林浩治「在日朝鮮人作家列伝」09 李良枝(イ・ヤンジ)(その6)
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*ヘッダー写真:「プサンカルチャーセンターにおけるパンソリの演奏」
撮影者:Steve46814 - 2006年5月20日撮影/CC3.0表示-継承3.0
詳しくは文末に
李良枝──言語以前の言語を求めて疾走した在日二世女性作家(その6)
6.兄たちの死とソウル留学
哲夫兄は結婚してスナックを閉め、会社勤めを始めた。
妹の栄は独立心が強く、昼は会計事務所、夜はスナックで働いた。
母と下の妹は2番目の兄の入院を機に山梨の家を引き払い、東京に住むことになった。
1978年秋、伽倻琴の池成子先生のオモニ(母)で自身も著名な伽倻琴奏者である成錦鳶先生が渡日した。李良枝は3年ぶりの再会で滞在中はどこにも付いて廻った。こうした出会いもあり、伽倻琴を弾くことだけが生きる印のようになっていった。

ビクターエンタテインメント(株) 1986年5月
1979年、24歳のときに『季刊三千里』にエッセイ「散調の律動の中へ」を発表して、丸正事件とのかかわりなどこれまでの生を描いた。出世作「ナビ・タリョン」への踏み台的作品と言える。
翌年5月、光州事件のさなかに初めて韓国を訪問した。池成子の紹介で人間文化財朴貴姫に師事して伽倻琴とパンソリを習う。同時に韓国舞踊の稽古も始め金淑子に師事した。金淑子は世襲ムーダン(巫堂)の出身だった。李良枝は悪鬼払いをする巫俗舞踊サルプリを踊り始めた。
また朴に身元引受人になってもらい韓国留学、海外の韓国人に教育を施す在外国民教育院(のちの「国立国際教育院」)に通って韓国語の外、韓国史や韓国社会について学んだ。
10月、帰国し妹李栄と話してると、電話で長兄田中哲夫がクモ膜下出血で死んだと連絡がきた。会社からの帰宅途中駅のトイレで倒れていたのを発見された。31歳だった。
母はその日から宗教に首を突っ込んだ。
原因不明の高熱で2年間寝たきりの哲富兄の病室に信者の人たちが朝夕現れ、家族に入信を勧めた。
李良枝と妹の栄は母に言われるままに遠い宗教の道場に通い、高価なお札をもらい、「清い」水を兄の口に含ませたり、呪文の書いてある紙をちぎって病室中にまいた。父は迷信を信じず母への怒りは頂点に達していた。
翌1981年12月、哲富兄が原因不明の脳脊髄膜炎で死去する。30歳だった。
兄たちの死は良枝と父を和解させ、良枝は父からの援助をとりつけ韓国に留学できた。
栄の目には姉の韓国留学は、この両親から逃れていったように見えた。
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◆参考文献
*本文の著作権は、著者(林浩治さん)に、版権はけいこう舎にあります。
◆著者プロフィール
林浩治(はやし・こうじ)
文芸評論家。1956年埼玉県生まれ。元新日本文学会会員。
最新の著書『在日朝鮮人文学 反定立の文学を越えて』(新幹社、2019年11月刊)が、図書新聞などメディアでとりあげられ好評を博す。
ほかに『在日朝鮮人日本語文学論』(1991年、新幹社)、『戦後非日文学論』(1997年、同)、『まにまに』(2001年、新日本文学会出版部)
そのほか、論文多数。
2011年より続けている「愚銀のブログ」http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/は宝の蔵!
*ヘッダー写真:「プサンカルチャーセンターにおけるパンソリの演奏」
Pansori performance at the Busan Cultural Center in Busan South Korea
撮影者:Steve46814 - 2006年5月20日撮影/ 2008年9月14日,著者自身がアップロード/演者:?(記載なし)
CC 表示-継承 3.0
ファイル:Korea-Busan 3404-06 Pansori.JPG
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%AA#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Korea-Busan_3404-06_Pansori.JPG
