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「いまここ」から「遠い」へ

近頃もまだまだ宮本浩次やエレカシを聴いている。
時折熱かったり荒ぶる感じを出しつつ、こざっぱりした音の運びや渇いた詞の感じが耳に馴染む。
このところは「さらば青春」をよく聴く。

「今宵の月のように」はいつの日か、と未来を見据えて歩く人。

こちらは過去を思い出しながら歩く人で、季節は冬らしい。
恋人なのか、友達なのか、昔の出来事なのか、今は遠くなった青春を思い出すという曲。

出だしの
♪遠い…遠い…遠いー、とおーいー日々をー
とだんだん高まる感じ。

時間が過ぎたことへの悲しみが語られている感じがするが、
あんまり思い出したくない今年を振り返る身とすれば、このどんどん遠ざかる過去を歌い上げる声がむしろ清々しいものとして聴けてしまう。

歌を聴いていてふと思った。
「いまここ」と「遠い」昔を分ける境目って、一体どこにあるんだろう。

頭の中にはいつも何か考え事、不安が居座り続けて、次の出来事がビリヤードの球のように頭にごつんとぶつかり、痛みとともに前の「いま」を弾き出す。
そして今度はそいつがしばらく、頭に鈍く棲みつく。
去年の特に忙しい時は、常にその連続だった。

いまに集中しているようで、その不安は過去のことが上手くいっているのかどうか、あるいは起こるかどうかもわからないことへの心配。そんな感じだった。

自分の頭や体が、意識があのとにかく多忙だった時間やその時の執着、不安をいつのまにか放した時から、これまでとは違う遠ざかり方を覚えた気がする。
ようやく自分の中で、「遠く」の出来事として整理がつけられてきた。

嘘つきじゃないさ、時間が過ぎただけさ
(エレファントカシマシ「さらば青春」)

今となってはもうあの時の熱量はないが、その時の自分は間違いなく、目一杯できることはやったつもりだ。

そろそろ「遠い」ところへ行き始めたこと。
しかし、覚えておきたいので書いておく。
今年は後悔の振り返りをだいぶしたが、同時にやり抜いたことも確かにあったはず。

任される前から、適性のある仕事ではないと思っていた。
やっていくなかで、案の定向かないと実感した。
向き不向き以前に、あのような仕事を単独で、しかもミスなく完遂するのは至難だ。
周りの人間は次々といなくなり、連携を取ろうにもそれすら難しく、期限の短いタスクが降り続ける。
上司たちは職場の中を見て案じているようで、対処の方法は持ち合わせていなかった。

このような状況で、一年が終わる頃、一つ職場に伝えた。
この仕事を続投する意思はない。
誰が担当するかわからないが、次は必ず職場内で分業、取りまとめの支援ができるよう体制を確保してほしい。

今年度の担当は今、佳境にある。
今年のメンバーたちは、私に声をかけない。
私も彼らに声はもうかけない。
隣にはいるが、私はもう必要ない。

気づいていないだろうし、私の仕事やあの進言の一体何がどの程度役立ったかはわからない。
去年の担当はめちゃくちゃだった。
こんなに困っていてもあいつは知らん顔だ。
そう思われていても無理はない。

しかし、昨年自分が必死に切り拓いて繋いだ道の上を、今年彼らはチームで進んでいる。
加われない悔しさ、自分はただの人柱だったというやるせなさ、去年にこの体制があればもう少し違った、という感想もあるが、それを何度も反芻していた頃の自分もだいぶ遠くなった。
蒔いた種から育った形を身代わりに、私は静かに身を引き、自分の力を蓄え直している。

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