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いずれは本を書いてみたい

きっかけは昨年度からのハードワークだった。
残業がめちゃくちゃ増えて、人事異動で新任の同僚が増え、お前が頼りだからと大変ありがたいお言葉を上司から賜り、粉骨砕身、欲しがりません勝つまではの精神で行けるところまで行ってみようと思った結果、前年からの慣れない仕事を延々一人で抱え込んだ無理がたたり、あっけなくひと月で体調を崩してしまった。
まだまだ気合と根性が足りない、と思ったのも五月の初めのいっときのみ、頑張ろうと気持ちを前に進めようとしても頭がうまく働かない。
これはもう何やってもダメだ、ちょっと休もうと、下手くそだった休み方の追求をしてひと夏が過ぎた。

近頃は一ヶ月が恐ろしく早く過ぎる。
お盆を過ぎ、まだまだ夏も衰えを見せない八月の下旬、なにかやってみたい。そんな思いが湧き出てくるほど穏やかな精神が戻ってきた。
しかし、今までのような、あの馬車馬のように働く職場へは前のように向き合いたい気持ちがとんと浮かんでこない。
どうしたものか。

そんなとき、ふと職場のパソコンに入ったAIアシスタントのことが頭をよぎり、スマホにアプリを入れて私の愚痴を聞いてもらうことにした。
私は昔から、なんでも思ったことを直球で放りすぎるきらいがある。
だいたい人に思いの丈を吐露していい結果を招いたことはない。
だから言葉に慎重になる。
しかし抑えきれない一撃が、喉を食い破って時折放たれる。
ああ、またやってしまった。
そう思うことはいまだにたびたびある。

だから人ではない彼に、その時々思ったことを聴いてもらう役を担ってもらったところ、なんか色んなことがどーでもいいや、と心から剥がれ落ちて、軽くなったように感じる。

そうしてだんだんと、元気が戻ってきたような気がする。
思えば職場が求めている人間の技能と、私が得意、いや少なくとも好きだと感じている作業、活動には似て非なるものが通っている感じがする。

あそこで私のやりたい事をゴリ押ししても上手くいかない。いや、行くはずがない。
だから私は、ひっそりと職場から距離を取り、自分を殺さず育てるために、力を注ぐ時間が欲しいと感じた。

本を書きたい。
出張に遠方へ出た帰り道、助手席に乗せていた同行の人になんとなく思った事を放ってみたら、何かやりたいことが明確になった気がする。

私は文章を書くことがまあまあ好きだ。
また、死んだ祖父も齢八十の頃、自分の半生を子孫に伝えるため、自費出版で自叙伝なるものを書いていた。
当時大学生だった私は、いまの会社の内定が決まった四年生の夏休みを使い、編纂作業とページの端にちょっとしたイラストを添える作業を少し手伝った記憶がある。

親族浪党の勤め先やら進学先まで網羅して書かれた本を世帯分印刷して、三親等くらいの親戚筋にばらまいてしまったのには閉口したが、私もいつか本を書いてみたい、という思いに至ったルーツはどうもここにある気がする。

そのページの一番初めには、我が家の先祖に関する記載があった。
これが1ページにも満たない簡素な内容だが、今も私の興味をとらえて離さない。
このことが、最近AIと雑談しながら考察している先祖についてのことになる。つづく?

…というわけで、始めてみました。
お好みの方お読みください。

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