三殿台遺跡 大岡川紀行(1)
帷子川に引き続き、大岡川の中下流域(のほんの一部)を散策することにしました。まずは、赤い電車の京急線の弘明寺駅に降りて…
弘明寺観音



弘明寺(ぐみょうじ)は、神奈川県横浜市南区弘明寺町にある高野山真言宗の寺院。瑞應山蓮華院と号し、横浜市内最古の寺院である。本尊の木造十一面観世音菩薩立像(通称「弘明寺観音」)は国の重要文化財。
1044年、光慧上人により瓦葺き本堂が建立された。本尊である木造十一面観音立像の彫刻予想年代と、この本堂建立の年代がほぼ一致することから、この頃が実際の開山と思われる。
鎌倉時代には源将軍家累代の祈願所であった。戦国時代には北条早雲から寺領を、江戸時代には歴代将軍から朱印地を賜り、坂東三十三観音の十四番札所として信仰を集めた。
高齢女性が手すりに掴まりながら一歩一歩階段を登って、お堂では深く頭を下げてお詣りしていらしたのが印象的でした。地域の方の信仰が熱いお寺さんです。
大岡川

大岡川は、神奈川県横浜市磯子区氷取沢町(氷取沢市民の森)に源を発し、横浜港に注ぐ二級河川。上流域の名称は笹下川。港南区港南中央通付近で日野川と合流、大岡川となる。流路延長:約12km(うち、二級河川指定部分約8.5km)。江戸時代、河口の吉田新田の干拓事業による埋め立てが行われるまでは、下流域の大半が大岡湾(蒔田湾)と呼ばれる入り江だった。
大岡川紀行なので、大岡川については次回じっくりと語ります。
弘明寺商店街
本行程がハードなことが分かっているので、商店街でしっかり腹ごしらえ。

途中でレモンを絞って加えると、爽やかなアジアン風に味変。
弘明寺商店街は昔懐かしい匂いがするなか、多国籍やおしゃれな店もフュージョンされた不思議な空間。京急のお散歩マップを片手に街ブラを楽しめます。
京急普通電車の旅23 弘明寺編(2012年版なので店舗情報はご確認ください)
https://www.keikyu.co.jp/visit/magazine/pdf/local_vol23.pdf
さて、目的地の遺跡に向かおう!


日時計のある岡村西公園
そして、やっと丘のてっぺんに!


敷石(夏至から冬至の間)の上に立ち、自分の影が射す数字から時刻を読む、参加型アトラクション「かげぼうし日時計」です。
三殿台遺跡
よし、ここからすぐのところに、目指す遺跡があるはず!
地図だと平らに見えるけど…




三殿台遺跡は横浜市磯子区岡村にある縄文・弥生・古墳時代のムラの跡です。遺跡は標高55メートルほどの小高い丘の、約10,000平方メー トルの広さがある平坦な場所にあります。丘の周りの斜面には数か所の貝塚が点在し、明治30年代に発見され、「屏風ヶ浦岡村貝塚」の名称で紹介されて注目されるようになりました。その後、隣接する市立岡村小学校の校地拡張予定地となったため、1961(昭和36)年夏、多くの研究者や中・高・大学生、市民ら延べ5,000人が参加して、遺跡全体の発掘調査が行われました。
(中略)
調査の結果、縄文時代から古墳時代にわたる約270軒もの竪穴住居跡が見つかりました。特に弥生時代の住居は170軒近くあり、当時のムラ としては大変貴重なものであることがわかりました。そのため、大岡川流域の原始・古代のムラの様子と生活の内容を知ることができる重要な 遺跡であるとして、1966(昭和41)年に国の指定史跡となり、翌1967(昭和42)年、三殿台考古館が開館して、遺跡とともに公開されています。
各大学から泊まり込みで参加した学生、近隣の中高生や市民が発掘に参加・協力したそうです。
【ご参考】
台地を一気に剥がして出現した縄文・弥生・古墳の 3 時代にわたる 複合集落遺跡 ― 三殿台遺跡 ― 横浜歴史さろん 特集記事20211207
https://yokohamasalon.link/wp-content/uploads/2022/03/tokushu20211207santonodai.pdf
(↑出土品の解説や当時の生活スタイルの紹介もあるので、ぜひご視聴を!)
遺構保存棟






保存棟の裏手には、再現住居が建っている!

縄文時代の再現住居





弥生時代の再現住居





↑縄文住居と弥生住居の建築過程が写真で紹介されていて、構造の違いが分かりやすく参考になります。
古墳時代の再現住居





住居の立地

縄文時代は台地の周縁部に家が建っていて、弥生時代は真ん中の方に建っていたらしい。縄文時代は中央部に広場があるのが集落のスタイル。
縄文時代
中期(4500年前)に初めて集落ができ、後期(3500年前)にも形成された。
採集、狩猟、漁労で生計を立てていた。
弥生時代
中期(2000年前)、稲作と青銅器の技術を持った民族がやってきて集落を作る。
中・後期に渡って大岡川流域の中心的なムラ。同時期に20軒ほど立っていた。
古墳時代
初期と後期(1400年前)に集落が営まれる。カマド跡、鉄器、須恵器が出土。
【ご参考】三殿台遺跡パンフhttps://www.rekihaku.city.yokohama.jp/cms_files_sandd/santonodai/naka.pdf

周囲の眺望


360°全方向遮る物のないワイドな視界!
考古館

記事執筆中におすすめで紹介されたTegeed Odooさんの記事です。三殿台遺跡施設を設計した建築家・大岡實さんのお話やこの地域のトリビアを知りました。

展示






小規模なスペースに充実した展示内容。
斜面に広がる貝塚
考古館前の斜面で草刈り作業をしている方に声を掛けられました。
「ここの斜面、今でも貝が出てくるんだよ」

となったら、地理院地図の色別標高図で地形を確認。


松原 慶應義塾大学日吉紀要 より 2016https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN10425830-20170331-0001.pdf?file_id=122902
海進のピークを過ぎた頃、大岡川の河口付近に遠浅の海が出現し、住みやすくなったのだろうか?

蒔田町方向に開いた谷戸は、古大岡湾内の入り江で船着場にピッタリ。潮の干満で、汽水域に住む貝類や水生生物が豊かだったはず。
縄文時代には何を食べていたのか?

獣肉、海産物と結構豊かな食生活に見える。
イルカは舟で内湾に追い込み、銛で捕獲していたようだ。
イヌ類は狩猟犬としての埋葬なのだろうか?縄文時代には犬食の習慣は無かったとされており、また貝塚からのオオカミの骨の出土も少ないらしい。

【ご参考】
埋文よこはま37 横浜の貝塚① 縄文時代https://www.rekihaku.city.yokohama.jp/cms_files_maibun/pr_brochure/371-8-2.pdf
縄文人と貝塚 かながわ考古学財団 松田光太郎https://www.kaf.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2012/02/H181youkoso.pdf
神奈川県内各地に残されている縄文の海 松島義章
神奈川自然誌資料1 97~ 102, Mar. 1980
https://nh.kanagawa-museum.jp/files/data/pdf/nhr/01/nhr1_097_102matsushima.pdf
横浜市内の沖積層の貝化石群集(予報) 松島 義章
Bull. Kanagawa Pref. Mus. No. 6, Jul. 1973
https://nh.kanagawa-museum.jp/www/contents/1600216217382/simple/Bull6_7-19_matsushima.pdf
縄文時代の漁労https://www.city.tsuchiura.lg.jp/data/doc/1666607679_doc_159_0.pdf
それでは、いつもの縄文不動産の広告ポエムを…
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