物語の欠片 象牙色の城郭篇 20
-レン-
ユウガオは、クコ同様アグィーラの城の中では親しくしている人のひとりだ。二人とも城の中の権力争いには興味が無く、かといって自分の仕事にいい加減なわけでもなく、仕事を含めた人生を楽しんでいるように見えた。いや、きっとそうなのだろう。ただそれは、必ずしも恵まれた人生故ではなかったのだということだ。二人とも、意思を持って自分の人生を進んでいる。レンが覚えたのは同情ではなく尊敬の念だった。
セダムは確かに気の毒だ。しかし犯罪は犯罪。罪は償わなければならない。まだ若いのだから、今回のユウガオとの出会いが、この先の支えになるといいと思う。
レンはふとアオイのことを思い出した。アオイのやったことも立派な犯罪だ。しかしそれはカリンのおかげで、かろうじて未遂に終わった。だからカリンはそのことを、当時王だった上皇を始め誰にも告げなかった。
石のすり替えが起こったこと自体は、少し前にアルカンの森で、上皇によって白状させられてしまったが、犯人は知られぬままだ。アオイが犯人だと知っているのは、あの時神殿に居た化身の仲間たちと、レンがカリンを森から連れ帰るために事情を話した族長とヨシュアのみである。
アオイは法的な罪には問われなかったが、自らの罪を償うかのように、出世も顧みず医術で人の命を救う道を邁進している。
セダムは、このまま医術の道を歩むことができるのだろうか。
先ず、今回は四つのすべての事件が、既に警邏室の管轄下にある。未遂ではなく、事件として成立してしまっているのだ。犯人を隠すわけにはいかない。そんなことをしたら、ここに居る全員が隠蔽罪で罪を負うことになる。つまり、セダムのやったことは明らかにしなければならず、何らかの刑罰は避けられないだろう。罪の重さはレンには想像ができない。
それから、罪を犯したセダムを、医局長夫妻が引き続き面倒を見るつもりがあるかどうかも疑問だった。
カリンは先程からきゅっと眉根を寄せて何かを考えている。きっと、セダムを救う方法を考えているのだろう。
薬師室は異常なほど静かだった。
普段レンがこの部屋へ来る時にはカリンが何かしらの作業をしている。大抵、薬草から薬の成分を抽出する機械が動いているため、音が途切れることはない。
今は時計の音だけが、やけに響いていた。その音が、まるで時間が無いことを告げているようだ。
「怖い…。」
セダムが呟いた。
蒼白い顔で、身体が、小さく震えている。
セダムも、自分の置かれている立場をようやく論理的に理解したのだろう。それまでは自暴自棄になっていたに違いない。
「カリンが何とかするさ。」
その肩をユウガオが抱いたが、ユウガオの顔も決して楽観視はしていない顔だった。それでもレンと目が合うと、にやりと笑う。
再び時計の音がその場を支配した。
どのくらい経っただろうか。漸くカリンが口を開いた。
「セダム様。セダム様の素直なお気持ちを教えて下さい。このまま医術の道を歩まれたいですか?それとも、考古学を学ばれたいと言っておられたのは本心なのでしょうか。」
「それは…。」
セダムは突然の質問に言葉を詰まらせた。自分の本当にやりたいことなど、考えたことも無かったのだろう。
セダムはもう震えてはいなかった。真剣な表情で考え込んでいる。
「医術はいいぜ。」
ユウガオは、セダムの顔を覗き込んでそう言った。
「どうしてですか?人を救えるから?」
「まあ、医術だけでなく、どの仕事もそれぞれ何かの役には立ってる。でもな、怪我や病を治せるのは医師と薬師だけだ。
人と人は合う合わないがあるよな。俺たちが捨てられたのだって、俺たちと親の何かが合わなかったって考えれば仕方のない気もする。でも病は、まだ一緒に居たいと思っている者同士を引き裂いてしまう。それをどうにかしてやれるのは、医術を志した者だけだ。勿論、今の医術ではどうしようもないものもあるが、いつかはそれも、治せる怪我や病になるかもしれない。」
黒鳥病。
レンは口を出すつもりはなかったのだが、呟いてしまっていた。
他の三人の視線がレンに集まる。気まずかったが仕方がないので続きを言葉にした。
「マカニには黒鳥病という、マカニ族の子供しか罹らない病があります。長い間誰も原因が分からなくて、それはマカニ族にとって、恐ろしい不治の病でした。沢山の子供が命を落とした。私は幸い難を逃がれましたが、おかげで同世代のマカニ族がほとんどいません。今もその病気は存在しますが、カリンが原因を突き止めて薬を作ってくれたおかげで、不治の病ではなくなりました。
ユウガオさんの言われた通り、まだまだ一緒に暮らしたかったのに、黒鳥病のせいで別れを余儀なくされた人々を沢山見てきました。だからマカニ族は皆、カリンにとても感謝しています。」
「カリン殿が…。それは存じ上げませんでした。…私はずっと、カリン殿には不思議な力があって、そのせいで特別扱いを受けているのだと聞かされていました。カリン殿を嫌っていたご自分の親のことも、その不思議な力で殺してしまったのだと…。ですから、とても興味があったのです。カリン殿はきっと自分と似ているのだと。でも、全然違いましたね…。」
「カリンに不思議な力があるのは事実だが、王族と仲良くしている理由は全く別の所にあるし、むしろその力のせいで不便をしていることの方が多いよな。リリィ様のこともそうだが。」
ユウガオは、なぜか楽しそうにくつくつと笑った。それをカリンは困ったような表情で見やる。
レンが、話を逸らしてしまったかもしれないことを詫びようと口を開きかけた時、セダムがきっぱりとした口調で言った。
「私は、医術の道を歩みたい。…あの、可能であれば、ですが。」
後半は小さな声になり、再び不安げな表情でユウガオとカリンを交互に見た。ユウガオは満面の笑みを浮かべて、よく言った、とセダムの背を叩く。
しかし、セダムが付け加えたように、それは可能なのだろうか。
カリンは、小さく深呼吸して、解りました、と答えた。
「お。なんか案があるんだな?どうするんだよ。」
「ユウガオさんは、ツツジ様とはお親しいですか?」
「そんなわけないだろう?できるだけ避けて通ってる。」
「…そうですよね。やはりアオイ様にお願いするしかないのかしら。」
「アオイ様ぁ?」
「おそらく、ツツジ様から攻めるのが一番良いと思うのです。ツツジ様はご自分のお立場が大切なはず。」
「ああ。養子が犯罪犯したってなったら、ご自分のお立場も危ういものな。なるほど、ツツジ様の保身の能力を最大限に活用するわけだな。そりゃあ、いい。局長たちの保身技術は最上級だからな。」
「問題は、わたくしがツツジ様に近づけるか、なのです。これまで、あちらからお呼びいただいたことはあっても、わたくしから相談を持ち掛けたことなど無いのです。仕事上の相談なら、薬師室長を通しますし。私が直接医局長のお部屋へ伺ったら、明らかに目立ちます。」
「うむ。確かに。というか、お前は室長ともあまり話さないだろ。大抵俺が繋いでる。」
「仰る通りです。ふふ。そこはずっとユウガオさんに甘えて参りましたから。」
「上から行けないのかよ。…いや待てよ。さすがに王から呼び出されたら騒ぎになるな。…それで、アオイ様か。」
「時々、お二人で話しておられる姿をお見かけします。ツツジ様は、リリィ様ほどにはアオイ様を見限ってはおられないのではないかと思うのです。」
「確かになあ。」
「あの…。それなら私が…。」
セダムがおずおずと口を挟む。
カリンとユウガオは、はっとしたようにセダムを見た。言わずもがな、セダムはツツジの養子だ。まだツツジにセダムの罪は知られていない。セダムが相談があると呼び出せば、断りはしないだろう。
ユウガオは、堪えきれなくなったように大声で笑った。
「そうだったそうだった。馬鹿だな、俺たち。」
「申し訳ありません。セダム様のことは抜きで考えておりました。」
「これは自分のことです。私も、できるだけのことはさせて下さい。…と申しますか、あの、カリン殿は何故私のために…。私はカリン殿を困らせていただけなのに…。」
「何故、と申されましても…。」
「あのなあ、カリンは、目の前に居る困った人を放っておけないんだよ。人だけじゃなくてな、動物でも植物でも、なんだかよく分からない問題でも、知らない振りをして避けて通ることのできない因果な性格なんだ。」
「ユウガオさん!」
「本当のことだろうが。」
「それは…そうですけれど…。」
突然、セダムの両眼から大粒の涙が零れ落ちた。
「セダム様?」
「すみ…ません…。」
「あの、謝らないでください。わたくしはセダム様のせいで何もつらい思いはしておりません。そしてユウガオさんが仰ったとおり…。」
「違うのです。」
「え?」
「違うのです。…こんなに…。私のために…。みなさんが…。どうして…。」
本当に、子供の頃のカリンを見ているようだとレンは思った。
カリンも、マカニ族は何故自分にこんなに親切にしてくれるのかと、何度も尋ねた。時には涙しながら。
レンも両親の顔を知らないが、自分を愛してくれるミントとスミレが居てくれた。カリンには両親が居たが、結局両親を失うまで甘え方を知らないまま育った。カリンはどうやって人に頼ればいいか分からないのだと、教えてくれたのは族長だった。
レンも、できることならセダムの力になってやりたいと思う。自分に何ができるか分からないけれど。
暫くの間そのままぼろぼろと涙を零していたセダムは、やがて心を決めたように涙を拭った。
「それで、養父を呼び出して、どうすれば良いのでしょうか。」
「呼び出して下さればそれで大丈夫です。後は、わたくしにおまかせください。ユウガオさんは外してくださいね。勿論レンも。事実を知っている人間は少ない方が良い。場所はどこが良いかしら…。」
ユウガオは、ちぇ、と舌打ちしたが、表情は満足そうだった。
レンは、それ程目にしたことのないツツジの顔を、記憶の彼方から引っ張り出した。医局長であるのに不健康そうな蒼白い顔。凡そ覇気は感じられなかった。逆上してカリンに危害を加えるようなことはしないだろう。いや、たとえカリンに危害を加えようとしても、明らかにカリンの方が強い。
今日も残りの時間はヨシュアの工房で過ごすことになりそうだ。
もう、時計の音は気にならなくなっていた。
