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一番偉い人へ|てめえのふんどし

前回↑
月とふんどし。前回からの落差がひどいですが同じように空を見上げる私です。

勤め人だった祖父は、生前よくこんなことを言っていたらしい。
「人のふんどしで相撲をとるな!」

別シリーズで掘り下げているご先祖も、こんなようなことを言う人だったのではないか?
またそちらで少し語れたらいいが…


人の手柄を借りてうまいこと繕ったり、
自分で努力もせず、人に安易にきいたりやってもらったり、
そういう人がまあたくさん身近にいたのだろう。
最近はとかく困ったら相談して、なんて言ってこういう表現は聞かれなくなった気がする。

どうもネアカ、今時の表現でいえば陽キャになれない自分がいる。
物事の負の面から目を逸らさず、それをも受け入れて明るさを失わない本物の人も稀にいると思うが、だいたいの人はめんどくさいことには蓋をして、距離をとって明るく振る舞おうとする。
どっちだっていいじゃん。
人のウケは良くないだろうが、殊更に明るい人間を演じることを、私は別に善とは思わない。

つまらない信条よりも、見た目の感じの良さ、やさしさとかそういうものばかりが見られる。
それでいいのか?と考えてしまうのは、おそらくこのじいさまとかそれよりも前のご先祖から脈々と受け継がれてる価値観のような気が、最近ちょっとしている。

自分の言動に責任を持て。
人の上前を跳ねるようなずるいことをするな。
自分に制御できる範囲のことをしっかりやれ。
最善を尽くせ。
黙々と、直向きにやれ。
努力を、弱みを見せるな。
お天道様は見ている。

そういう考え方は嫌いじゃないし、いちばん力を尽くせる生き方だと思ってた。
実際、表向き感じのいい雰囲気を出して、目の前のことだけなんとなくこなし、その実何も考えてない、向き合ってないように見える人というのは、ちょっとそういうところへは行きたくない気はこの期に及んでする。しかしだ。

今回は状況が悪かった気もする。
そういう生き方ばかりでは損する。
ある意味、自分なりの解釈で、この生き方をあるところまでは貫いたんだろう。そして一度燃え尽きた。
上手な折り合い方や、そもそも解釈自体が正しいものだったかどうかも、考えていかないといけない。

今はもう遠くへ行った祖父へ伝えたい。

じいちゃん、
流石にふんどしは貸し借りしないと思うけど、
今はシェアリングエコノミーの時代なんだよ。
ふんどしでもなんでも節操なく借りちゃえる人間の方が評価されてますよ。令和の日本は。

泥んこになって擦り切れたてめえのふんどしを洗濯する日々は続く。

次回↓

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