オシム召し上げーフクアリの奇跡ーJ2降格 ジェフユナイテッド市原千葉― J216年の記憶①
2006年7月15日。
川淵三郎チェアマン(当時)が、ある一言を口にした。
「オシムって言っちゃったね」
ジェフユナイテッド市原・千葉の監督、イビチャ・オシムを日本代表監督に引き抜く瞬間だった。この一言が、ジェフの17年に及ぶJ2沼の始まりだった。
考えて走るサッカー
2003年、イビチャ・オシムがジェフユナイテッド市原・千葉監督に就任した。
「考えて走るサッカー」
選手に思考を求め、状況判断を鍛え、走り続けることを要求した。単なる戦術ではない。それは思想だった。
阿部勇樹は考えながらボールを奪った。羽生直剛は考えながら前線に飛び出した。山岸智は考えながらパスを散らした。水野晃樹は考えながらドリブルを仕掛けた。佐藤勇人は考えながらゴールを決めた。水本裕貴は考えながらディフェンスラインを統率した。坂本将貴は考えながらサイドを上下動した。巻誠一郎は考えながら前線で走り続けた。
オシムの思想を体現する者たちがいた。
召し上げ、そして流出
2006年、オシムが日本代表監督に召し上げられると、オシムチルドレンが次々と流出した。
阿部勇樹、浦和へ。
佐藤勇人、京都へ。
羽生直剛、FC東京へ。
山岸智、川崎へ。
水野晃樹、セルティックへ。
水本裕貴、ガンバ大阪へ。
ジェフから、思想を体現する者たちが消えた。残ったのは、思想だけだった。いや、それすらも既に失われていた。
2008年、11節終了時勝ち点2
2008年シーズン。
オシムチルドレンが去り、ボロボロになったジェフ。就任したヨジップ・クゼ監督は言った。
「話が違う」
クゼ監督の下、11節終了時点で勝ち点2という壊滅的状況。
クゼは解任された。
フロントの昼田氏がダメ元で声をかけたのが、リバプール元コーチのアレックス・ミラーだった。
フクアリの奇跡
2008年12月6日、最終節。
ホーム・フクアリでのFC東京戦。既に自力残留は消滅していた。他会場の結果を待つしかない。
70分、0-2。
絶望的な状況から、ジェフは4ゴールを叩き込む。4-2。他会場の結果も味方し、奇跡的な残留を果たした。
「フクアリの奇跡」
『チバプール』と呼ばれたミラーの采配が、ジェフを救った。
残留がもたらした先送り
しかし、この奇跡が問題を先送りした。
本来であれば2008年に降格し、立て直しを迫られていたはずだった。だが奇跡的な残留によって、根本的な問題は放置された。
オシムという思想を失ったクラブが、どう進むべきなのか。
誰が判断するのか。
何を基準に決めるのか。
その文脈が、まだ見えていなかった。
2009年、呪いと崩壊
2009年4月11日、第5節。
ホーム・フクアリでジュビロ磐田と対戦。前田遼一がシーズン初ゴールを決める。1-1の引き分け。
前田遼一デスゴール伝説。
シーズン初ゴールを許したチームがJ2に降格する、という呪い。2007年から6年連続で成立していた。
調子は良くなかったが、第19節終了時点で4勝8敗7分、勝ち点19。そこまで絶望的な順位ではなかった。
なのにミラーは解任される。
フクアリの奇跡からわずか1年。恩人は去った。
後任の江尻篤彦の下、チームは崩壊。もっと酷いチームもいたはずなのに、ジェフは断トツ最下位でJ2に降格した。
前田遼一のデスゴール、6年連続成立。
第1部の結論
2009年の降格は、失敗ではない。
2008年に奇跡が起きてしまったことの「必然的な続き」だった。
問題は、降格そのものではない。
問題は、判断基準を失っていたことだった。
オシムという思想。
オシムチルドレンという体現者。
それらを失ったジェフは、何を基準に判断すればいいのかが分からなくなっていた。
ミラーを解任すべきだったのか。
江尻を招聘すべきだったのか。
誰が、何を基準に、決めたのか。
その文脈が、まだ見えていなかった。
これが、16年に及ぶJ2沼の始まりだった。
