「私はどうしたい?」がわからなくなったあなたへ -置き忘れてきた自分の願いを取り戻す方法-
まずは、ご挨拶
この手紙を開いてくださり、
ありがとうございます。
初めましての方もおられるかと思いますので、
ご挨拶をさせていただきます。
【あなたの居場所】館長のUNIです。

このnoteは、
「生きづらさを心地よさにデザインする」
をテーマに、
感情や考え方、
そして人生との向き合い方について発信しています。
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はじめに
「あなたはどうしたい?」
そう聞かれても、
答えられなくなってしまったあなたへ
2通目のお手紙を書かせていただきました。
▼「1通目がまだだよ!」という方は、こちらをお先にどうぞ ♪
~ 高評価をいただいております !! ~
以前より、
自分の気持ちはわかるようになった。
悲しい時は悲しい。
苦しい時は苦しい。
無理をしている時は、
無理をしていると気づけるようになった。
それなのに、
「あなたはどうしたい?」
そう聞かれると、
言葉に詰まってしまう。
周りの要望はわかる。
相手が望んでいることもわかる。
でも、
自分の願いだけがわからない。
だから気づけば、
また周囲に合わせてしまう。
もし今、
「私は何がしたいんだろう」
「私らしい人生って何だろう」
そんな答えを探しているのなら、
胸の奥に、
そっと目を向けてみてください。
見つからないと思っていた願いは、
今もずっとそこで、
あなたが気づいてくれるのを待っています。
第1章 なぜ「私はどうしたい?」と聞かれると困ってしまうのか?

もし今、
「私は何がしたいんだろう」
そんなふうに悩んでいるのなら、
少しだけ聞いてもいいでしょうか?
頼まれごとをされた時、
本当は余裕がないのに、
「大丈夫ですよ」
と引き受けてしまうことはありませんか?
誰かが困っていると、
つい自分のことを後回しにしてしまう。
わかってほしい気持ちはあるのに、
なぜか言葉にできなくて、
ひとりで抱え込んでしまう。
そんなことはありませんか?
もし一つでも当てはまるなら、
このまま読み進めることをおすすめします。
私は長い間、
自分にはやりたいことがないと思っていました。
休日になっても、
特別やりたいことが思い浮かばない。
好きなことを聞かれても、
すぐには答えられない。
将来どうなりたいのかと聞かれると、
言葉に詰まってしまう。
「私はどうしたいんだろう…」
そう考え始めると、
答えが見つからなくて、
同じ考えが頭の中をぐるぐると駆け巡る。
そんな日々が続きました。
でも今振り返ると、
本当は違ったのです。
本当は、
やりたいことがなかったわけではありませんでした。
ただ、
それよりも先に考えることがあったのです。
相手はどう思うかな…
相手は何を望んでいるかな…
どうしたら喜んでもらえるかな…
気づけば私は、
自分の気持ちよりも、
周りの気持ちを優先することに慣れていました。
例えば
職場で、
本当は手いっぱいなのに、
「少し手伝ってもらえませんか?」
と言われると断れない。
人間関係でも、
誰かと誰かの間に入って、
両方に気を遣っている。
相手の機嫌が悪いと、
自分が何かしてしまったのではないかと不安になる。
でも、
自分が苦しい時は、
「これくらい大丈夫」
と飲み込んでしまう。
そんなことを繰り返していました。
すると少しずつ、
不思議なことが起こります。
人の気持ちはわかるのに、
自分の気持ちだけが見えなくなっていくのです。
相手が何を望んでいるのかはわかる。
でも、
自分が何を望んでいるのかはわからない。
もしかすると、
あなたの中でも同じことが起きているのかもしれません。
それはあなたが弱いからではありません。
むしろ、
人を大切にしてきたからこそ起きたことなのです。
だからどうか、
自分を責めないでください。
あなたの望みや願いがなくなってしまったのではありません。
ただ長い間、
我慢の陰に隠れて
見えなくなっているだけなのです。
次の章では、
私たちが当たり前のように続けてきた
「小さな我慢」について、
一緒に見ていきましょう。
第2章 本当はずっと我慢していた私の願い

「我慢」と聞くと、
あなたはどんなものを思い浮かべるでしょうか。
つらい仕事。
苦しい人間関係。
言いたいことを言えない毎日。
そんな出来事を想像するかもしれません。
中には、
「私はそこまで我慢していないと思う、辛い状況の人はもっとたくさんいるから…」
そう思っている方もいるでしょう。
でも、
もしかすると私たちは、
我慢を少し大げさに考えすぎているのかもしれません。
例えば、
ランチのお店を決める時。
本当は食べたいものがあったのに、
「何でもいいよ」
と言ったことはありませんか。
休日の予定を聞かれて、
本当は行きたい場所があったのに、
「みんなに合わせるよ」
と言ったことはありませんか。
服を選ぶ時もそうです。
本当は着てみたい色があったのに…
無難なものを選んだこと。
本当は休みたいのに…
頑張って予定を入れたこと。
本当は断りたいのに…
笑顔で引き受けたこと。
一つ一つは、
本当に小さなことです。
だからその時は、
我慢をしているつもりもありません。
むしろ、
気遣いだと思っていたかもしれません。
「しょうがない」と諦めに似た感情を抱いていたかもしれません。
でも、
そんな小さな我慢が、
毎日のように続いていたとしたらどうでしょう。
1回だけなら気にならないことも、
10回、20回、30回と積み重なれば、
少しずつ心に影響を与えていきます。
「私は何が食べたい?」
より、
「相手は何が食べたい?」
を優先する。
「私はどうしたい?」
より、
「相手はどうしてほしい?」
を優先する。
その繰り返しの中で、
自分の願いは少しずつ心の奥底へと沈み込んでいきます。
それはまるで、
大切な宝物を引き出しの奥へしまい込み、
どこに置いたのか忘れてしまうかのように…

だから、もし今、
「私は何がしたいんだろう」
と悩んでいるとしても、
それは願いがないからではないのかもしれません。
ただ、
長い間後回しにしてきたことで、
見えにくくなっているだけなのかもしれないのです。
では、
その見えなくなってしまった願いたちは、
今どこにいるのでしょうか。
次の章では、
私たちが気づかないうちに押し込めてしまった願いたちについて、
一緒に見ていきましょう。
第3章 見えなくなるほど押し込めていた願いたち

第2章を読みながら、
「たしかに私、ずっと我慢していたかもしれない」
そう気づいた方もいるかもしれません。
実は、
願いが見えなくなってしまうのは、
日々の小さな我慢だけが理由ではありません。
もっと多くの場面で、
私たちは自分の気持ちを後回しにしているのです。
例えば、
本当はやってみたい仕事があったのに、
「安定している方がいい」
と周囲から言われて諦めたこと。
本当は習ってみたいことがあったのに、
「今さら無理かな」
と思って挑戦しなかったこと。
本当は行ってみたい場所があったのに、
「みんなの行たいところでいいよ」
と周りの都合を優先して後回しにしたこと。
その時は、
それが正しい選択だと思っていたかもしれません。
でも、
そんな選択を何度も繰り返していると、
少しずつ自分の心の声が小さくなっていきます。
そして気づけば、
「私は何がしたいんだろう」
という問いに、
答えられなくなってしまうのです。
けれど、
ここで一つ知っておいてほしいことがあります。
それは、
自分の想いを表現することは、
決してわがままではないということです。
私たちはよく、
自分の願いよりも、
周りの期待を優先しようとします。
特に優しい人ほど、
空気を読んで、
人に合わせて、
自分の気持ちを後回しにしてしまいます。
でも、
願いは自分や周囲を困らせるために生まれてくるものではありません。
願いは、
「あなたがどんな人生を送りたいのか」を教えてくれる大切な声です。
例えば、
「もっと休みたい」
と思うなら、
それは怠けたいのではなく、
心や体が休息を求めているサインかもしれません。
「もっと自由に生きたい」
と思うなら、
それは自分らしさを取り戻したいという願いなのかもしれません。
願いは、生きる力そのものです。
だから、
願いがあることは決して悪いことではありません。
むしろ、
願いがあるからこそ、
私たちは前へ前へと進もうとできるのです。
長い間、
後回しにされてきた願いは
少し見えにくくなっただけで、
今もあなたの心の奥底にちゃんといます。
眠りについてしまった願いたちが生まれた背景を知ると、
今まで自分を責めていた気持ちが、
少し軽くなったいく感じがしませんか?
次の章では、
なぜ私たちがそこまで自分を後回しにしてしまうのか
を、ある有名な考え方を通して、理解を深めていきましょう。
するときっと、
「私が悪かったわけじゃなかったんだ」
という気づきを得られるはずです。
第4章 それでもあなたは悪くない
― マズローの欲求5段階説で見るあなたの願い ―

ここまで読んでくださったあなたは、
もしかすると、
こんなことを思っているかもしれません。
「私はもっと自分の気持ちを大切にすればよかったのかな」
「我慢しすぎていたのかな」
「だから苦しくなったのかな」、と。
そんなあなたへ、
まず伝えたいことがあります。
それは、
あなたが悪かったわけではないということです。
少しだけ考えてみてください。
お腹が空いたら、
何か食べたくなりますよね。
疲れたら、
ゆっくり休みたくなりますよね。
誰かに「ありがとう」と言われたら嬉しいし、
疲れたら安心して休める場所が欲しいと思うこともあると思います。
実はそれらはすべて、
人として自然な願いです。
心理学者のマズローは、
人が持つ願いを図のようなピラミッドで表しました。

一番下には、
「食べたい」、「眠りたい」といった生きるための願い(生理的欲求)があります。
その上には、
安心したい(安全の欲求)。
次は、
誰かとつながりたい(所属と愛の欲求)。
さらに、
認められたい(承認欲求)。
そして最後に、
自分らしく生きたい(自己実現の欲求)という願いがあります。
難しく考える必要はありません。
大切なのは、
どの願いも人として自然なものだということです。
例えば、
職場で頑張り続けてしまう人は、
「認められたい」(承認欲求)
という願いがあるのかもしれません。
人との関係を壊したくなくて我慢してしまう人は、
「つながっていたい」(所属と愛の欲求)
という願いがあるのかもしれません。
安心できる居場所を探している人は、
「安全でいたい」(安全の欲求)
という願いを持っているのかもしれません。
つまり、
あなたが周りを優先してきたことにも、
ちゃんと理由があったのです。
決してあなたが弱かったからではありません。
人として自然な願いを持っていただけなのです。
私たちは時々、
欲求を持つことを悪いことのように感じてしまいます。
もっと休みたい。
もっと自由になりたい。
もっと自分らしく生きたい。
そんな気持ちが湧いてくると、
「自分ってわがままなのかな…」
と思ってしまうこともあります。
でも本当は違います。
あなたが認められたいと思ったことも、
誰かに必要とされたかったことも、
安心できる場所を求めたことも、
すべて人として自然な願いだったのです。
もし、今まで自分の願いに罪悪感を抱いてきたのなら、
少しだけ肩の力を抜いてみてください。
あなたの願いは決して間違っていません。
そして、
その願いは今もあなたの心の中にいます。
次はいよいよ、
長い間見えなくなっていた願いを、
少しずつ思い出していく時間です。
一緒にあなたの願いを見つける旅に出かけませんか?
== ここまで読んでくださり、ありがとうございます ===
もし今、
この手紙に書かれた内容は
「私のことかもしれない」
そう感じる部分があったのなら、
少しだけご自分に問いかけてみてください。
□ 気づくと、人の相談役や聞き役になっている
□ 頼まれると断ることに罪悪感がある
□ 自分のことより相手を優先することが多い
□ 周囲から「優しいね」「頑張り屋さんだね」と言われる
□ 我慢することに慣れている
□ 頑張っているのに、どこか満たされない
□ 「私さえ我慢すれば」と思うことがある
□ 周りは少しずつ夢や目標を叶えているのに、自分だけ同じ場所にいる気がしている
いかがでしたか?
もし3つ以上当てはまったなら、
あなたが弱いのでも、努力が足りないのでもありません。
ただ長い間、
自分よりも周りを優先して生きてきただけなのです。
そして、
それを繰り返しているうちに、
少しずつ自分の願いが見えにくくなってしまっただけかもしれません。
本当は何がしたいのか。
本当はどんな毎日を送りたいのか。
その答えは、
あなたの中にあります。
もし今、
「このままは嫌だな」
「私も自分の人生を生きてみたいな」
そんな気持ちが少しでもあるのなら…
この先の手紙は、
置き忘れてしまったあなた自身を迎えに行くための旅となることでしょう。
誰かの人生ではなく、
あなた自身の人生を歩き始めるために。
その準備ができたら、
次のページを開いてみてください。
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