戦術オーロイ ジェフユナイテッド市原千葉― J216年の記憶③
理想からの転換と、依存という代償
2010年シーズン、
ジェフユナイテッド千葉は一つの結論に行き着いた。
理想だけでは、勝ち点は取れない。
ポゼッションで試合を支配し、
内容で相手を上回っても、
J2ではそれが順位に直結しない。
だから2011年のジェフは、
思想を磨くのではなく、
思想から降りる選択をした。
「理想」ではなく「結果」を取りに行く
選ばれた答えは、明快だった。
トル・ホグネ・オーロイ。
身長204cm。
Jリーグの文脈を超えた、
純粋な物理的優位を前線に据える。
ビルドアップは簡略化され、
攻撃は明快になる。
とにかく前に蹴る
とにかく放り込む
高さで勝つ
オシム以降、
ジェフにまとわりついていた「こうあるべきだ」という理想は、
この年、明確に脇へ置かれた。
序盤戦で示された「説得力」
この割り切りは、
少なくとも前半戦では結果を出す。
開幕戦、北九州市立本城陸上競技場。
対ギラヴァンツ北九州
深井、米倉、そしてオーロイのゴールで
3-0で快勝。
そして
東日本大震災による長期中断を経て迎えた。
本拠地、フクダ電子アリーナでの事実上の開幕戦
J2へ降格してきた優勝候補FC東京を3-0で下す。
16試合消化時点で、
ジェフは首位に立っていた。
「これがJ2の現実的な解なのではないか」
そう感じさせるには、十分な材料だった。
ポストプレーとしてのオーロイ
戦術オーロイは、
単なる“放り込み一辺倒”ではない。
重要だったのは、
オーロイが決める存在であると同時に、起点だったことだ。
前線で競り、
ボールを収め、
落とす。
その先に入り込んでくるのが、
二列目、三列目の選手たちだった。
小柄な選手が成立させた構図
象徴的だったのが、
深井正樹である。
身長161cm。
Jリーグ全体で見ても小柄な選手だ。
だが、
204cmのオーロイが競り合ったあとに落ちるボールは、
不思議なほど深井の足元に転がってきた。
オーロイが決める。
オーロイが落とす。
深井が押し込む。
この連動が、
2011年前半のジェフの基本形だった。
同様に、
米倉恒貴の飛び込みも機能していた。
オーロイが相手DFを引きつけることで、
二列目の選手が生きる。
高さと運動量、
対極にある要素が噛み合った瞬間だった。
セットプレーにおける多層的な設計
セットプレーでも、
オーロイは絶対的な存在だった。
当然、相手は最優先で警戒する。
マークは集中し、
視線も集まる。
その裏を突く形で、
竹内彬が合わせる場面も生まれた。
オーロイと見せかけて、別の選択肢。
オーロイは得点源であると同時に、
囮にもなれた。
ロングスローという追加装置
さらに2011年のジェフには、
もう一つ明確な武器があった。
マーク・ミリガンのロングスローである。
サイドからペナルティエリアまで届くスローイン。
実質的には、CKに近いセットプレーだった。
このロングスローも、
オーロイを前提に設計されていた。
ニアでオーロイが競る
あるいはオーロイに人を集めさせる
こぼれ球を二列目が回収する
放り込み、ポストプレー、セットプレー、ロングスロー。
複数の武器は、
一つの軸に向かって整理されていた。
その設計は、代替不能だった
だが、
この戦術には致命的な欠陥があった。
依存度が高すぎた。
オーロイが競てること。
相手がそれを恐れていること。
この前提が、
すべてだった。
東日本大震災の影響で7月は7試合開催の超過密日程が組まれ
7月31日の練習中に
オーロイは負傷離脱する。
この瞬間、
戦術オーロイは“戦術”であることをやめた。
崩れ始めた勝ち点の積み上げ
オーロイ不在後、
ジェフは攻撃の起点を完全に失う。
同じ役割を期待して補強された大島秀夫も、
同一機能を果たすことはできなかった。
それは個人の問題ではない。
204cmという前提そのものが、代替不能だった。
震災による変則日程のなか、8月14日の熊本戦に勝利した時点で、ジェフは一度2位に浮上している。
しかし、それはオーロイ不在のひずみが表面化する前の、いわば貯金の残りだった。 そこから第26節から31節にかけて5連敗(1試合延期含む)を喫し、昇格圏から脱落していく
上位対決を落とす
下位相手にも勝ち切れず引き分ける
勝ち点が積み上がらない
徳島、京都、東京ヴェルディ。
後半戦、
上位との直接対決をことごとく落とした。
他クラブは「積み上げ」をしていた
同じJ2には、
別の完成形が存在していた。
FC東京は、
J2に降格はしたが、
選手層が違った。
権田修一、徳永悠平、森重真人、今野泰幸、羽生直剛。
途中からルーカスも戻り点取り屋として機能する。
この年天皇杯決勝で京都とのJ2対決を制し翌年のACL出場も決めている
さらにサガン鳥栖。
監督は尹晶煥(ユン・ジョンファン)。
ヘッドコーチ時代から3年かけて構築した
豊田陽平を中心とした
システムとして成立していた。
豊田陽平は23得点でJ2得点王。
後半戦、鳥栖はほとんど負けていない。
序盤につまずいたコンサドーレ札幌も、
後半戦は安定して勝ち点を積み上げていく。
昇格枠は、競争の中で埋まっていく
J2は、
「でたとこ勝負」が通用するリーグではない。
一度はまった戦術も、分析され
すぐに対策される。
オーロイのいないジェフが
下位に引き分けている間、
他クラブは淡々と勝ち点3を積み上げた。
気づいた時には、
昇格枠3つは、ほぼ埋まっていた。
極端な逆振りが残したもの
2011年のジェフは、
間違ったことをしたわけではない。
理想に固執せず、
現実を見ようとした。
だがそれは、
積み上げではなく、
極端な逆振りだった。
理想を捨てた先にあったのは、
別の依存構造だった。
それでも、この年は断絶ではない
重要なのは、
2011年が完全な暗黒ではないという点だ。
翌2012年、
ジェフはJ1まであと4分に迫る。
つまりこの年は、
迷走の始まりではない。
「勝ち点を積み上げるとは何か」
その問いに対する、
不完全だが具体的な試行だった。
この問いは、
次の年、ようやく形を持ち始める。
