【つながる旅行記#439】『鳴ちゅるうどん』を食べつつ、讃岐の労働者を想う【コシ】
前回は大麻比古神社に行ったところ、まさかのドイツ要素に遭遇した。

では、今回はさっそくこのドイツ風(?)の建物に入って……

いや、先にお昼ご飯だな!
おや……?
「うどん」の幟が出ているということは、まさか……!?

おお! 噂の『鳴ちゅるうどん』があるじゃないか!
これも一期一会である。
せっかくなので食べていこう!(安いし)

さてさて、出てきたのは実にシンプルなうどんだった。
ちょっと前に香川でうどんを食べていたことを思い出しますね……!
ではいただきます!!
(ズゾゾ……)
柔らかいぞ!?
そう、直近で食べていたのが香川のコシMAXなうどんだったのでびっくりしてしまったが、まさかの柔らかいうどんだったのである!
いやしかし『鳴ちゅるうどん』の方が顎の力の消費は少なくて済むので、とても食べやすい。
(ああ、そういえば自分の実家で出るうどんは、父の好みに合わせて『箸で持ち上げたら切れるレベルの柔らかうどん』だったな……)
いやそれはともかく、出汁の味は優しめで、特徴的な不揃い麺がなんだか新鮮な体験である。
これが『鳴ちゅるうどん』……!!
しかし隣の香川県と比較して、こんなにも真逆なうどんになるんだなと。
由来を調べると、鳴ちゅるうどんの始まりは『かつて鳴門市の塩田で重労働をしていた人々に向けた柔らかいうどん』だったそうだ。
なるほど、重労働の後に『食事まで重労働』なんてのは大変だもんな……。
疲れた体には柔らかいうどんのほうが染みるのかもしれない。
はっ……!
もしかして自分の父親が柔らかいうどんを好んだのも、そういう理由があったのかも!?
(正直ただの好みだと思う)
しかし、そうなるとふと疑問が湧いてきた。
香川にだって塩田はあったわけで、労働者たちは鳴門市と同レベルで重労働だったはずだ。
でも讃岐(香川)のうどんはコシが特徴だから……
食べるのがめっちゃ大変だったってこと……?
いや、調べてみるとどうやらかつての讃岐うどんは、今のようなコシMAX仕様ではなかったようなのだ。
讃岐うどんは、1970年の大阪万博で知名度が上がり、しばらく経った1980年以降に独自の尖り方を目立たせ始めたという。
つまりは、昔の讃岐うどんは今よりコシ控えめで食べやすく、疲労困憊の塩田労働者もズルズルいけたのかも……?
とはいえ、そもそも昔のうどんが『麺の形』をしていたのかという話もあるし、現代の讃岐うどんのコシに関しては『ASW(Australian Standard White)』が非常に重要ということについても語る必要があって……!
……いや、「なんで徳島の旅行記で讃岐うどんについて熱く語ってるんだよ」という話なので、うどん話はこの辺にしておこう。

うどんを食べ終わって店内を眺めていたら、何やら展示があった。
どうやら板東俘虜収容所を舞台にした『バルトの楽園』という映画があるらしい。
説明を読んだ感じでは、映画の主人公といえる松江豊寿(まつえ とよひさ)所長がかなり重要なキーパーソンなようだ。(なお演じたのは松平健)
松江氏がいたからこそ、板東俘虜収容所では日本で他に例がない捕虜と住民の深い交流が起きたといえる。
そんな彼の深い人権意識は、会津若松市の会津藩士の子として生まれたことが大きく影響したそうだ。
会津藩は戊辰戦争において新政府軍に最後まで抵抗した『賊軍』とみなされたので、明治維新後の扱いはかなり厳しいものだった。
明治後期になると、会津出身であっても官職に登用されるようになったとはいえ、松江氏には過去に厳しい扱いをされた頃の記憶が残っていたのだろう。
彼の行動は、『ドイツ人捕虜に同じ辛さを体験してほしくない』という発露だったのかもしれない。

ではお腹も膨れたところで、あのドイツっぽい建物(?)を見に行くとしようか。
まあ、基本情報はさっきの展示物で見ちゃったわけだが、こういうのは繰り返し見ると定着するもんだから……!
追加情報を求めて、次回へ続く!!
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