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物語の欠片 象牙色の城郭篇 1

-カリン-

 世界が闇に包まれている。早く闇を浄化しなければ。
 見覚えのある神殿。仲間たちの姿が見える。
 「何をしておる。石が上手くいかぬなら仕方あるまい。古代の方法に切り替える他ない。急ぎ人柱を立てる準備をせよ。」
 神殿に王の声が響く。王?王は上皇になったのではなかったか。
 目の前で粛々と人柱を立てる準備が行われている。カリン以外の化身たちは覚悟を決める。ひとりひとり、カリンと抱擁を交わして自分の持ち場へと去って行った。
 最後にレンがカリンの目の前に立つ。
 静かにカリンを見つめるレンの緑色の瞳が僅かに波立っている。
 人柱になる?
 何故?
 闇はすでに浄化したはず。あれは…あちらが…夢だったのだろうか?
 「カリンに出会えて良かった。今までありがとう。僕は、柱になっても、ずっと君を見守っている。」

 暗闇で目が醒めた。
 自分の頬を涙が伝っているのが分かる。
 慌てて隣に居る筈のレンに手を伸ばした。しかしその手は何も掴むことができなかった。
 次第に暗闇に目が慣れてくる。ここは間違いなくレンとカリンの暮らしている家だ。それなのに、隣にレンの姿はなかった。
 どこまでが夢でどこまでが現実なのか分からなくなった。今はいつで、自分は今どこに居るのだろう。駄目だ。涙が溢れて止まらない。
 外の空気を吸おうとベッドから降りる。もつれる足を奮い立たせながら部屋の入口まで行き、扉に手をかけようとしたところで彼方側あちらがわへ扉が開いた。不意を突かれてバランスを崩し、何かにぶつかる。
 「カリン?」
 その声を聴いて、安堵のあまり、カリンはその場に崩れ落ちた。レンが慌てたように隣へしゃがみ込む。
 「どうしたの?泣いているの?」
 声が出なかった。
 涙だけが次から次へと溢れ、床についた自らの手に大粒の雫を落とす。身体の震えを止めることができなかった。
 その背中を、レンの手が優しく撫でる。
 レンの手の感触を感じていたら、次第に涙の量は少なくなり、身体の振動も落ち着いてきた。先程見た映像に、胸だけがひたすら痛かった。
 胸の痛みを追い出そうとすると、それはそのまま頭痛に変わる。頭が割れるように痛んだ。床についていた手を放して頭を抱えるようにすると、ふっと自分の身体が浮いた。レンに抱えられているのだと気がつくまでに、少し時間がかかった。
 レンはカリンの身体を抱えたままベッドに歩いて行き、そっと身体を横たえた。その後自分も隣へ横になる。
 横になった状態のままレンはカリンを抱き寄せて、今度は頭を撫でてくれた。
 「大丈夫だよ。僕はここに居る。」
 大丈夫、とレンは小さな声で繰り返した。
 カリンは自分が小さな少女に戻ってしまったような気持になった。毎晩のようにあの夢を見ていた少女の頃。しかしあの時、こんな風に頭を撫でてくる存在は居なかった。
 ヨシュアも、カリンの夢の内容は知らなかった。夜、一緒に眠ることもなかった。
 大丈夫。今は、レンが居る。こちら側が現実だ。
 漸く気持ちが落ち着き、夢を見たの、と呟くように言うと、掠れた声が出た。頭痛はいつの間にか消えていた。
 「夢?怖い夢?それにしてはすごい取り乱しようだったね。」
 「人柱の夢。」
 ひとばしら、と口に出すだけで身を切られるように苦しいのは、昔と一緒だ。
 「え?それって、昔カリンが見ていたのと同じ夢ってこと?どうして今更。」
 「分からないの。分かったのは、今もあの夢を見ると私は全く昔と同じ気持ちになるということだけ。」
 「ごめん、タイミングが悪かったね。喉が渇いて目が醒めたから、水を飲みに行っていたんだ。」
 「レンのせいではないわ。」
 「ずっと見ていなかったんでしょう?」
 「闇を浄化してからは一度も。」
 「不思議だね。本当にどうして今になって…。」
 「また、繰り返し見るようになるのかしら。」
 「うーん。でもあれはサルビアさんがカリンに同じ思いをさせたくなくて見せていた夢ではなかったの?」
 「それは私の勝手な解釈。本当のことろはよく分からない。」
 「そうか。でも、大丈夫だよ。僕たちは生きている。今が現実だ。これからまた夢を見るようになったとしても、僕も毎回水を飲みに行っていたりはしないだろうし。」
 「そうね。ありがとう。明日も早いし、もう寝ましょうか。」
 レンの手前、そう言うしかなかった。しかし、カリンの心の中には世界を覆った闇よりも色濃い不安が立ち込める。これは何の前触れだろう。
 いつものようにすぐに寝息を立て始めたレンの寝顔を眺めながら、カリンは長い間眠りにつくことができなかった。

 長い冬の後でようやく春になったマカニの村では、大吊り橋の建設が始まっていた。数度の雪崩の危機に見舞われながらも大方の雪は解け、村には元の活気が戻っている。畑には春撒きの作物の芽が芽吹き始め、店にも春の食材が並ぶ。人々の装いも身軽になり始めた。本来ならばこれから夏にかけてマカニの一番いい季節を迎えるというのに、カリンの心は晴れない。
 昨夜見た夢の棘がずっと胸に刺さったままだ。目に入るすべてが刺激となり、その棘をチクチクと揺らした。目の前にあるしあわせがずっと続くものだとどうしても思えなかったのだ。今あるこのしあわせを失うくらいならば、今すぐ消えて無くなりたかった。
 診療所に患者はおらず手持無沙汰だったが、心に不安を寄せ付けないためにひたすら手を動かしたかったので、今日は歴史書の再編纂の仕事をすることにした。紙に向かって黙々と手を動かす。途中、カエデが診療所にやってきたが、軽く挨拶を交わした他はずっと紙と向かい合っていた。カエデはカリンが何かに集中している時は声をかけてくることはない。しかし今日は、暫くすると、目の前にお茶のカップが置かれた。
 カリンは顔を上げ、黙ってカエデの顔を見る。カエデはいつもの穏やかな笑顔でカリンの顔を見つめ返した。カリンはカエデに敵わないことを知っているので早々に降参した。
 「ありがとう。」
 「いや。私がゆっくりとお茶を飲みたくてね。今朝は少し慌ただしかったんだ。」
 「何かあったの?」
 「ホオズキさんが随分熱心で、こちらの引継ぎの準備が追い付かない。」
 珍しく少し悪戯っぽい表情で話すカエデの気遣いが再びカリンの胸の棘を刺激して、カリンの目からはとうとう涙が溢れた。昨夜から泣いてばかりだ。
 「お茶をお飲み。」
 涙の訳は尋ねずにそう言ったカエデの言葉に黙って頷き、カップを手に取る。そしてそのお茶をひと口含んで、カリンははっとした。驚きで涙が止まる。
 カエデの淹れてくれるお茶は何種類もある。しかしこのお茶は、カリンが族長にあの夢の話をした、まさにその時に入れてくれたのと同じお茶だった。
 カリンは思わずくすりと笑いを漏らした。
 「カエデさん、どんな魔法を使ったの?」
 「私はカリンのことを大切に思っているんだよ。」
 「私だってカエデさんのことが大切よ。族長様も、シヴァさんもマオさんも、スグリさんも…マカニの村が大好き。レンを…失いたくない…。」
 「そう。そんな顔をしていた。昔のカリンを見ているようだった。だから、あの時と同じお茶を無意識に選んでいたんだよ。…久しぶりに夢でも見たかな。」
 「カエデさんがそんな風に訊くの、珍しいね。」
 「族長も、今朝少し様子がおかしかったんだ。何か関連があるのかと思って。」
 「族長様が?」
 「族長のことだからほんの僅かに違う程度だけれどね。」
 そうだ。カエデはずっとあの族長と一緒に暮らしているのだ。族長に比べれば自分のおかしな様子に気がつくことなど容易たやすいに違いない。
 それを聞いてカリンは素直に昨夜の夢のことを話した。話してしまってから、族長の話を出したのもカリンが話しやすくするためのカエデの気遣いかも知れないと気がつく。
 カエデに話すとカリンの心は驚くほど軽くなったからだ。カエデは闇が浄化されるまでカリンの夢を知ることはなかった。カリンと族長、そして化身の仲間だけが知る秘密だった。今はカエデにも、そしてその気になればシヴァにもスグリにも話すことができるのだ。あの話は人に話してはならない未来ではなく過去になった。
 今でも、未来でもない。過去だ。
 途方もない安堵がカリンの身体を駆け抜けた。安堵し過ぎて反対にくらくらする。このまま倒れ込んでしまいたかった。
 しかし、安堵したカリンの中には新たな疑問が流れ込んできた。
 何故、今になって終わったはずの過去の夢を見たのか。昔見たあの夢には意味があった。夢のおかげでカリンはレンを始め化身の仲間を失わずに済んだのだ。
 今回は何のための夢だ。そもそも、昔見ていた夢も、どんな存在が何のためにカリンに夢を見せていたのだろうか。昨日レンに言ったとおり、カリンに同じことを繰り返してほしくなくて、あるいは、カリンにアイリスを救ってほしくて、サルビアがカリンに夢を見せていたというのは勝手な解釈だった。本当の所は何もわかってはいない。
 もしそれが正しいとしても、何故サルビアにそのような力があるのか。他の化身たちとは意味合いの異なる大地の化身とはいったい何なのか。自分はいったい、何者なのだろうか。
 族長も今朝、様子がおかしかったのだとカエデは言った。族長に会いに行ってみようと思った。そして族長にも、昨夜あの夢を見たのだと話してみよう。族長の反応が確かめたかった。
 そう思ったら居ても立ってもいられなくなり、カエデのお茶を有難く全部いただくと、カエデに断って診療所を出た。
 はやる気持ちを押さえてカリンは気持ちを落ち着けるためにわざとゆっくりと族長の家へ向かった。あの時だってそうだったではないか。夢に怯えて泣いていても何も解決しない。謎があるならそれを解かなければならない。夢に何か意味があるならば、手遅れにならないうちに。
 森の主の所へも行かねばならないだろう。森の主はおそらく何か知っている。それを話してくれるかどうかは別として、森の主はいつだってカリンの味方だった。必要な話はしてくれるだろう。森の主が語らないのであれば、まだ時が満ちていないだけのことだ。
 大丈夫。今回も乗り越えてみせる。
 族長の家へ辿り着く頃にはすっかり気持ちは固まり、扉を開けてくれたホオズキに心からの笑顔を返すことができた。族長補佐となったホオズキ。ここにも確かにマカニの今が在った。


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この物語は長い長い物語の一部である。全体の索引はこちら▼


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