見出し画像

繰り返すエジリズム ジェフユナイテッド市原千葉― J216年の記憶②

第2章|繰り返すエジリズム

――J2という異様な空気

なめていた、という自覚

正直に言えば、
自分はJ2をなめていた。

J1から落ちてきたクラブが、
戦力と思想を持ち込めば、
いつかは自然に戻れる場所だと思っていた。

2010年シーズン開幕前、
ジェフのメンバー表を見て、
本気でそう思っていた。

キャプテン坂本将貴、巻誠一郎。
オシムを知る選手たちが精神的支柱として残り、
深井正樹、谷澤達也。
個で局面を打開できる選手も揃い、
中後雅喜、倉田秋といった才能ある若手も加わった。
村井慎二、茶野隆行、林丈統と、
かつてのオシムチルドレンも呼び戻した。

戦力的に見れば、
「これ、J1でも通用するだろ」と思ってしまったのも無理はない。

オシムは哲学だった。
その哲学をもう一度正しく積み上げれば、
J1復帰は時間の問題だと信じた。

だが、その確信は、
開幕戦であっさり崩される。


2010年・開幕戦 熊本KKウィング

――ポゼッションで、取り切れない

相手はロアッソ熊本。
監督は高木琢也。

ジェフはボールを持っていた。
高い位置で回し、主導権を握っているように見えた。

そして60分、倉田秋のゴールで先制する。
試合は、このまま終わるはずだった。

だが、終わらなかった。

90分を越えたアディショナルタイム。
90+4分、ジェフは追いつかれる。

勝ち点3は、目の前にあった。
それを、取り切れなかった。

試合後、江尻篤彦監督はこう語っている。

熊本さんも勝つサッカーをするんだったら、
ああいうゲームだけじゃダメじゃないかと思いますけど、
勝ち点1を狙ってきょうのゲーム運びをしてきたのかなと。

内容を見れば、言いたくなる気持ちは分かる。
だがJ2では、この言葉は決定的なズレとして響いた。

熊本にとって、
昇格候補のジェフから開幕戦で勝ち点1を奪うことは、
「消極的」ではない。
最適解だった。

この試合は、
「ポゼッションで圧倒しても勝てない」試合ではない。

ポゼッションで先制しても、
最後に締め切れなければ、勝てない。

J2というリーグの異様な空気は、
引き分けという結果以上に、
90+4分という時間帯に凝縮されていた。


高木琢也という「J2の現実」

この後、高木琢也は何度もジェフの前に立ち塞がる。

熊本で。
長崎で。
大宮で。
そして再び、長崎で。

チームは変わる。
だが、振る舞いは変わらない。

勝てる試合は取り切る。
厳しければ、迷わず勝ち点1を持ち帰る。

高木琢也は、
ジェフの天敵だったわけではない。

J2というリーグの現実が、
たまたま一人の監督の姿をして現れただけ
だった。


ポゼッションという「毒」

オシムサッカーそのものが悪いわけではない。
だが、オシムの哲学を
「ポゼッション」という形だけで受け取ってしまうと、
判断を誤る瞬間が生まれる。

ポゼッションには強烈な誘惑がある。

ボールを持っている。
主導権を握っている。
内容では上回っている。

その感覚が、
結果が出ていなくても
「間違っていない」と思わせてしまう。

こうして、
ポゼッションで圧倒しながら勝てない試合が、
少しずつ積み重なっていった。


繰り返すエジリズム

やがて、ある言葉が定着していく。
「繰り返すエジリズム」。

2chの実況スレや速報スレで、
試合が終わるたびに、半ば儀式のように貼られていたAAとともに広まった言葉だ。

ポゼッションでは上回っている。
内容も、決して悪くはない。
だが、なぜか勝ち点が積み上がらない。

その「説明する気力すら失った感覚」を、
言葉にせず共有するための装置として、
このミームは機能していた。

自嘲というより、諦念に近い。
怒りや批判ですらなく、
「また同じだった」という感情の共有。

Perfumeの「ポリリズム」を下敷きにした替え歌という形式も、
象徴的だった。

思考がループする。
改善点を探しても、結論が変わらない。
考えているのに、結果が出ない。

その繰り返しを、
サポーターは「繰り返すエジリズム」と呼ぶようになった。


J2沼の正体

J2は、
レベルが低いリーグではない。

ただ、異様だった。

正しさが、
努力が、
想いが、
そのまま勝ち点に変換されない。

気づいた時には足を取られ、
もがけばもがくほど沈んでいく。

誰かに突き落とされたわけではない。
敵がいたわけでもない。

ただそこに、
J2という沼があった。


2025年・開幕戦 ハワイアンズスタジアムいわき

――分からないまま、勝った

2025年の開幕戦、いわきアウェイ。

ジェフは圧倒的にゲームを支配されていた。

シュート:いわき 18 / 千葉 4
CK:いわき 9 / 千葉 1
FK:いわき 17 / 千葉 10
スコア:いわき 0 ― 2 千葉

内容だけを見れば、完敗に近い。

それでも、
スコアは 2-0

正直に言って、
なぜ勝てたのか、今でも分からない。

ただ失点しなかった。
少ないチャンスを決めた。
そして勝ち点3を持ち帰った。

それだけだった。

2010年の熊本では、
ポゼッションで上回りながら勝てなかった。

2025年のいわきでは、
押され続けながら勝ってしまった。

この違いは、
戦術の進化ではない。

J2というリーグを、
身体で理解したかどうかの差
だった。


江尻篤彦、その後(2010年以降)

2010年シーズン終了後、
江尻篤彦はジェフ千葉の監督を退き、
トップチームの第一線から距離を置くことになる。

その後は、
育成年代やクラブ運営に近いポジションでキャリアを重ねていく。

2011年から2012年にかけては、
U-15日本代表、U-16日本代表のコーチとして
世代別代表の指導に携わった。
トップレベルの育成年代において、
選手の理解力や判断力を引き出す役割を担っている。

ジェフ千葉でも、
育成部門やクラブ全体を俯瞰する立場で関わり続けた。

2019年、
フアン・エスナイデル監督の退任を受け、
江尻は再びトップチームの指揮を執ることになる。

このときのジェフは、
シーズン終盤、降格圏に沈みかけていた。
再び彼は、
「立て直し役」「調整役」として現場に呼び戻された。

結果として、
ジェフはJ2残留を果たすものの、
劇的な上昇や方向転換には至らなかった。

その後、
江尻篤彦は東京ヴェルディの強化部長に就任する。

現場の監督ではなく、
編成と育成、クラブ全体の設計に関わる立場だ。

このポジションで、
彼は明確に結果を残す。

2023年、
東京ヴェルディはJ1昇格プレーオフを制し、
16年ぶりにJ1へ復帰。
以後、J1に定着するチームへと変化していった。


ここから見えてくるもの

江尻篤彦のキャリアを振り返ると、
一つの傾向が浮かび上がる。

  • 構造を整える

  • 育てる

  • 俯瞰する

  • 中長期でチームを作る

こうした役割において、
彼は評価を高めてきた。

一方で、
J2という特殊なリーグで、
短期的に結果を引き寄せる
「割り切りの現場判断」を求められたとき、
その特性は必ずしも噛み合わなかった。


第2章の結論

2010年のジェフは、
弱かったわけではない。

だが、
J2で求められていたのは哲学ではなく、
なりふり構わず積み上げる勝ち点だった。

その現実を、
理解するまでに、
ジェフは長い時間を要した。

J2という沼に足を取られた者たちの、
正直な記録
だ。


いいなと思ったら応援しよう!