シロクマ文芸部|水曜日島の人々
〝水曜日島〟は、週の中ごろ地平線の向こうにぽっかりと浮かぶ。
僕はこの小さな島のへ渡り、住民の生活をそっと眺めるのが好きだ。
島の生活というより人生、あるいは生きるということ。
彼らが普段どんな暮らしをしているのかは謎だ。
噂では天使らしい。だから僕も透明な存在として島に降り立つようにしている。
水曜日島の人たちはやさしい。
ここには時計もないし、法律もない。人々はつつましやかで、囁きのような小さな声で話をし、巨大スーパーマーケットや新製品のキャンペーンや土地開発や資本の攻勢からずいぶんと離れたところで暮らしている。
島を脅かすものがないから「情報」という概念も持たない。彼らには深刻さはまった感じられない。
なぜなら、人とはもともとそういう存在だからだ。
これを架空のノスタルジアだと片付けてしまうのはもったいないと僕は思う。水曜日島へ訪れることは、人間本来の姿への回帰なのだから。
退屈ではないか? とキミは思うかもしれない。
大丈夫。ここには驚くほどドラマティックな出逢いと感動に満ちている。派手な激情から穏やかでしみじみとしたものまで実にバリエーションゆたかで、決して飽きることはないんだ。
島は、ぼんやりしていると見逃してしまうくらい淡い。その淡い気配のなかで、誰かが訪れるのを辛抱強くじっと待っている。
天使だから好奇心が強いのだろう。冒険好きだったり、誰かと燃えるような恋をしたのちに心が裂けるほど哀しい想いをしたいと望む無邪気な人たち。
キミもきっとこの島に共感を覚えると思う。
なぜなら、島の人々には想像を超えたパーソナリティが備わっているから。類まれなる演技力と言ってもいい。
ある男は、悪人という役にかけては島一番だ。険しい目つきや猫背で歩く姿まで、本物の極悪非道よりよほど凄みを感じるほど心得ている。
ある女性は、愛と慈しみをすべてのものへ振りまく女神のような存在にもなれるし、その真逆のどうしようもなく堕落した人物にも憑依できる。
澄んだ瞳の美少年は、ある道具をきっかけに勇敢な青年に成長する。雑貨屋のおばあちゃんは元ストリッパーで、隣のおじいちゃんは脱走犯、海岸にはウィルスが密閉されたガラス瓶が打ち上げられ、赤ちゃんがコインロッカーに捨てられ、アイドルの少女が世界を破滅する。
実のところ、この島の人々の連携は、薄い。放っておくとどこまでも崩れていきかねない。
だからここへ訪れる者は、島に渡ったわずかな時間で彼らに関係性を与え、名前を呼び、道具や場所を配置したりして、〝物語り〟という地図を確保する。ぼんやりしていた人々の結びつきを意図的に繋ぐことで、住民同士の関係性に息を吹き込むのだ。
そして、この地図上では人と人はこれくらいの距離で知り合ってゆき、この辺りで事件が起きたり秘密を知ってしまう、というような展開を想定してみる。あとは彼らが自然に動きだすのを待つ。
すぐに結論が出ることもあれば、途方もないくらい時間を要することもあるけれど、必ず何かが起こり、誰かの声が聞こえてくる。
僕たちはそのちいさな声を聴き逃さないよう、ただ静かに耳を傾けていればいい。
突然、「失踪したい」と言いだす者もいる。井戸に堕ちたり、街を爆破したり、大きな鳥にさらわれたり、記憶喪失になったり……平穏なはずの島の住民は、ありとあらゆる体験をしたいと申し出てくる。
だからどんな結末になっても僕たちは安心していい。
だって、天使なのだから。
彼らは地図の中で与えられた役を演じることがなによりの歓びであり、役を終えたら、また島の穏やかな暮らしに戻ってゆくのだから。
僕は水曜日島へ定期的に訪れる。
配置した彼らの行末えを見守り、どんな行動によって心動かされたのか、ていねいに観察する。僕はその記憶をそっと持ち帰り、物語りに変換して、世界に散りばめる。すると彼らはますます歓んで協力してくれる。
ちょうど、島から戻ったところだ。
僕の描いた地図は、想定外にスリリングな展開になっていた。
さて、物語りはこれから。
最初は魅力ある人物ではないかのように描くこともできる。
そしてキミが、水曜日島で繰り広げられた彼らの人生に、どんな隠れた魅力があるのかと大いに好奇心をそそられ、夢中になって読み進み、やがてその欲望がきっちり満たされ、キミという無限の創造性へ旅立つことができたなら、僕もうれしい。
#シロクマ文芸部 に参加させていただきました。
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