2026年ドイツ🇩🇪の旅⑨~フリードリヒ大王とサンスーシ宮殿
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6泊8日の旅程のうち、ドレスデンに3泊・ベルリンに3泊。前半でドレスデンとライプツィヒを観光したあと、ドイツ鉄道でベルリンに移動。後半ではベルリン市街と、ベルリン近郊のサンスーシ公園(ポツダム)を訪れた。
宮殿群の残る街ポツダム
ポツダムは、ベルリンの南西に隣接する人口約18万人の都市。ベルリン中央駅からは電車で40分ほどでポツダム中央駅に至る。

ポツダムは、湖や川に囲まれた風光明媚な土地で、プロイセン王国の都ベルリンからも近かったことから、多くの離宮が建てられた。フリードリヒ2世(大王)が建てたサンスーシ宮殿が有名だが、広大なサンスーシ公園(面積は300ヘクタール近い)にはいくつもの宮殿が建てられている。1990年、「ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群」として世界遺産に登録された。
第二次世界大戦末期、連合国首脳が会談を行い、ポツダム宣言を発したことでも知られている。
大王が日々を過ごしたサンスーシ宮殿

ポツダムを訪れたら、サンスーシ宮殿を外すことはできないだろう。「サンスーシ」の名は、フランス語で憂いがないことを意味する。プロイセンを強国化した「大王」フリードリヒ2世の趣味を反映し、他のヨーロッパ各地の王宮と比べると小さい。

外観の簡素さとは対照的に、内装は煌びやかである。18世紀に流行したロココ様式の建築の代表例である。もとは離宮として建てられたが、大王はもっぱらサンスーシ宮殿で過ごすようになった。

大王が愛用したフルート

音楽を愛したフリードリヒ2世は、玄人なみのフルート腕前を持っており、120曲以上のフルート・ソナタを作曲したという。大バッハの息子カール・フィリップ・エマヌエル・バッハなど著名な音楽家が招へいされ、サンスーシ宮殿の音楽演奏室でコンサートが開かれた。大王が愛用したフルートと譜面台、有名な楽器職人ジルバーマン製作のピアノ(1746年)が展示されている。


その他の部屋も、それぞれ異なるコンセプトで装飾されている。
大王が臨終を迎えた椅子
大王の寝室及び書斎には、有名な大王の肖像画が飾られていた。

右の肖像画は大王の父フリードリヒ・ヴィルヘルム1世(軍人王)。プロイセン台頭の礎を築いた王だが、文人肌の後継者フリードリヒとは反りが合わなかった。
軍人王は王太子フリードリヒに、虐待に近い厳しい教育をした。若きフリードリヒは逃亡を試みたが失敗。フリードリヒの親友で側近だったヘルマン・フォン・カッテが、責任を問われ処刑された。

壁面左は、フリードリヒ大王の臨終を描いた絵である。長年の激務により、晩年の大王は病にむしばまれ、ベッドに横たわるのも難しかった。大王は特注の肘掛け椅子で一日の大半の時間を過ごした。

1786年8月17日、フリードリヒ2世は息を引き取った。彼が座っていた肘掛け椅子は、今もサンスーシ宮殿に展示されている。
「サンスーシ宮殿に葬ってほしい」と遺言したフリードリヒ2世だったが、遺志は実現されなかった。しかしドイツ統一後の1991年になって、大王の墓はサンスーシ宮殿の傍らに移された。

飢饉対策としてジャガイモの栽培を奨励した功績から、大王の墓にはジャガイモを備える人が絶えない。

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