【連載小説】第三夜『王さまお伽草子』(The Sultan's Otogizōshi)
第三夜
家族の在り方
しばらく揺れる馬上の景色を眺めつつ、蹄鉄がその石畳を闊歩して響く音が耳に心地よい。
長かった航海から帰って来たスルタンには、今のこの景色は格別な眺めだった。
カッコッ、カッコッ。
潮の香りが漂う海辺から密林の方へと入っていく道。左右にハイビスカスの生け垣が続く石畳の道を行く。
生け垣というくらいなので景観を維持するには人手がかかるが、チャンドラは豊かな街なのでそれは問題にはならなかった。
畝る坂道を駆け上がって、そこにはスルタンの別邸、離宮がある。
王都コタ・プラの荘厳な宮殿とは趣の違う、それは瀟洒な造りを誇っていた。
高い天井と大きい窓の高床式の建物が回廊で繋がり、開豁な敷地には熱帯の花木が植えてある。
ミナレットこそないが城壁に囲まれた中庭に噴水のついた水浴び場があった。
翡翠色の羽根を持つ孔雀が放し飼いにされ、主にハーレムにいる妾たちが利用する。
無論、男子禁制で妾以外には女官と宦官が出入りを許されるくらいだが、今は人が少ない。
なぜかといえば、スルタンが人の出入りを遠ざけていたからだ。その理由について多く語られることはなかった。
スルタンは子どもに恵まれなかった。
幼い頃から許嫁だった第一王妃ナスリーンとの間にも、複数の妾との間にも、ついに王家の血を継ぐ子は生まれなかった。
王家の血筋を継ぐ子どもがいない。
民衆に人気のあったスルタンに、『種なし』と揶揄する声があったのも事実である。
それが人を遠ざけた理由だったかもしれない。
さらに追い打ちをかけるように、その第一王妃のナスリーンが夭逝した。
その死因については、公式には病死とされたが謎も多い。
スルタンは毎夜、王妃を想い目を赤くして泣き腫らしたという。
唯一の兄妹である腹違いの妹との確執があったのも同じ頃だった。
王家の将来を案じ、不穏な空気が宮中を覆っていたのは、それからのこと。
国の内外の動揺はスルタンにも伝わった。
スルタンはどんなときにも好印象で人気がある王だったが、民草の間を不安が支配していた。
だが旅を終えて帰って来るとスルタンは変わったと噂されるようになった。
側近とのやり取りも楽しそうで、物腰が柔らかくなり本来の明朗開豁な性格を取り戻していた。
そのきっかけとなったのが、あの倭寇の子どもとの出逢いではなかったか。
嵐に遭い難破して、たった独りで難儀していたところを縁があって助けた。
それだけのことだ。
ふと馬が歩みを止める。
気づくと汗をかき、息が荒い。嘶くことはないが落ち着きがない。
どうしたのか。
答えは直ぐに判った。
覗いてみると、瞬間木立から飛び出す影。
鮮やかな黄色と白の体毛と黒い縞模様。
マレー虎だ。
体長は大の大人よりも遙かに大きい。見かけたスルタンが馬から飛び降り駆け寄る。
「マニ!」
「グルルル――ッ!」
『マニ』とは宝石のことである。
そう呼ばれたマレー虎もスルタンに駆け寄った。野生でないことは首輪をしているので判る。
マニは抱きつくように、スルタンの顔を舐め回した。それを笑いながら再会を喜ぶスルタン。
「ワハハ、やめろよ! マニ! くさいって!」
スルタンとのじゃれ合いは続く。マニは爪も牙も立てていない。
付き合いはもう十五年になる。
思えば寸暇を惜しみ、親虎と死に別れたマニにミルクを与え続けたのがスルタンだった。
子どもに恵まれず、王妃ナスリーンと死別したスルタン。
それでもなお、明るい素顔で人と触れ合えていたのは、傍らにマニがいたからだ。
マレー虎の、ともに老いるまで育ったマニとの絆。そして倭寇の子どもと出逢った。
スルタンは、マニの温もりを知っている。
そして孤独な倭寇の子に手を差し伸べていた。
スルタンのそれが家族のかたちだった。
つづく
<次回、第四夜 日没後の礼拝>
