【つながる旅行記#455】浦嶋神社にて『最古の浦島太郎伝説』を知る【浦嶋子】
前回は、相棒の折りたたみ自転車と共に丹後半島を盛大に走り出した。

さて、伊根の舟屋を見事にスルーした自分は、現在浦島太郎の里を目指して走っているところだ。
視線を横に向けると、これまた自分のよく知る田舎の風景が見える。
この雪の残り方、山の色、なんとも懐かしい……!


それはそうと、気付けば時刻は11時である。
出発からもう既に2時間30分も経っていたことに驚きつつ、そろそろ何かしら食料を補充しておきたい。
だがマップを見るに、どうにも半島の先端部には大手のコンビニはなさそうなのである。

とはいえこの場所にだって人が生活しているのだから、なにかしらの商店くらいはあるだろう。
見つけたらすかさず寄っていかねば。

……なんて思っていたら、さっそくそれらしき建物を発見。
なんだか建物のサイズもコンビニより余裕で大きくて、非常に助かる。

おにぎりや飲み物を追加でゲットしつつ、先を急ぐぞ……!



おっ!なんだか浦島太郎の里っぽさが出てきた!
でも考えてみれば浦島太郎って、何を伝えたい話なんだろう。
『親を放置して遊び呆けてると全てを失うぞ』とかだろうか?
しかし浦島太郎は龍宮城に行く前に「あ、この先は時間の流れの早さが違うんで!」みたいな注意を亀から受けていないし、『ちょっとご飯食べてくる』くらいのつもりだった可能性も……?
そう考えると、亀を助けるという善行をしたのに、あんな末路になってしま
った浦島太郎が可哀想すぎる。
……いや待てよ?
そもそも万年生きるという亀が、人間の時間スケールを理解していなかったという可能性もあるのでは?
うーむ、なかなかに考察しがいがあるな。
さすがは現代まで残り続けている昔話……!

そしていよいよ地名が『浦嶋(うらしま)』になった。
うーむ、これは浦島太郎の生誕地で確定ですね!
そして自分は、目ざとく看板の修正跡をズーム撮影するのだった。


そう、浦島太郎の『島』と地名の『嶋』は違うようなのだ。
きっと担当者が間違えてしまって、後から修正したのだろう。
つまりこのテープを剥がせば、その下には『島』が……!?


そんなどうでもいいことを考えつつ、浦嶋公園に到着である。
ここには浦嶋神社以外にも、お土産売り場とイタリア料理店があるようだ。
(なぜイタリア……?)




お土産はさておき、浦島太郎情報をゲットしていこう。
と、その前にまずは浦嶋神社(宇良神社)の紹介をしないとである。


解説板を読むに、浦嶋神社の祭神は『浦嶋子』だそうだ。
そして『浦嶋子』とは、なんと『浦島太郎』のことなのである!!
お爺さんやら鶴になったバージョンは知っていたが、まさか神にもなっていたとはね……!

伝承によると、浦嶋子は478年の7月7日、美婦に誘われて常世の国へ行き、825年に帰ってきたという。(まさかの347年経過)
そしてこの話を聞いた淳和天皇は、浦嶋子を筒川大明神と名付けた。
その後、小野篁(おののたかむら)が勅使として派遣され、社殿が造営されることになったようだ。
(なお、1339年には足利尊氏が訪れて、あれこれ奉納していったそうな……!)

いやはや、浦島太郎は空想上の人物だと思っていたのだが、こんな伝承があるのなら本当に実在した人物なのかもだ。
しかし現代でいえばジョンタイターみたいな人物が現れたみたいなものだろうに、浦嶋子を神にして社殿まで建ててしまうだなんて、淳和天皇はかなりの太っ腹である。
だがよく考えると、約350年のタイムスリップはさすがにヤバいのでは……?
例えばジョンタイターは『2000年に現れた、自称2036年の未来人』であり、36年という短めな時間スケールだ。
だが浦嶋子はというと、478年→825年という尋常じゃない時間の移動をしているのである。
時代で言えば、古墳時代から平安時代まで一気に移動したということになる。

さすがにこのレベルだと、同じ地域の人間だろうが言葉がまともに通じない可能性もあるだろうし、価値観の違いなんてもう凄まじいことになっているだろう。
現代人が江戸時代の価値観にわりとドン引きするのだから、古墳時代と平安時代なんて、もはや違う国みたいな印象になるんじゃないだろうか……?
そんな浦島太郎の物語だが、なんと日本書紀にも載っている。
二十二年、
秋七月、
丹波國餘社郡筒川人瑞江浦嶋子、
乗レ舟而釣、遂得(二)大龜(一)。
便化(二)爲女(一)。
於レ是浦嶋子感以爲レ婦、
相逐入レ海、到(二)蓬莱山(一)、
歴(二)覩仙衆(一)。
語在(二)別巻(一)。
【概要】
時は雄略22年(478年)秋7月のことである。
丹波國餘社郡筒川に水江浦嶋子という人物がいた。
(ある日)舟に乗って釣りをしていると、遂に大龜を得たが、龜は女性に化してしまった。
女性の放つ妖艶な魅力に引き込まれた浦嶋子は、女性を妻とした。
海に入った二人は、蓬莱山に至る。
そこで、不老不死の仙人をつぶさに目にしたのである。
詳細は別巻に在る。
なるほど、最古の浦島太郎では『亀が女性になる』というストーリーだったようだ。
そしてまさかの「詳細は別巻」で終わる記述。
「いや別巻ってどれだよ」と自分は思ってしまうわけだが、これは『丹後國風土記』ではないかと言われている。
(詳しく内容を知りたい方は以下のリンクからどうぞ)↓
だがしかし、ここで気になることがある。
日本書紀の完成は720年だが、神社の伝承では浦嶋子が常世の国から帰ってくるのは825年だったはずだ。
そうなると、『浦嶋子が帰って来たと思ったら、100年前に自分の話が広まっていた』という意味がわからない展開になるのでは……?
この時系列に関しては、「淳和天皇は道教の熱心な信仰者で、昔からあった浦嶋さんのお社を別の場所に移し替えたのが825年だったんです」という説明を浦嶋神社の宮司さんが行っている。
なる……ほど?

そんなこんなで、思いもよらぬ形で浦島太郎について深掘ることになった。
こうして自分の知る物語の原典を辿ると、意外と別物になっている例は多いのだろう。
(現代の子どもに語られる昔話に関しても、かなり毒気を抜いているという話を聞いたことがあるし)


そういえば最初の方で、「浦島太郎は『親を放置して遊び呆けてると全てを失うぞ』みたいな教訓を教える物語では……?」みたいなことを話したわけだが、丹後國風土記に書かれた浦島説話によると、浦島太郎は仙界で3年過ごしていたようだ。
「親を放って3年も過ごすなんて浦島太郎くんさぁ……」と思ったが、正直自分だって年に数回しか実家に帰っていない人間である。
別に全ての昔話が教訓を仕込んでいるわけではないのだろうが、なんだかもうちょっと親に顔を見せておくべきなのかもしれないと思えてきた。
……やっぱり昔話って凄いのかもしれない。


それでは浦嶋公園をあとにして、再び丹後半島を巡っていくとしよう。
とりあえずは、何度も案内標識で出てきていた経ヶ岬灯台を目指す感じで。


道は再び海沿いに戻り、なかなか気分よく走れそうだ。
このペースで行けば、半島の付け根には日が落ちる前にたどり着けるだろう。

そしてサルが描かれた注意看板があった。
カメラなんかを取られたらショックどころではないので、警戒していかねば。

なんだか動物の勢力が優勢な地域になってきたことをひしひしと感じつつ、
次回へ続く……!!
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