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【レビュー】「ストレンジャー・シングス5」:史上最高のエンディングはどう作られたのか?

壮大な世界観と緻密な脚本

まだネットフリックスが今ほど普及していなかった
2016年に配信が始まった本作。

ネットフリックスの普及は
本作無しではあり得なかったとさえ思えるほどの
世界的人気を獲得し、
10年を経てシーズン5でフィナーレを迎えた。

超能力を持った少女がモンスターと戦う、
という、80年代~90年代の日本アニメで
よく見かけた設定のSFドラマ。

※ダファー兄弟は「AKIRA」や
   「エルフィンリート」から
 影響受けたことをインタビューで語っている。

本作を引っ張る大きな謎は2つ。
Qなぜ少女は超能力を使えるのか?
Qモンスターは何者なのか?

謎の答えに詰め込まれたのは
ショーランナーであるダファー兄弟が慣れ親しんだ
映画、ドラマ、アニメなどの名作である。

その愛情の深さがファンタジーな世界を
惜しみなく広げ続け
そして同時に数々の名作を通して得た
ストーリーテリングの知見による緻密な構成によって
最高のエンディングが生み出されたものと思う。

要するに名作への愛情が生んだ
緻密な脚本が素晴らしいエンディングの
要となった訳だが
それだけでは作品を作ることはできない。

今回は史上最高のエンディングである
本作の最終回がいかにして生み出されたのか?

放送作家の目線で分析していきたい。

その疑問を紐解くキーワードは”愛情”である。

作品概要

ストレンジャー・シングス 未知の世界
(2016年~)
Stranger Things Season
製作総指揮:ショーン・レヴィ
製作:マット・ダファー、ロス・ダファー
出演者:ウィノナ・ライダー、デヴィッド・ハーバー
フィン・ウルフハード、ミリー・ボビー・ブラウン
ゲイテン・マタラッツォ、ケイレブ・マクラフリン
ノア・シュナップ、ナタリア・ダイアー
チャーリー・ヒートン、ジョー・キーリー、カーラ・ブオノ

Filmarks

あらすじ

少年の失踪事件や超常パワーを持つ
謎の少女の出現など、
次々に起こる不可解な事件が、
インディアナ州の小さな町ホーキンスに潜む
驚愕の秘密を暴いていく。

Filmarks

子供たちのリアルな成長

”成長”とはあらゆる作品においての必須要素である。
主人公が何らかの事象をきっかけに
成長し、苦難を乗り越える。
本作もまた、
この基本プロットに則って作られている。

だが、本作はそれだけではない。

主要な少年たちを演じた子役たちの年齢は
シーズン1の時点では11~14歳。
シーズン5では全員が成人を迎えている。
作品上での心理的な成長だけでなく
登場人物たちのリアルな成長と共に
シーズンを重ねてきた。

子供の成長そのものをテーマにした作品がある。

リチャード・リンクエイター監督の
「6才の僕が大人になるまで」では
6歳の少年を主人公として
1年に1度の撮影を12年間繰り返して作られた。

心理的な成長と肉体的な成長を見事に描いた
知る人ぞ知る名作である。

本作では少年たちが
メインキャストであるという特性上、
「6歳の~」と同様の効果を得ている。

肉体的な成長は観客に自ずと
登場人物に自分の人生を重ねて見せるという
効果があると思っている。

多感な時代に感じたことや
体験したことの片りんを
作品の中に見つけては共感し
より深く彼らの冒険を見入ってしまう。

全編を通してそんな体験をした人は
きっと僕だけでないだろう。

ハリウッドの世界では
子役は大成しないというジンクスがある。

「ホーム・アローン」のマコーレ・カルキン、
「ターミネーター2」のエドワード・ファーロング、
「スターウォーズep1」のジェイク・ロイド、

彼らはそれぞれヒット作を経験した後、
アルコール中毒や薬物依存、
統合失調症といった症状に苦しみ
俳優キャリアの中断を余儀なくされてきた。

そんな中で、本作に出演した主要な子役たちが
フィナーレまで誰一人欠けることなく
出演し続けたことは奇跡のように思える。

降板や代役は感情移入の妨げでしかない。

最終回のエピローグではシーズン1の回想が
印象的に使われていたこともあり
自分の子供の卒業式を見守るような気持ちで
彼らの成長を最後まで見届けることが出来た。

特異な親の描き方/親への願い

個人的な話になるが
本作が配信された2016年から現在までの間に
結婚し、子供が生まれ、父親になった。

そんな訳で最近は映画を見る際に
父性と母性を意識することが増えた。

ハリウッド作品において
母性は絶対的な正義として描かれ
サラ・コナーやリプリーに代表される
ジェームズ・キャメロン作品的な女性像として
描かれることが好まれている。

そんな風潮の中で
本作でウィノナ・ライダー演じる
ジョイスもまた同様に
子供のために戦い続ける
勇敢な母親として描かれている。

サイキックバトルが巻き起こる真っただ中で
襲い掛かるデモゴルゴンを前に
生身のままで身を挺して子供を守る。

母親とは何があっても子供を守るもの、
そんなダファー兄弟の願いのようなメッセージを
感じてしまうのは
最終回で宿敵ヴェクナのとどめを刺す役割を
ジョイスが担ったからだろう。

子供たちの思いを背負って
瀕死のヴェクナを相手に
何度も手製の武器を振り下ろす。

その一打一打に込められた思いは
亡くなった仲間の仇であると同時に
「子供たちをもうこれ以上辛い目に遭わせない」
という強い覚悟が滲んでいたように思えた。

子供にとって母親とは
絶対的な愛情を与えてくれる最初の存在である。
だが現実の世界ではその愛情が続くとは限らない。
別れを余儀なくされたり、
歪んだ愛情に変化することも少なくない。

あのラストシーンで
母親の絶対的な愛情を描き切ることで
もたらされた安心感は計り知れない。

一方、父親については疑似親子という形で
ホッパーを通して描かれている。

かつて娘を病気で亡くしたホッパーは
エルを娘同様に守り、父親として育てていく。

昨今のハリウッド作品では父性は
キリスト教至上主義、”古き良きアメリカ”、
トランプ政権、といった文脈の中で描かれ
否定的な精神性として印象付けられている。

だが本作のホッパーに投影された父親像は
そういった封建主義的な父性とはかけ離れた
モノとして描かれている。

亡くなった娘との関わりの中で
後悔を重ねている一人の男が
エルとの暮らしの中で
自分がなるべき父親を想像しながらも
そうなれない自分に葛藤を重ねていく。

娘を守るために娘を自分のコントロール下に
置かなければならない。
そんなホッパーは最後にエルの成長を認め
エルの決意を尊重する。

その結果、ホッパーは
再び“娘”を失うことになるのだが
過去を乗り越え父親となり、
エルと親子になれたことを
誇りに思っている様子が
エピローグからうかがえる。

本作において特異なのは
父親と母親が同じ役割を果たしている点である。

ジョイスもかつてはダメな母親だったが
息子ウィルの失踪を機に
良い母親になろうと努力を重ねていく姿が
描かれている。

ジョイスとホッパーのストーリーは類似している。

前述の通り、昨今の作品において
父性と母性は対立するテーマとして描かれているが
本作では性別に関係なく、
親は何があっても子供を守り信じる存在であるべき
というダファー兄弟の願いのような
メッセージが込められているのだ。

それは同時に全世界の子供たちが
両親に願う思いに他ならない。

理想的なモノづくりのチームワーク

ストレンジャーシングスに込められた
もっともシンプルなメッセージは
「強い絆があればどんなことも乗り越えられる」
ということだろう。

だが、それは脚本上での話。

似たようなメッセージが込められた作品と
本作が圧倒的な違いを見せつける秘密は
ダファー兄弟によるムードメイクだと思っている。

インタビューにおいてダファー兄弟は
「クルーやキャストを家族として扱い、
 尊重し合う環境を作ることが重要」
と語っており
実際に、その空気感は
大量に投下されるオフショットでも
垣間見ることが出来る。

僕自身、テレビ番組の制作にかかわる中で
最近、重要だと気付かされたのが
このムードメイクである。

これまで雰囲気が悪いチームや環境からは
良い番組は作れないということを
何度も思い知らされてきた。

それぞれが自分のスキルを
最大限に発揮するためには
この作品のためならば!と思える
モチベーションが大事だし、
そこには作品性だけでなく、
チームへの思いも欠かせない。

必要なのは環境なのだ。

一部報道ではエルを演じた
ミリー・ボブ・ブラウンに対する
ホッパーを演じたデヴィッド・ハーバの
ハラスメントが噂されたが
後に、二人は友情が続いていることを強調している。

9年間の中で撮影は
シーズンを重ねるごとに過酷さを増し
さまざまなことがあったはずだが
主要キャストにおいては
誰も欠けることなく最後まで走り切れたのは
「強い絆があればどんなことも乗り越えられる」
というダファー兄弟のメッセージを
制作チームが体現したからだろうと思う。

最終回に溢れる愛情

何度絶賛してもし尽くせないが
本シリーズの最終回は
これまで見たあらゆるドラマ作品の中で
屈指の見ごたえだった。

約2時間のうち最初の1時間は
ヴェクナとの最終決戦に充てられ
そして残りの1時間は作品を結ぶための
エピローグに充てられた。

全編に渡って感じたのはヴェクナさえ含む
登場人物全員への愛情だ。

一人一人のストーリーを見事に完結させる
その素晴らしい脚本は見事だった。

中でも特筆すべきはウィルのストーリーだろう。

ウィルを演じたノア・シュナップは
シリーズ中に自らが同性愛者であることを
カミングアウトしているが

そんなノア演じるウィルは
ヴェクナに狙われており
仲間から守られる存在だったが、
作中でも自分が同性愛者であることを認め
仲間たちへのカミングアウトを経て
エル同様の能力者として覚醒し
ヴェクナに立ち向かう。

本シリーズにおいて
最高の成長を描いたストーリであった。

大作シリーズの最終回を作るうえで最も必要なのは
誰もが納得するエンディングだが
そこには作品性を高めたいという
クリエイターとしての思いが入り混じり
時にそれは軋轢を生む。

大作シリーズの最終回と言うことで
「ゲーム・オブ・スローンズ」について少し触れたい。

ネタバレになるが本作の最終回では
宿敵を倒してハッピーエンドになるハズのところで
最後の戦いの功労者であるデナーリス王女が
敵の王国の民衆さえも皆殺しにしたことから
その残虐性に未来を案じた主人公によって
殺害されるというショッキングな結末を迎える。

作品性を優先したこのエンディングは
賛否両論を巻き起こし、
ファンからは不評を買う結果になった。

「ストレンジャー・シングス」の場合は
エルが自己犠牲によって
この繰り返されてきた軍による人間兵器の開発に
終止符が打たれると言う結末。

ここで終わっていれば
作品性を優先しただけなのだが
最後にマイクによって語られる
エルは生きているという”物語”によって
観客は救われる。

誰もが納得するエンディングでありながら
高い作家性が存分に発揮された
素晴らしい結末だった。

また最終回で最も印象的だったのは
エピローグにおけるリアルな演出だろう。

ラジオ局の屋上で
ジョナサン、スティーブ、ナンシー、ロビンが
今後それぞれがどう過ごすのかを語り合う
シーンの会話は
彼らを演じたチャーリー・ヒートン、
ジョー・キーリー、ナタリア・ダイアー、
そしてマヤ・ホークらが
自分たちでアイディアを出したものだったという。

作品と自分が演じたキャラ、そしてチームとの
別れを惜しむ思いが溢れた名シーンだった。

そして、このシーンに続く
マイク、ウィル、ダスティン、ルーカス、
そしてマックスらが
地下室でダンジョンオブドラゴンに興じた後、
それぞれが涙ながらに
ゲームを本棚に収める場面もまた感動的だった。

あの涙は演技と言うよりも
このシーンで本当に終わりなのだ
という思いが溢れて
自然とこみ上げたような涙だった。

ちなみに、あの涙を見て、いよいよこれで
自分とストレンジャーシングスの物語も
終わるのだと思って、
僕もつられて泣いてしまった。

ダファー兄弟の作品への愛情が爆発したような
本当に素晴らしいエンディング。

子供が大きくなったら今度は一緒に見たい、
そう心から思える最高のドラマ体験だった。

ダファー兄弟をはじめ
キャスト、スタッフの皆さんに
最大の感謝を伝えたい。
お疲れ様でした。


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放送作家:辻井宏仁 最後まで読んで頂いてありがとうございました! 宜しければ応援お願いします!