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一番偉い人へ|さっさと続きを始めるぞ。俺の気持ちが醒めないうちにな。

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私の価値観は、子どもの頃読んだ平成初期くらいの週刊少年ジャンプの作風に意外と似ている気がする。
根性でなんとか乗り切る!みたいなやつ。

有名どころで具体例を挙げると、
限界出力を超えた奥の手でサイヤ人の超エリートに対峙する落ちこぼれ、
背中に大怪我を負って監督の制止をきかず「オレは今なんだよ!」とコートに立つ自称天才の赤坊主、
上半身を袈裟斬りでざっくりいかれて、包帯ぐるぐる巻きの血と脂汗ダラダラで刀を咥えて戦う剣士、
だいたいこの辺の作品に触れて育った。
この時代の作品は、火事場の馬鹿力とかの頃に比べて心身の消耗度合いがしっかり描かれつつ、ギリギリでのせめぎ合いが俺をまた高みへ…だの、それでも最後に根性は勝つ、みたいな筋立てになっているものが多いと思う。

子ども時代、勤め人だった父親が体調が悪いとかで仕事を休んだのをほとんど見たことがない。
私自身も、中学生の頃だったかテストの当日に38度を超える高熱を出し、今日は学校休んでもいいか、と母親に聞いたら何言ってんだ!と一喝され、それこそ某海賊狩りみたいな体調で1日テストを受けて帰ってきたことがある。

そんなことで、だいたいちょっと行きたくねえなと思った時は、「甘ったれるな!」の怒声が、いい歳していまだに頭に響く時がある。
両親は巨人の星の世代だ。
叱られてばかりでもなかったが、褒められることはそんなになかった。
「頑張ってればいいことあるよ。」と、何度も言われて育った気がする。

こんな家で育っているので、社会人になっても有給をとることにどこか罪悪感が捨てきれない時期が結構あった。
相変わらず消化はしきれない。

ふんどしの爺さんが初代の家だ。
私のハッパの掛け方も結構昭和式だと、最近までわからなかった。

この方式も、最近では特に他人に向けることはいただけないものだということに一定の理解が進んだ。

正確な統計なんかはよくわからないが、いろんな会社や組織で未病だが力が出ない、私と同じ経験をした人、あるいは今も苦しい人は、意外と相当数いたりするんではないか。
ここ半年思うのは、職場の上司や同僚はとにかくやさしい。
昨年の悪戦苦闘ぶりに一定の理解と労いを示してくれているのか、あるいは、状態がわからない以上、どう声をかけていいかわからないのだろう。

一方で、人によってはこの中途半端な状態のまま優しくされ続け、戻っていく階段をうまく組めずそのままになってしまう人もいたりするのではないか。

「さっさと続きを始めるぞ。
俺の気持ちが醒めないうちにな。」

まずは身の安全を確保すること最優先でいい。
大丈夫かどうかは人が評価するものではない。
目に見える怪我ならともかく、場合によって自分にすら按配はわからないこともある。

「諦めたらそこで試合終了」、それは確かにそうだ。
しかし勝てる見込みのない試合なら、ここで一旦ゲームセットにしたら、残りの時間でもうひと試合組めるではないか。そのための休憩時間は必要だ。
やばいと思ったらとにかく身を守るでいい。

ただ、一番危険な状態を脱したら、
体や気持ちに少しずつ力が戻ってきたら、
この諦めの悪い元中学MVPのような言葉を自分にかけるのは、自分しかいない。
そこに立ち直ることのむずかしさを感じた。

次回↓

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