【連載小説】第四夜『王さまお伽草子』 (The Sultan’s Otogizōshi)
第四夜
日没後の礼拝
日没後の礼拝の後に今日は宴があるのを思い出したスルタンは、沐浴(浄水)を済ませてラフな恰好から相応しい正装に着替えた。
即ち純白の長袖シャツ、長ズボンの上に幾何学模様が金糸、銀糸で編み込まれた腰巻、それに革のサンダルを履く。
そして派手な頭巾ではなく、ソンコックと呼ばれる黒い帽子を被った。
スルタンの太い逞しい腕がスッポリと収まる長袖のシャツとズボンと腰巻も、上質な亜麻の生地を使い熟練の職人が仕立てた誂え品である。
王家に代々伝わる首飾りはそれでも肌見放さず身に付けていた。
黒い板と鮮やかな堆朱の飾りで縁取られた、喩えるならば、見る者を引き込むような漆黒の塊。
それは神秘的で、あらゆる光の粒を牢獄のように捉え呑み込む。
また鼻を近づけると香料として使われている麝香が仄かに鼻孔をくすぐった。
その貴重な墨は伝え聞くところによれば、王家では『叡智の結晶』と呼んで祀っていた。
嘘か真か、殷からの贈り物とも聞き及ぶ。
これが存在したのは春秋時代より遙か以前で、誰から譲り受けたのか、或いは購入したものかは謎のままだった。
『決して手放すことなく肌見放さず持ち続けるべし。さもなくば国が一夜で傾くであろう』
と、傾国の逸話も付いていた。そんな危うい曰く付きの黒い塊だった。
まだ明るい夕刻、身支度を整えると用意された馬車に乗り込みモスクに向かった。
スルタンは平時の礼拝でも市井の臣とともにモスクでイマームによる礼拝を行う。その親しみやすさが人望の礎ともなっている。
ニザムを始め側近の者や警備の者たちからは渋い顔をされる。
しかしながら、常に日頃から出来るだけ普通にしていたいというのが、考え方の根底にあった。
亡くなった王妃ナスリーンもスルタンの考え方に賛同してニザムの説得をしてくれていた。
彼女はスルタンの周りにいた良き理解者でもあった。だからこそのスルタンの嘆きでもある。
馬車の車輪が馬の蹄鉄とともに石畳の上で、カッカッ、カラカラと乾いた音をたてる。
スルタンの馬車を見つけた者たちからは、毎度ながら歓声と微かなどよめきが起こる。
ソファに腰掛けたスルタンは窓のカーテンを閉め切って、物静かに瞑想をしていた。
偏に敬虔な祈りを神に捧げて。
そして亡き王妃ナスリーンに感謝を込めて。
馬車が緩やかに止まる。
夕まぐれ、暗くなって点いたカンテラの温かい灯りは周囲を明るく染め上げる。
コンコンコンコン。
ノックが聞こえてニザムが外に扉を開けた。
灯りが馬車の足元を照らしてそこに降り立つ。
先の祈りは胸の奥に仕舞い込んで、
「陛下〜〜!!」
ひとしきり歓声に手を挙げて笑顔で応え、そっと祈りを結ぶスルタンだった。
つづく
<次回、第五夜 啓典>
