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漱石「こころ」考察71 先生は鞭でうたれたい

・夏目漱石の小説「彼岸過迄」、明治45年(1912年)連載。
その2年後の作品
・夏目漱石の小説「こころ」、大正3年(1914年)連載。

前者「彼岸過迄」の主要登場人物に、東大卒の無職:須永市蔵という男がいる。
この男は、「こころ」の「先生」に、異常に似ている。
順番から言えば、「先生が、須永市蔵に似せさせられている」、と表現すべきか。

2人の共通点を、14個挙げた。

共通点
1、大卒の高等遊民(お金に困ってない無職)
2、(実の)両親が、ともに病死
3、(今では)一人息子
4、身内に軍人がいる
5、叔父を異様に称賛 → 叔父を異様に呪詛
6、従妹との縁談話がある → 成立していない・させない。男側の乗り気でない理由(自称)も同じ
7、知人男性の頭部周辺を攻撃し、殺害したい願望
8、知人男性が仲の良い女性とカルタを楽しむ
9、嫌悪したい女の「笑い」がある
10:金や地位を目当てにされたら好きな女相手でもイヤ!
11:他の男と競わされたらイヤ!・最初から俺だけを選べ!
12:同じ大学の友人に、「」・(けいたろう)
13:「若い男2人」+「若い女1人」+「中年女性1人」 この4人の組み合わせでいた。かつこのうち3人が「夫婦と姑」を想起させるor実際になる
14:二人とも自称「こせこせ」した性格

そして今回ふれるのが15番目。

ふたりとも、ドMである。
いや、ふたりとも、ムチで打たれたがっている。


1、須永市蔵はひとりSM

まず、「彼岸過迄」の須永市蔵から。
いわゆる(?)ひとりSMをしたいと、須永市蔵は友人の田川敬太郎に向けて語る。従妹の田口千代子が来て髪を結っている途中。

 僕は千代子の髪のでき上らない先に二階へ上った。(略)その時の僕はそれほどこの女の虚栄心に媚びる好意を有たなかったのである。
 僕は自分で自分の事をかれこれ取り繕って好く聞えるように話したくない。しかし僕ごときものでも長火鉢の傍で起るこんな戦術よりはもう少し高尚な問題に頭を使い得るつもりでいる。ただそこまで引き摺ずり落された時、僕の弱点としてどうしても脱線する気になれないのである。僕は自分でそのつまらなさ加減をよく心得ていただけに、それをあえてする僕を自分で憎み自分で鞭うった

(「彼岸過迄」須永の話・三十三)

(※ 著作権切れにより引用自由です。)

あらためて見てみるとここもまた、須永市蔵の自己評価高すぎなポエマーっぷりが表現されていると思った。

自分で自分の事をかれこれ取り繕って好く聞えるように話したくない」と、わざわざ言いながらすぐ後に、「僕を自分で憎み自分で鞭うった」と、あたかも自分を強く律して罰を与えたかのように語っている。
しかもこれ、自分の男友達相手に言ってるのだ。

そして、自分を罰しているかのように言っておきながら、市蔵は具体的になにか自律させたわけでは全くない。
それどころか他者や叔父への批判・いや批判というより罵倒につなげているのである。先の引用の続き。

 ーー 僕は自分でそのつまらなさ加減をよく心得ていただけに、それをあえてする僕を自分で憎み自分で鞭うった
 僕は空威張を卑劣と同じく嫌う人間であるから、低くても小さくても、自分らしい自分を話すのを名誉と信じてなるべく隠さない。けれども、世の中で認めている偉い人とか高い人とかいうものは、ことごとく長火鉢や台所の卑しい人生の葛藤を超越しているのだろうか。僕はまだ学校を卒業したばかりの経験しか有たない青二才に過ぎないが、僕の知力と想像に訴えて考えたところでは、おそらくそんな偉い人高い人はいつの世にも存在していないのではなかろうか。僕は松本の叔父を尊敬している。けれども露骨なことを云えば、あの叔父のようなのは偉く見える人、高く見せる人と評すればそれで足りていると思う。僕は僕の敬愛する叔父に対しては偽物贋物の名を加える非礼と僻見とを憚かりたい。が、事実上彼は世俗に拘泥しない顔をして、腹の中で拘泥しているのである。小事に齷齪(あくそく)しない手を拱(こま)ぬいで、頭の奥で齷齪しているのである。外へ出さないだけが、普通より品が好いと云って僕は讃辞を呈したく思っている。

(「彼岸過迄」須永の話・三十三)

おい、自分を鞭うつどころか、世間の人間と自分の叔父を思いっきり鞭うってるだろ

そう突っ込みたくなった。
むしろ悪口が月並みではなく、叔父(松本恒三)への、かなり手が込み入った罵倒だ。

・叔父の「ようなのは」偉く「見える」人、高く「見せる」人と評すれば「それで足りている
・外へ出さない「だけ」が、「普通より品が好いと云って僕は「讃辞を呈したく思っている

換言すればこんな感じか
「あの松本の叔父なんぞ達観したように見せかけてるだけのただの凡人・匹夫の類だ。外面をごまかす小刀細工するところだけはまあ品があると言っておけばあの叔父には十分ほめたうちだ」

どうみても須永市蔵は自分ではなく、他者を鞭うってる。
そういう人物として描かれている。


2、先生はひとりSM + SM

そしてもう一人のSM趣味、「こころ」の先生。

2(1)先生の自称SM趣味

先生は「(わたくし)」に向けた長い長い手紙(遺書)で、こう書いている。
Kが自殺し(私は他殺だと思っている)、お嬢さん(静)と結婚した以降の話

 私はただ人間の罪というものを深く感じたのです。その感じが私をKの墓へ毎月行かせます。その感じが私に妻の母の看護をさせます。そうしてその感じが妻に優しくしてやれと私に命じます。私はその感じのために、知らない路傍の人から鞭うたれたいとまで思った事もあります、こうした階段を段々経過して行くうちに、人に鞭うたれるよりも、自分で自分を鞭うつべきだという気になります。自分で自分を鞭うつよりも、自分で自分を殺すべきだという考えが起ります。私は仕方がないから、死んだ気で生きて行こうと決心しました。

(「こころ」先生と遺書・五十四)

我々(誰やねん)は初見以外はどうしてもこの後、先生が自殺してしまうことを知っているので、「知らない路傍の人から鞭うたれたい」「自分で自分を殺すべきだ」が、シリアスな本心みたく見えてしまう。なんとなく静との生活もずっと暗そうな感じだし。

しかし、よく見たら先生、別に「死んだ気で生きて行こう」というほどでもないのである。
無論私のようにバカップル夫婦ではないが、先生は十二分に、無職の高等遊民ライフを楽しんでいる。

また須永市蔵と同様、「路傍の人から鞭うたれたい」どころか、他者を堂々と鞭うってるのである。以下確認。

2(2)先生の愉快な高等遊民ライフ

路傍の人から鞭うたれたい」「死んだ気で生きて行こう」と言いつつ、先生はお金に不自由しない無職の高等遊民ライフを、満喫している。

そもそも「こころ」の序盤からして、鎌倉の海で「私」が特にあてもなく何日も泊まって遊んでいる時に、同じようにおそらくただの避暑で宿泊し続けている先生と、出会う話であった。

 私は次の日も同じ時刻に浜へ行って先生の顔を見た。その次の日にもまた同じ事を繰り返した。けれども物をいい掛ける機会も、挨拶をする場合も、二人の間には起らなかった。

(「こころ」先生と私・三)

私が他の記事で数えたところでは、この時先生は鎌倉の海に、少なくとも11日間は滞在し宿泊していた(「私」の鎌倉滞在の5日目~15日目)。それもただの避暑で。


鞭うたれたいとか死んだ気とか言っといて、羨ましすぎるだろ。

これ以外にも先生は、高等遊民ライフを楽しんでいる。
以下すべて「こころ」の「先生と私」の章から

 先生は時々奥さんを伴れて、音楽会だの芝居だのに行った。それから夫婦づれで一週間以内の旅行をした事も、私の記憶によると、二、三度以上あった。私は箱根から貰った絵端書をまだ持っている。日光へ行った時は紅葉の葉を一枚封じ込めた郵便も貰った。(九)

先生はその日横浜を出帆する汽船に乗って外国へ行くべき友人を新橋へ送りに行って留守であった。(十)

先生と同郷の友人で地方の病院に奉職しているものが上京したため、先生は外の二、三名と共に、ある所でその友人に飯を食わせなければならなくなった。(十五)

 私はその晩先生の家へ御馳走に招かれて行った。(略)
 模様の織り出された厚い糊の硬い卓布(テーブルクロース)が美しくかつ清らかに電燈の光を射返していた。先生のうちで飯を食うと、きっとこの西洋料理店に見るような白いリンネルの上に、箸や茶碗が置かれた。そうしてそれが必ず洗濯したての真白なものに限られていた。(三十二)

 奥さんは下女を呼んで食卓を片付けさせた後へ、改めてアイスクリームと水菓子を運ばせた
「これは宅で拵らえたのよ」
 用のない奥さんには、手製のアイスクリームを客に振舞うだけの余裕があると見えた。(三十三)

鎌倉に避暑のためだけに10日以上宿泊、国内旅行に芝居に音楽会を楽しみ、外国に行く友人や医者の友人、その他の友人もいる。
そして鎌倉の海で遊んでいた金持ちの子で後に東大に入学する「私」と仲良くなり、「先生先生」と崇拝され御馳走を振舞う。
家のテーブルクロスも真っ白な綺麗なものにこだわり、自家製アイスクリーム作成装置?も購入している。

繰り返すが、先生は無職である。

全然鞭うたれてないやん。死ぬ気ないやん。楽しそうで羨ましすぎるだろ。

やはり、先生は大げさすぎるポエマーなのだ。
須永市蔵のように。


こういった、先生と須永市蔵との共通点を確認したかったのだが、ついつい両作品を読み返すのが楽しくて長くなってしまった。

とりあえずここで一旦区切ります。


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