと思う事は小さいことでも叶えたい、という気になってくる。

 夫にローレライの案件を話すと、
「え?! ‥‥ふ〜ん」と、あの時の師匠のような微妙な返答のみ。
『うちの妻の夢は、旅の目的としては、どれも地味で、そして何か変だ』と顔に書いてある。でも気にしない。

 そしてその機会は訪れた。ローテンブルクから始まり、ケルンに向かう旅に出た。その途中、ライン川に沿って北上するのだ。

 《ドイツの父なる川》といわれるライン川は、スイスの山中に源を発して、オランダのロッテルダムで北海に注ぐ1230キロの川だ。地理で勉強したことはほぼ忘れてしまったが、この覚えやすい距離は頭に残っていた。そして覚えていても披露する機会はまずない。


 ライン川の岸辺は、葡萄畑が広がる風光明媚な地、まずコプレンツから観光を始める。 このゴブレンツからマインツまでは、ロマンティック・ラインと呼ばれ、世界遺産に登録されている。


ライン川とモーゼル川の合流地点


 ゴブレンツの街は、ライン川とモーゼル川が合流する地点で、水上交通の要衝として、古くから発展していた。ローマ人が2000年以上前に建設したと言われている。
 合流する川を眺められるポイントに立つ。二つの川の流れは豊かで、雄大である。多くの人が訪れ、自然が生み出したこの景色をいつまでも眺めていた。

 ここからライン川に沿って進むと、両側には城が続く。右に左に、車で3分ほど進むと、すぐまた別の城が現れる。城好きの私は大騒ぎ🏰✨✨






 次の目的地リューデスハイムまでの間に、城は10程見られた。川のほとりの街の背後、山の中腹に次々と姿を表す。
 ねずみ城、ねこ城、シュターレック城、ラインシュタイン城、マルクスブルク城、シュトルツェンフェルスカ城‥‥等々。

 ライン川の流れだけでも見事な風景であるのに、そこにこれだけの城!  この地を音楽家や詩人が好んで讃えたのがよくわかる風景だ。


 夫が行きたがっていたリューデスハイムに到着する。ここは《ラインの真珠》と呼ばれる美しい街。

つぐみ横丁


 ワインの産地としてよく知られた街で、『つぐみ横丁』と呼ばれる細い路地は最も賑わう場所である。ワイン酒場、レストラン、土産物店が軒を連ねる。
 お昼を食べたり、買い物をしたり、ひと時をここで過ごした。お土産は勿論ワイン🍷 何本か買い込んで、街を後にする。




 ライン川には多くの船が行き交う。観光船は、マインツ〜コプレンツを往復している。また、もう少し距離の短い、リューデスハイム〜ザングト・ゴアルスハウゼン間も人気だ。
 このルートの途中にある有名な岩山、そこがローレライである。


 ローレライに近づいているのだと思うと胸が高まる。

 ロマンティック・ラインは、列車を使うのでは、街から街への移動が大変である。また、ローレライ岩は観光船から眺めるのが最も全体像が見える。しかし岸に近づくのは危険なので、遠くから眺めることになる。

 昔から興味はあったものの、ツァー以外だと、この幾つかの街に行くのは難しい。その為断念していた。
 更にローレライは街と街の間で、他に何もない場所である。結局車がないと行かれない、難しい場所なのだ。

 リューデスハイムを出て10分ほど。周囲には家もなく、車の右側は急に険しい風景に変わった。岩が切り立っている。
 夫が「そろそろ右側に見えると思うんだけど」と言う。
 私が検索した情報では、「道を進むと右側に岩山が見えてきて、下の方に[ローレライ]のプレートが付けられている」とのことだ。

 助手席側の私が見つけねばならない、と思って右を見た瞬間、プレートを発見した!  
 先程から右に見えていた岩の壁は、ローレライ岩だったのだ。一瞬で通り過ぎたが、確かにプレートの【LORELEY】の文字を確認できた。
「あった!!!」と叫ぶ。

撮った写真に写り込む自転車のおじさん🚲


 窓から見上げると大変な高さの岩山だ。《ローレライ》の歌詞から私がイメージしていたのは、幻の乙女が立つもう少し小ぶりな岩だった。
 スケール感が違う。山である。岩山。

 カーブを曲がり切ると、左側に駐車場があった。夫は安堵して車を停める。
 他には何もない静かな川のほとり。これだけ有名な岩だ、一応説明板はある。岩を眺め、歌詞にあったような光景を想像し、落ち着いて写真を撮るには、丁度良い位置である。



岩を通り過ぎて、やっと道は少し広くなる



 全体像がわかりにくいので、見出し画像に使った絵でご説明しよう。

 我々はこの絵の中央奥方面から、岩山に沿ったライン川沿いギリギリの道をやって来て、左側に抜けた。上に載せた写真の道端の駐車場は、絵の左端、ローレライ岩を通り越して、道がやっと少しだけ広くなった辺りだ。
 
 ここに来て、ローレライ岩は観光船から眺めるのが一番見やすいことを改めて実感する。船からは上の絵のような景色が望めるだろう。
 先程の岩山に沿った急カーブは、道幅がとても狭く、通り過ぎるまで、岩山を眺めるどころではない。

 この場所に来るのは車以外では無理であるし、駐車場もさして広くないので、観光バスが寄る雰囲気もない。 他に何もないので、余程ここに興味がなければ、来ても困るだけだろう。
 岩山には登るルートがあるので、軽い登山のように登って、頂上からライン川を見下ろし、ローレライの世界観を味わう人もいるようだ。
 

 しかしここは私には好都合だ。車は停まっているものの他に誰もいないので、ローレライ岩に向かって歌うには実に好都合。観光船の上では大きい声で歌など歌えるはずもない。
 目の前に聳える岩山は端っこの方であるけれど、高く大きく、迫ってくるようだ。


 【ローレライ岩にまつわる歴史と伝説】

 ローレライとは、ライン川に突き出た岩山の名前で、「妖精の岩」という意味がある。このあたりは、ライン川の川幅が急に狭まるうえに急カーブ、さらに川底には岩礁があり、目の前に高さ約130mの岩壁が突き出ているという難所だったため、船の転覆事故が絶えなかった。
 これらの事故は妖精や山の精が引き起こすという伝説があったといわれるが、岩山の上で歌う妖しい乙女の歌声が、船乗りを惑わし転覆させるという話は、19世紀にロマン派の詩人たちによって生まれた。特にハイネの詩に、ズイルヒャーが曲を付けた歌曲は有名で、ローレライの名が広く知れ渡った。

地球の歩き方2023〜2024年版『ドイツ』より


 とうとう辿り着いたこの場所で、ローレライ岩を眺めながら、歌うローレライ。

 川は大きくこの場所で大きく蛇行し、船乗りたちは船の運行に苦心したことだろう。座礁や転覆事故も多く、難所であったことは容易に想像がつく。

 周囲のことは気にせず歌っていた。その日、実はライン川が見えてから、車の中でずっと歌いっぱなしであったので、声もかなり調子良く出ていたのだった。

 そして2番の途中を歌っている時、風が突然強く吹いてきて、『おや?」と思った。
 僅か二、三秒後、土砂降りとなった。これはドイツではよくあることだ。
 大粒の雨が叩きつけるように落ちてくる。そして、たったの二、三秒で暴風雨となる。逃げる暇がない。
 車のすぐ近くにいたというのに、全身がびしょ濡れになった。

「これはいけない💦」と夫は車を発進させた。あまりに激しい雨で、危険を感じて移動する方を選んだのだ。

 そして、走り出してまだ1分も経たないうちに気がついた。あの場所から300mと走っていないというのに、雨は止んでいる。止んだというより、そもそも降っていない。道は乾いている。一滴も降った様子はない。
 
 信じられなかった。私たちがいた駐車場の周囲だけが、あの暴風雨に巻き込まれたのだった。

「ねぇ、もしかして私の歌、神の怒りを買った💦?!」
思わず夫に訊いてみる。
「う〜ん‥‥まぁ大丈夫じゃない? すぐあそこを離れたし」
と真顔で答えられた。大いに疑いがあるという口ぶりだ。

 岩のそばは、かつて多くの船乗りが船の転覆で亡くなった場所だ。鎮魂の思いを抱いて、自重すべきであったかもしれないけれど、単に歌いたかったから、
『ローレライ岩を眺めながら、ローレライを歌ってみた』私。

 不遜な行為だ。不遜極まりない‥‥

 プロならまだしも。素人が声楽の歌い方をすると、ふざけているように聞こえるものだ。本人は大真面目であっても。
 習っていた頃からも年月が経っている。歴史のある場所でふざけた私(実際は本当に大真面目)に、神が怒りを与えたようにしか思えない出来事だった。
 
 ケルン方面に向かって車は走る。お天気はずっと元通りの良い天気のままだ。次第に気分も晴れた。

「まぁ、岩を見ながら歌えたのは2番の途中までだったけど、取り敢えず目的は果たしたということで!」
と宣言し、やったぁ🙌🏻と万歳してみる。
 先程反省した、己の不遜な態度と思ったことは既に忘れている。

『あなたは歌うことで満たされるのです』
Yさんの言葉が蘇る。

 先程雨で中断した歌の続きを歌う。

 1番から3番までのフルコーラスを、私はずっと歌い続ける。



                   —完—




【あとがき】
 見出し画像は、ケルン大聖堂近くのアンティークマーケットで見つけた『ローレライ岩』の銅版画。

 単なる偶然とは思うが、この絵を買って家に飾ってから、帽子を失くす、足を痛める、置物を割る、忘れ物をする、などトラブル続きとなった。

 ローレライの呪いかも、という気分になった。歌は真剣に歌っていたのだけれど、この際やむを得ない。お詫びするしかない。
 考えた末、絵の周りに木彫りのマリア像、天使像を幾つか飾り、花を生け、ワイン🍷を供え、毎日、
『ふざけてすみませんでした🙇‍♀️』
とお詫びをしたところ、やがてトラブルは収まった。

 何だったのだろう、あれは。



🌟【追加あとがき 感想文をお書きいただきました】

 私がこのエッセイを書き上げた後、すぐに投稿せず、一日置いて公開しようとした為に、いつもより多く推敲する時間が生まれてしまった。
 今回は内容に『なんのはなしですか』的要素があるかも、と思い、コニシ木の子様に回収していただく為、月曜まで投稿を伸ばしたのだった。

 そもそも私の力で書けることは限界がある。直しても直しても、さほど変わらない上、更に長くなる。推敲の意味はあるのだろうか、と思いつつ、せめて少しでもすっきりした内容にしたいと、直し続けた。月曜になった段階で、もうこれで良し!と投稿したわけだが‥‥

 それから僅か数時間後、あっという間に武智倫太郎様は、このエッセイの感想文を投稿なさった。朝食のサラダを盛り付けようとしていた時、それがお知らせに挙がったスマホ画面をうっかり見てしまい、『は?!』と箸からトマト🍅がボトンと落ちた。

 私が自分の記事を長い時間ぽちぽち入力し、推敲しているのか改悪しているのかわからない読み直しに時間をかけ、やっと投稿したと思った直後、武智氏は鮮やかに、読み応えのある美しい感想文を、幻想的なイラストを添えられて投稿なさった。
 私のエッセイに対してとは思えないほどのご評価と、詳しい解説をしてくださった。
 私の歌うローレライに対し、神の鉄槌が下される恐怖の場面の画像には、ジョジョ風の解説までしていただいた。(そんなに怒られる私の歌😂)

 そして1時間も経たないうちに、武智様の感想文には、あっという間に多くのスキ♡が!
 こうしたご紹介を何度もいただき、それはいつものことで慣れている。比べてはいけない。本当に凄い方だとひれ伏すのみだ🙇‍♀️

 むむむと思いつつ、ご評価とご紹介は誠にありがたい。目を擦り擦り手直しした甲斐があったというものだ。

 《ローレライ》——近藤朔風氏による、この上なく美しい歌詞、改めて武智様からも近藤氏のお名前を出していただけたこともありがたい。
 もう教科書にローレライが載っていない世代の方にも、是非一度お聴きになっていただきたいと願う。

 鮮やかな執筆活動に敬意を表すと共に、益々のご活躍をお祈り申し上げます。

 



🌟【回収いただき、ありがとうございました】

 『なんのはなしですか通信』に載せていただきたいばかりに、このエッセイの投稿を月曜まで待った私。
 コニシ木の子様に無事に回収いただき、安心の月曜日である。
 回収された記事を編集なさるご苦労をいつも感じており、申し訳ないと思いつつ、つい#を付けてしまうのは、やはりいただける感想が、コニシ木の子様独自の目線であることが興味深く、とても嬉しいからだ。
 想像がつかない膨大な量の編集作業をなさるコニシ木の子様。また一記事、作業の手間を増やして申し訳ない、と日本に向かって頭を下げる🙇‍♀️

 神様はちゃんとその努力を見守っていらっしゃる。とうとうラジオ出演をなさった様子が公開された。
 私もこの記念回の記事を堪能させていただくことにする。

 なお武智様の感想文にも、しっかり#が付いていて、『ああ、やっぱり皆さん、載せてもらうと嬉しいよね☺️』とほのぼの思った次第。
 武智様とのセット記事のように感想をいただけるのもまた楽し♪

 益々のご活躍をお祈り申し上げます。
作家として、俳優として、指笛奏者として。




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#ローレライ
#なんのはなしですか


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