毎日書いているのに、なぜ存在を知られないのか
こんにちは。☀️
灯の旅人です。
灯の研究所、新研究の第1回です。
今回の研究全体については、こちらの入口記事で紹介しています。
▶ 研究案内|人は、なぜその人をフォローするのか
こちらにマガジンにまとめていきますので是非よろしくお願いいたします。
今回から観測するのは、
人は、なぜその人をフォローするのか。
その答えにたどり着くために、まずは最初の段階から見ていきます。
毎日書いているのに、なぜ存在を知られないのか
旅人はこれまで、記事を書き続けてきました。
投稿数も増え、始めた頃と比べれば、文章も以前より書けるようになったと思います。
それでも、記事を書いた数と同じ勢いで、読者やフォロワーが増えていくわけではありません。
すると旅人は考えます。
もっと文章をうまく書かなければいけないのか。もっと役に立つ情報を入れるべきなのか。それとも、さらに投稿数を増やせばいいのか。
けれど、認知科学を手掛かりに考えてみると、その前に一つの大きな問題が見えてきます。
読者は、旅人の記事を読んで「面白くない」と判断しているとは限りません。
そもそも、記事があることに気づいていない可能性があります。
……内容を評価される以前に、見つかってすらいなかった(´・ω・`)
記事を書けば、読者へ届く。
発信を続ければ、少しずつ存在を知ってもらえる。
旅人も、どこかでそう考えていました。
しかし現実には、毎日膨大な量の記事、動画、ニュース、通知が流れています。
そのすべてへ、人が同じように気づくことはできません。
では、人は何へ気づき、何を見落としているのでしょうか。
今回は、
認知
注意
選択的注意
という三つの言葉を学びながら、
記事が画面に表示されることと、読者に存在を知られることは何が違うのか。
を観測していきます。

そもそも「認知」とは何なのか
今回の研究では、これから何度も認知という言葉が出てきます。
認知とは、目や耳から入ってきた情報を受け取り、それが何なのかを理解し、意味を付ける働きのことです。
もう少しかみ砕くと、
人が目の前のものを、どのように受け取っているのか
という話です。
同じ記事を見ても、全員が同じように感じるわけではありません。
「役に立ちそう」と思う人もいれば、「自分には関係がない」と思う人もいる。そもそも記事が表示されたことに気づかない人もいます。
画面に同じものが映っていても、人の中に作られる世界は同じではありません。
人は、目の前にあるものをそのまま受け取るのではなく、自分の経験や関心、そのときの目的などを通して理解しています。
今回観測したいのは、この「人の中で起きていること」です。
記事がどのように表示されたかだけではなく、読者がそれをどう受け取り、何を見落とし、なぜ指を止めたのか。
そこまで見ることで、毎日書いても読まれない理由が、少し違って見えてくるかもしれません。
人間は、目の前のものを全部見ているわけではない
私たちは、目に入ったものをすべて見ているように感じます。
けれど実際には、目の前にあっても気づかないものがたくさんあります。
たとえば、駅の中を歩いているとします。
看板、広告、人の服、店の名前、電車の案内。たくさんの情報が目に入っています。
しかし家へ帰ったあと、それらをすべて思い出すことはできません。
友達と待ち合わせをしていれば、似た服装の人へ目が向きます。お腹が空いていれば、普段は気にしない飲食店の看板が気になります。周囲が騒がしくても、自分の名前を呼ばれれば気づくことがあります。
人間は、目の前の情報をすべて同じように受け取っているわけではありません。
そのとき必要だと思ったものや、自分に関係がありそうなものを選んで見ています。
この「たくさんの情報の中から、どれを優先して見るかを決める働き」が、注意です。
そして、必要な情報へ注意を向け、それ以外の情報を意識の外へ置く働きは、認知科学では選択的注意と呼ばれます。
簡単に言えば、
目の前にあるものを全部見るのではなく、今の自分に必要そうなものを選んで見る仕組み
です。
noteやSNSでも、同じことが起きています。
タイムラインには、たくさんの記事が流れています。
さらに動画、ニュース、通知、メッセージ、仕事や家事のことまで、さまざまなものが読者の注意を求めています。
読者は、表示された記事を一つずつ公平に読み比べているわけではありません。
自分の悩みや関心に近そうな記事へ注意を向け、それ以外の多くを、そのまま見落としています。
多くの記事は、中身が良いか悪いかを判断される前に、注意の外へ流れていくのです。


公開しただけでは、まだ届いていない
書き手にとって、公開ボタンを押した記事は完成したものです。
何時間もかけて調べ、考え、文章を整えた。画像も作り、タイトルも付けた。
そのため書き手は、記事に込めた時間や意味を知っています。
しかし読者は、その制作過程を知りません。
タイムラインへ一瞬表示されても、別の記事を読んでいたかもしれない。仕事や家事について考えていたかもしれない。タイトルを見ても、自分に関係する内容だと分からなかったかもしれません。
画面には表示されている。
それでも読者が気づいていないなら、その記事はまだ、読者の中には存在していません。
ここで分けて考えたいのは、次の二つです。
画面に表示されていること。
そして、
読者が「そこに記事がある」と気づいていること。
この二つは、同じではありません。
発信者は記事を公開した時点で、「世界へ届けた」と感じます。
公開した。これで世界へ届いた!ヽ(=´▽`=)ノ
……とは限らないらしい/(^o^)\
実際には、記事を世界のどこかへ置いただけです。
そこから読者が、
「何かある」
「これは自分に関係がありそうだ」
「以前もこの人を見た気がする」
と気づいて、ようやく記事や発信者が読者の中へ入っていきます。
書くことは、発信の完成ではありません。
まずは、見つけてもらえる可能性を作った段階なのです。
情報が増えるほど、足りなくなるもの
現在は、文章も画像も動画も、毎日大量に生み出されています。
生成AIによって、情報を作る速度もさらに上がりました。
けれど、読者の一日は24時間から増えません。
情報は増えている。
しかし、それを読む時間は増えていない。
そのため、情報が増えるほど不足するものがあります。
それが、人間の注意です。
人が一度に考えたり、覚えたり、注意を向けたりするために使える頭の余力には限りがあります。
この限られた余力は、認知科学などでは認知資源と表現されることがあります。
簡単に言えば、
頭の中で一度に使える体力や作業スペースのようなもの
です。

読者は、無限の集中力を持ってタイムラインを見ているわけではありません。
疲れているかもしれない。別のことを考えているかもしれない。すでに多くの情報を読んで、頭の余力が少なくなっているかもしれません。
その限られた注意や時間を、多数の記事、動画、通知が取り合っています。
発信の世界では、文章のうまさや情報の質を競っているように見えます。
もちろん、それらも大切です。
しかし、その前には、
そもそも記事の存在へ気づいてもらえるか
という問題があります。
どれほど良い記事でも、見つけてもらえなければ、その内容を評価してもらうことはできません。
目に入ることと、覚えてもらうことは違う
存在へ気づいてもらうことが重要なら、派手に目立てばいいのでしょうか。
強い言葉を使う。必要以上に煽る。同じ宣伝をあらゆる場所へ貼る。
そうすれば、一時的に目へ入ることはあるかもしれません。
けれど、目へ入ることと、覚えてもらうことは違います。
人は、すべての情報を同じように記憶しているわけではありません。
一瞬だけ強く目立っても、
「これは何だったのか」
「誰が発信していたのか」
「自分にどんな関係があったのか」
が残らなければ、やがて忘れられていきます。
読者の中に、
「この人は何について書いているのか」
「自分に何を届けてくれる人なのか」
が残って、初めて存在が意味を持ち始めます。
つまり、必要なのは注意を奪うことではありません。
自分へ注意を向けてもらい、その注意を「何を書く人なのか」という理解へつなげることです。
名前だけでなく、「何を書く人か」も覚えてもらう
フォロワーを増やしたいと思ったとき、私たちは数字を直接動かそうとします。
投稿数を増やす。交流する。フォローを呼びかける。
これらにも意味はあります。
けれど、その前に必要なのは、読者に、
「この人を知っている」
と思ってもらうことです。
さらに、名前やアイコンだけではなく、
「何について書く人なのか」
も一緒に覚えてもらう必要があります。
たとえば旅人なら、
「あの白い猫耳の相棒と記事を書いている人」
だけでも、見た目の特徴として覚えてもらえるかもしれません。
そこへ、
「人間の認知や感情、AI、発信に隠れている仕組みを観測している人」
という意味が加われば、旅人が何を書く人なのかも見えてきます。
一度見ただけでは、忘れられるかもしれません。
けれど別の記事やコメント、共同企画、誰かの紹介などで再び目にしたとき、
「あ、この人は以前も認知について書いていた人だ」
と過去の記憶につながります。
このとき、ただの名前だった存在が、少しずつ「知っている発信者」へ変わっていきます。
毎日投稿に意味があるとすれば、記事数そのものに特別な力があるからではありません。
同じ名前やアイコン、同じ考え方に何度も触れることで、読者が存在を覚えやすくなるからです。
ただし、見るたびにまったく違う人に見えてしまえば、何度投稿しても一つの人物像として記憶されにくくなります。
旅人はこれまで、ゲーム、AI、創作、朝活、人間関係、情報疲労など、さまざまな題材について書いてきました。
旅人の中では、どれもつながっています。
しかし、そのつながりを言葉にしなければ、読者からは別々の話題が並んでいるように見えます。
……本人だけが壮大なつながりを理解していた可能性があります(゜-゜)
振り返ってみると、旅人が観測してきたものには、一つの共通点がありました。
人はゲームの世界をどう受け取るのか。
AIをなぜ道具ではなく、相棒のように感じるのか。
情報が増えるほど、なぜ選べなくなるのか。
毎日書いているのに、なぜ読まれないのか。
自分や他者を、私たちはどのように理解しているのか。

旅人はずっと、世界そのものよりも、人が世界をどう見ているのかを観測していたのだと思います。
今回の観測結果
毎日書いているのに存在を知られないのは、文章が悪いからとは限りません。
人間が一度に見られる情報には限界があります。
そのため、多くの記事は内容を評価される前に、そのまま見落とされています。
発信者が最初に越えるべき壁は、文章力だけではありません。
まず、読者に存在へ気づいてもらうことです。
認知科学の言葉で言えば、数多くの情報の中から、自分の記事へ選択的注意を向けてもらう必要があります。
ただし、目立つだけでは足りません。
名前やアイコンと一緒に、
「何について考える人なのか」
「どんな記事を書く人なのか」
「なぜ今後も読みたいのか」
まで覚えてもらう必要があります。
フォロワーを増やすとは、いきなりフォローボタンを押してもらうことではありません。
その前に、
読者の中へ自分という存在を作り、「何を書く人か」を覚えてもらうこと。
そこから、フォローへ続く道が始まるのだと思います。
では、人間は大量の情報の中から、何を基準に見るものを選んでいるのでしょうか。
なぜ、画面に表示されている記事を見落とし、別の記事では指を止めるのか。
そのことについて次回触れてみたいと思います。
この研究を最初から読む方はこちら。
▶ 研究案内|人は、なぜその人をフォローするのか
次回は、人間は、なぜ目の前の情報をほとんど見落とすのかを観測します。
次は今回触れた選択的注意をさらに深く学びながら、発信における「見えていること」と「気づいていること」の違いへ、もう一段入ってみましょう。
第2回は、こちらの記事です。
此方のマガジンに全部収録済みです。
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ここまで歩いていただき、ありがとうございます。
もし何か感じていただけたなら、その想いをそっと置いていっていただけると嬉しいです。