物語の欠片 象牙色の城郭篇 19 四つの謎の解 2
-カリン-
「貧しかった両親にとっては、一度に二人の子供ができたのは想定外だったんだ。」
堰を切ったように話し始めたセダムの口調は、これまでの穏やかな雰囲気とは全く異なり、ぶっきらぼうな少年のような口調だった。
「両親は、どちらを育てた方が自分たちにとって得なのか、優秀な子供を見極めるために、ある程度の年齢が行くまで二人ともを育てた。そして私たちが五歳になった時、私を捨てることを選んだ。私は愛想のない子だった。ひとりで居ることが好きだった。兄は誰にでも愛想がよく、可愛いがられる子だった。それだけが私たちの明暗を分けたんだ。
父は腕のあまり良くない植木職人だった。安い賃金だったけど、街路樹の手入れなどで生計を立てていた。母と私たちは昼間に森へ行き、食料になるようなものを採って戻ってくるのが習慣だった。あの日、迷い込んだ霧の奥で珍しい果実を見つけた私は、母が喜んでくれるものと思って待ち合わせの場所に戻った。でもそこには、母も兄も居なかった。
まだ食料を探しているのかもしれないと思い、暫くその場で待った。このままでは暗くなるまでに戻れないという時間になっても、母たちは現れなかった。途方に暮れて、仕方なくひとりで町までの道を歩き出した。腹が減ったら籠の中の果実を食べた。それはこれまで食べたことの無いような美味しい果実だったけど、そんなことに喜びを感じている状況じゃなかった。
ひとりで歩く道程はいつもより長く感じた。実際遠回りしていたのかもしれない。町が見えた辺りで気が遠くなった私は、気がつくと孤児院に居た。何が起きたのか分からなかった。私は捨てられたのだと孤児院の職員から聞いた。」
セダムが五歳の時、カリンは十三歳。ちょうど正式な官吏になった頃だ。マカニとアグィーラを行き来することにも慣れていた。カリンがマカニの族長に救いを見出している同じ頃、セダムはアグィーラで絶望を味わっていた。
「孤児院の生活に不満は無かったけど、何度かこっそり家を覗きに行った。そこには私が居なくても全く変わらず生活をする家族の姿があった。自分は要らなかったのだと思った。その後、思い立ってひとりでアルカンの森へも行ってみた。何となくあの木が自分を助けてくれた気がしたから。
でも、二度とあの場所に辿り着くことはできなかった。私は森にも見捨てられたのだと思った。哀しくはなくて、なんだか可笑しくて、笑いがこみあげてきたのを憶えている。」
セダムは口元にうっすらと微笑を浮かべた。目は宙を見つめている。
「何年か経って、アグィーラは騒がしくなった。光の戦士が選ばれたとか、化身が揃ったとか、姫の成人の儀だとか…。浮足立った町の人々を見ながら、私は、闇が解放されるその時を待った。
待ちに待ったその日、魔物が城下町にも入ってくると、人々は家に身を潜めた。私たちも部屋でじっとしているように言われたけど、私はそっと抜け出し、生まれた家へ向かった。街灯は魔物から町を守るために最低限しか灯っていなかった。暗闇の中、私は人々の悲鳴を頼りに魔物の居る道を避けて歩いた。無事に家まで着いた私は、家の庭に火を着けた。」
火…。その時から既にセダムは火を使っていたのか。おそらくその頃セダムは九歳。カリンが、初めてマカニを訪れた年齢だった。妙な因縁のようなものを感じる。
「家に居た家族はすぐに出てきて、慌てて火を消した。灯りは魔物への目印になる。でも、遅かった。魔物は一瞬燃え盛った炎に誘われるようにして集まってきていた。騒ぎながら火を消していたのも逆効果だった。黙って逃げれば良かったものを…。そして、暗闇に隠れていた私の前で、私の家族は、魔物に引き裂かれた。」
あの恐ろしい笑い声は、セダムの心の声だったのだろうか。セダムがその場で声を上げたとは思えなかった。
「このまま闇がすべてを壊してくれればいい。こんな世界など、無くなってしまえばいいと思った。それなのに、闇はあっという間に浄化されてしまって、また、何事もないような日常が戻ってきた。この世界から見れば、私たち家族など、みんな要らなかったのだと思った。馬鹿馬鹿しくなって、私は再び孤児院で、死んだようにひっそりと暮らし始めた。それなのに…」
そこまで一気に話したセダムは、ゆっくりとカリンの方を向いた。虚ろな眼…あの時のアオイの眼と同じだ。魔物に魅入られた、正気でない眼。
その眼を見た途端に、カリンは怯む。自分はまた、誰かの中の魔物を引っ張り出してしまった。
「それなのに、ある日、身なりの良い夫婦がやってきて、物を見るような目で私たちを品定めしていった。そして何故か私は選ばれた。暇に任せて本を読み漁っていたのがその理由らしいと聞いた。基本的に大人しくしていて、他の子供のように面倒を起こさなかったのも評価された。そして私は夢を見たんだ。再びこの世界が闇に包まれる夢を。これは予知夢だと確信した。その時には闇が浄化されてしまわないよう、闇を浄化する方法を消してしまおうと思った。だから私は、あの夫婦の言いなりになったんだ。暮らしは豊かになったが、道具か人形のように扱われるのが苦痛だった。その苦痛は、木を傷つけることで吐き出して耐えた。あの二人の元を去ったら、私が城へ入れる機会など、この先訪れることはないだろう。木を傷つける度に、同じ夢を何度も観た。闇を救うことは、私に与えられた使命なのだと思った。闇は…私を必要としている。」
恐怖を顔に出してはならない。そう思っても、身体が上手く動かなかった。自分と似た境遇のセダム。双子の兄が居た分、ショックは大きかったかもしれない。マカニへ行くことが無かったら、あの時、レンや族長に出会わなかったら、自分がセダムと同じ道を歩んでいなかったと言い切れるだろうか。
駄目だ。弱さを見せたらセダムの心の闇に負ける。呑み込まれてはいけない。
「お前、馬鹿じゃない?」
ユウガオが口を開くのと、レンがカリンの肩に手をかけるのとがほぼ同時だった。
その途端金縛りが解け、カリンはユウガオを振り返った。
考えてみると、自分も同席させろと言った割に、話が始まるとユウガオはずっと無言だった。カリンは、こんなに厳しい表情のユウガオを見るのは初めてだ。
カリンの方を向いていたセダムは、相変わらず虚ろな視線をユウガオに移す。
「自分だけが不幸なような顔するなよ。お前は闇に必要とされているんじゃない。それはお前の心が生んだ闇だ。お前は、自分で自分自身を正当化しているに過ぎない。」
「…貴方に…何が解るというのですか?昔からずっと城に居て、好きなように仕事をして、頑張って上を目指そうとしている者を嗤っているのでしょう?」
「お前も俺のことを何も知らないだろう?お互い様だ。…あのな、俺もあの孤児院の出身なんだよ。しかも、あの孤児院の最初の孤児だ。俺も両親に捨てられた。赤ん坊の時にな。本当の両親はきっと今もこのアグィーラで暮らしてるんだろうが、俺は親の顔も知らない。」
大地が、ぐらりと揺れたようだった。長く通っている薬草の処理室が全く知らない場所に感じる。此処は、こんなにもよそよそしい場所だっただろうか。
カリンの肩に触れているレンの手にぐっと力が入る。レンも、驚いているのだと思った。しかしそのレンの手だけが唯一、カリンとこの世界を繋いでいる確かなものに感じた。
「貴方も孤児だから…どうしたというのですか。」
「あの孤児院は今は国の管理下だが、元々俺の育てのじいさん、ばあさんが創ったんだ。俺を拾って育てることに決めて、同じ境遇の子供たちに居場所を提供することを決めた。だから許せないんだよ。孤児であることを言い訳にして自分の行いを正当化する奴が。」
「ユウガオさん…。」
「…自分の身の上話はするつもりなかったんだけどな。」
ユウガオは一瞬、少し照れたような顔でカリンと目を合わせ、すぐにまた視線をセダムに戻した。
ユウガオは、ある冬の日、今の孤児院がある場所に建っていた家の前に捨てられていたのだという。そこには一組の老夫婦が住んでいた。老夫婦はその近所では人の好いことで有名だったから、彼らなら拾ってくれると思ったのかも知れない。老夫婦には子供は居なかった。
老夫婦の朝は早かったから良かったが、もう少し長く外に居たらユウガオは寒さで命を落としていただろう。
最初のうちユウガオは、本当の両親は亡くなっており、老夫婦は親戚なのだと教えられていた。しかしユウガオが六歳になり、二人が孤児院を始めると決めた時、真実を知らされた。その時は老夫婦を慕っていたし、「人を捨てる」ということがどういうことなのかよく分からなかった。
やがて孤児院に子供が増えてくるにつれ、そしてユウガオの年齢が進むにつれ、ようやく事態を把握した。自分は要らない子だったのだ。
老夫婦が始めた頃の孤児院は、今のように組織化されていたわけではなく、単純に老夫婦が子供を引き取って育てるという仕組みだった。
ユウガオは大勢の「弟妹」に囲まれて育った。
どうやって収入を得ているのだろうかと思ったが、ユウガオが後から聞いたところによると、実は妻の方は元々城の上級官吏の家の出で、当時城に残っていた関係者を通じて、「捨て子」が増えることは国の治安に影響すると進言して国から援助を得ていたらしい。
それとは別に、ユウガオたちは小さな頃から様々な仕事の手伝いをして暮らした。それは老夫婦が子供たちに労働させていたというよりは、早くから生活の術を身に着けられるようにという配慮からだったという。年齢に応じた必要な教育も施してもらえた。
孤児院へやって来る子供たちも様々な境遇の者が居り、時折自棄になって騒動を起こす子供も居たが、なんとかひとまとまりになって暮らしていた。
「…十歳の時にじいさんの具合が悪くなった。ずっとこのままの生活が続くとは思っていなかったが、ちょっと早かったな。それから二年くらいは寝たり起きたり。じいさんは頑なに城の医局に行きたがらなかった。理由は最後の方に教えてくれた。ばあさんは、いつだかの医局長の娘だったんだ。それが、下級官吏だったじいさんと恋仲になって反対されて二人で城を出た。だから行きにくかったんだな。もう知ってる人も少なかっただろうに。だから…単純だが、俺はそこから薬学の勉強を始めた。」
間に合わなかったけどな、と呟いたユウガオの声は、ずっと以前のことなのに、未だに悔しさを滲ませていた。
「じいさんが死んで、俺が医局の試験に受かるのを見届けるかのようにしてばあさんも逝った。ばあさんは自分が死ぬ前、例の知り合いを通して孤児院を国に任せる手続きを済ませていた。そして今の孤児院の形がある。制度は随分変わってしまったが、あそこは、要らない子供を無くすための場所なんだよ。いつか誰かの役に立てるよう、きちんと教育してくれるだろう?あそこにいるみんなは家族だ。勿論全員気が合う訳じゃないが、そんなのどこだって一緒だ。家族じゃなくてもいい。自分の一緒に居たい人は自分で選ぶんだ。」
「…自分の、一緒に居たい人?」
それは聞こえるか聞こえないかの微かな声だったが、セダムが初めてユウガオの言葉に素直に反応した。
「安定した生活を捨ててじいさんと一緒になったばあさんがいつも言ってた。誰かに必要とされることを望む前に、みんなに必要とされようと望む前に、自分にとって本当に誰が必要かを考えなさい。その人を精一杯大切にすることを考えなさいってな。…お前、自分の大切な人、居るか?」
「…いない。そんな人…。」
「それはお前が、他人から必要とされることを求めてばかりいるからだ。だから言ったんだよ。馬鹿じゃないか?って。」
「…ユウガオさんの大切な人は誰ですか?」
そう尋ねたセダムの顔は、実際の年齢よりもずっと幼い子供のように見えた。
「教えない。」
ユウガオはにやりと笑って言う。そう言ってから立ち上がり、セダムの背中をバシッと叩いて続けた。
「お前に大切な人ができたら、交換条件で教えてやる。いいか?さっき言ったとおり、あの孤児院で過ごした奴はみんな家族だ…と、俺は思っている。たとえ俺があそこを出たあとに入ったやつでもな。つまり、お前は俺の弟のようなものだ。お前呼ばわりは大目に見ろよ。ツツジ様やリリィ様に知られたらどうなるか分かったもんじゃないが、そこは上手くやろう。」
ユウガオが日頃から城や町の噂に耳を澄ましているのは、もしかしたら自分の”弟妹”たちの動向を知るためなのかもしれない。カリンはふとそう思った。訊いてもユウガオは否定するだろう。あくまでも自分の楽しみのためだと、そう言うに違いない。
セダムは、すっかり憑き物が落ちたような表情をしていた。
この表情を、再び絶望の淵に落としたくはない。そう思いながらカリンは、この事態をどう収めるかを考えていた。セダムが一連の犯人であったことを報告しないわけにはいかない。罪は償うとして、リリィはいったいどのような反応を見せるだろうか。
薬草の処理室の時計は、よそよそしい顔のまま時を刻んでいた。
