漱石「彼岸過迄」考察3 須永市蔵は自己評価高木すぎ
夏目漱石の小説「彼岸過迄」、明治45年(1912年)連載。
この小説の登場人物、悩めるお坊ちゃん・須永一郎は、ある時ふと、家の小間使いをしている当時19歳の「作」(さく)という女を気に入り出す。
この小説は途中から、田川敬太郎という登場人物が他者達の長い回想を聞くという構成になっており、時系列がややわかりにくい。
そこで時系列を確認しつつ、作・須永市蔵・ヒロイン的存在の田口千代子・田川敬太郎らの関係を、たどってみる。
(とそのつもりであったが、作を通じて須永市蔵のとんだ勘違いぶりを見直しただけで長くなりとりあえず区切ります)
1、作登場:大学三年から四年の夏
須永市蔵が田川敬太郎に長い長い回想を語る。
1(1)時期
僕が大学の三年から四年に移る夏休みの出来事であった。宅の二階に籠ってこの暑中をどう暮らしたら宜かろうと思案していると、母が下から上がって来て、閑になったら鎌倉へちょっと行って来たらどうだと云った。鎌倉にはその一週間ほど前から田口のものが避暑に行っていた。元来叔父は余り海辺を好まない性質なので、一家のものは毎年軽井沢の別荘へ行くのを例にしていたのだが、その年は是非海水浴がしたいと云う娘達の希望を容れて、材木座にある、ある人の邸宅を借り入れたのである。
(※ 著作権切れにより引用自由です。)
(この記事からはそれるが、田口家は軽井沢に別荘をもっていたのか)
須永市蔵は母親とともに鎌倉に行くものの、そこに「高木」なるいかにもモテそうな男がおり、田口千代子と仲良くしてるのを見て、ひとり東京の自宅に帰る。
田口の叔母は、高木さんですと云って叮嚀(ていねい)にその男を僕に紹介した。彼は見るからに肉の緊(しま)った血色の好い青年であった。(略)彼は田口の叔母を親しげに御母さん御母さんと呼んだ。千代子に対しては、僕と同じように、千代ちゃんという幼馴染に用いる名を、自然に命ぜられたかのごとく使った。そうして僕に、先ほど御着になった時は、ちょうど千代ちゃんとあなたの御噂をしていたところでしたと云った。(十六)
「千代ちゃん、蛸の泳いでるところを見た事がありますか。ちょっと来て御覧なさい、よっぽど妙ですよ」(略)
千代子はどれと云いながら高木の傍へ行って新らしい座を占めた。(略)
千代子はそれぎり高木の傍を離れなかった。(略・二十四)
僕はその晩一人東京へ帰った。(二十五)
私はこの話なら高木側ではなく明らかに須永市蔵側であった男だが、不思議と胸は痛まなかった。
千代子が少なくとも一定程度は市蔵を好きであることが、明らかだからだろうか。
1(2)作、須永家に立つ
須永市蔵が鎌倉から一人帰った自宅
母がいないので、すべての世話は作(さく)という小間使がした。鎌倉から帰って、始めてわが家の膳に向った時、給仕のために黒い丸盆を膝の上に置いて、僕の前に畏まった作の姿を見た僕は今更のように彼女と鎌倉にいる姉妹との相違を感じた。作は固より好い器量の女でも何でもなかった。けれども僕の前に出て畏こまる事よりほかに何も知っていない彼女の姿が、僕にはいかに慎ましやかにいかに控目に、いかに女として憐れ深く見えたろう。彼女は恋の何物であるかを考えるさえ、自分の身分ではすでに生意気過ぎると思い定めた様子で、おとなしく坐っていたのである。僕は珍らしく彼女に優しい言葉を掛けた。そうして彼女に年はいくつだと聞いた。彼女は十九だと答えた。僕はまた突然嫁に行きたくはないかと尋ねた。彼女は赧い顔をして下を向いたなり、露骨な問をかけた僕を気の毒がらせた。僕と作とはそれまでほとんど用の口よりほかに利いた事がなかったのである。僕は鎌倉から新らしい記憶を持って帰った反動として、その時始めて、自分の家に使っている下婢の女らしいところに気がついた。
改めて見直すといやらしく感じる。私は須永市蔵側であったはずなのに。
これ、要は自分の目の前で千代子が、いかにもモテそうな男と仲良くしていたのを見続けた鬱憤から、ブスでも立場上自分には逆らわず言う事を聞いてくれそうで、しかも年齢もまだ若い女が、可愛く見えるようになったと。それで年はいくつだの嫁に行きたいかだのと、露骨に「女」として接するようになったと。
いま思ったが、作は素でおとなしい性格なのではなく、控えめに見せたほうが市蔵には気に入られやすいと考え、しっかり計算してやっているかも。
1(3)とんだ自信過剰男:須永市蔵
僕は二階に上って書架の整理を始めた。(略)作は時ならない払塵(はたき)の音を聞きつけて、梯子段から銀杏返しの頭を出した。僕は彼女に書架の一部を雑巾で拭いて貰った。しかしいつまでかかるか分らない仕事の手伝を、済むまでさせるのも気の毒だと思って、すぐ階下へ下げた。僕は一時間ほど書物を伏せたり立てたりして少し草臥れたから煙草を吹かして休んでいると、作がまた梯子段から顔を出した。そうして、私でよろしければ何ぞ致しましょうかと尋ねた。僕は作に何かさせてやりたかった。不幸にして西洋文字の読めない彼女には手の出せない書物の整理なので、僕は気の毒だけれども、なに好いよと断ってまた下へ追いやった。
「僕は作に何かさせてやりたかった」「気の毒だけれども」
見直していたらこれも上から目線というよりも、とんだ勘違い男として見えてきてしまった。
「作に何かしてもらいたかった」ではなく、「させてやりたかった」である。そしてな「何かさせてや」れなかったことは、「気の毒」だったと
作が本心から俺の手伝いをしたいと思っていると、市蔵は勝手に確信しているのだ。
「貧しいであろう住み込み労働で、雇用主家の一人息子に嫌われるわけにはいかないので無理にいやいやご機嫌とりしてる」、とは市蔵はまったく微塵も考えていない。
須永市蔵は、悩んでいるように見せかけて実はとんだ自信過剰の男、なのだろうか。そう設定されているのだろうか。
さらに須永市蔵の上から目線、あるいは作の大人しぶりっこ作戦は続く。
僕は僕の前に坐っている作の姿を見て、一筆がきの朝貌のような気がした。(略)今しがたゲダンケを読んだ自分と、今黒塗の盆を持って畏こまっている彼女とを比較して、自分の腹はなぜこうしつこい油絵のように複雑なのだろうと呆れたからである。(略)
「作御前でもいろいろ物を考える事があるかね」
「私なんぞ別に何も考えるほどの事がございませんから」
「考えないかね。それが好いね。考える事がないのが一番だ」
「あっても智慧がございませんから、筋道が立ちません。全く駄目でございます」
「仕合せだ」
僕は思わずこう云って作を驚ろかした。作は突然僕から冷かされたとでも思ったろう。気の毒な事をした。
ここも、悩んでいるように見せかけて堂々と「こいつは単純だが俺様は賢くて複雑だから大変なんだよなあ。ああこいつみたいにバカになれたら幸せなのになあ~」と、自信過剰かつ他者を見下し切っている男、そう描かれているように感じる。
そして作のほうも、見事に「このなにもできないインテリなだけのおぼっちゃんは、私がなんにもわかんない・考えられないふうに見せておいたほうがプライド満たされて気に入るだろう。わかりやすっ」と計算して、「私なんぞ・知恵がございません・全くダメでございます」とやっている可能性も。
1(4)さらにとんだ自信過剰男・須永市蔵
そして須永市蔵の勘違いは、千代子が須永家に上がっている際に極みに達する。
作が下から二度ばかり上って来た。(略)僕はそのたびごと階級制度の厳重な封建の代に生れたように、卑しい召使の位置を生涯の分と心得ているこの作と、どんな人の前へ出ても貴女(レデー)としてふるまって通るべき気位を具えた千代子とを比較しない訳に行かなかった。千代子は作が出て来ても、作でないほかの女が出て来たと同じように、なんにも気に留めなかった。作の方ではいったん起って梯子段の傍まで行って、もう降りようとする間際にきっと振り返って、千代子の後姿を見た。僕は自分が鎌倉で高木を傍に見て暮した二日間を思い出して、材料がないから何も考えないと明言した作に、千代子というハイカラな有毒の材料が与えられたのを憐れに眺めた。
これ須永市蔵は、「作が千代子に嫉妬してる」と、勝手に決めつけている。
しかもその決めつけの根拠は、単に振り返っただけのことである。
それだけで市蔵は、自分が鎌倉で高木に嫉妬したのと同じ感情を、いま作が抱いていると、迷うことなく完全に決めつけている。
やはり須永市蔵は、異常な自信過剰男ですと意図的に描かれている。
私も勘違いと自信過剰には自信あるが、引用の話を作に聞かせたらこんな反応になる危険が浮かんでしまう。
「きっと振り返った??全然わからないし覚えてないです。たぶん別に千代子さんを見てない。見る理由もなにも、、え嫉妬?なに言ってるんですか??うわ須永さんこわーい。召使と心得、、そりゃ社会人としてふつー、上の人の望む態度取りますよ」
時系列どころか須永市蔵の勘違いを振り返るだけで長くなってしまった。
とりあえずここまででまた続きを。
