林浩治「在日朝鮮人作家列伝」09 李良枝(イ・ヤンジ)(その1)
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李良枝──言語以前の言語を求めて疾走した在日二世女性作家(その1)
1.富士山の見える町で生まれる
李良枝は1955年3月15日、富士山を見上げる三つ峠山麓と南部の杓子山麓に挟まれた標高600メートルの山梨県南都留郡西桂町に生まれた。父は李斗浩、母は呉永姫、兄2人があり、後に妹2人ができる。
父李斗浩は、1945年済州島から17歳で渡日し、船乗りなどの仕事を転々とし山梨県で絹織物の行商をするようになり西桂町に住み着いた。李良枝が生まれる少し前まで極貧で、駅のベンチを寝ぐらにしたこともあったと言う。
朝鮮人夫婦が親類縁者のいない山梨の田舎に住み着いた理由は分からないが、父は日本を受け入れ、日本での生活に馴染むために必死だった。
閉鎖的な田舎の町で、父は日本人以上に日本的な生活を目指して家族にキムチなど食べさせなかったし、家庭で殆ど朝鮮語は交わされなかった。
李良枝は二人の兄に続いて長女として生まれ3歳半までそこで過ごし、富士吉田市に引っ越した。5歳の頃の李良枝はレンゲ畑のなかを駆けまわるような活発な女の子で、銭湯にも一人で行った。妹の子守もしていた。幼稚園の頃には簡単な漢字は読み書きできたので小学校の勉強は面白くなかった。
1962年、父は池袋に土地を買い、また大久保辺りに旅館を3軒建てるなど活発に事業展開をしていて、銀行融資を受けるために帰化申請し、1964年に受理された。
李良枝は9歳のとき自動的に日本国籍になり、「田中淑枝」が戸籍上の名前となった。
1965年小学校5年時、「心に太陽を持て」と題した脚本を書き、主題歌まで自作して公演し、クラスのまとまりがよくなったと先生に褒められた。
1967年、下吉田中学に入ると成績はトップクラスだった。太宰治は全集の大部分を読み、その他にもドストエフスキーやトルストイ、中原中也など片っ端から読みふけり、気になった言葉はノートに書きとめた。
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◆参考文献
*本文の著作権は、著者(林浩治さん)に、版権はけいこう舎にあります。
◆著者プロフィール
林浩治(はやし・こうじ)
文芸評論家。1956年埼玉県生まれ。元新日本文学会会員。
最新の著書『在日朝鮮人文学 反定立の文学を越えて』(新幹社、2019年11月刊)が、図書新聞などメディアでとりあげられ好評を博す。
ほかに『在日朝鮮人日本語文学論』(1991年、新幹社)、『戦後非日文学論』(1997年、同)、『まにまに』(2001年、新日本文学会出版部)
そのほか、論文多数。
2011年より続けている「愚銀のブログ」http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/は宝の蔵!
