シロクマ文芸部|黒猫とスパイカメラと女装
思い出すのは三人。なぜ写真に収めたのか憶えがないのに、わたしの記憶にしっかり埋め込まれている人たち。
詐欺師だった母親が唯一遺した黒猫を頭上に乗せて、マンハッタン34丁目の屋台でホットドックを売る少女。
ニューヨーカー達も驚くほどのバランス能力を持つ猫は、誰が声をかけても箱座りを崩さずにいる。勝手に動いたり鳴いたりもしない。
少女は、9本オーダーを受けたホットドッグにマスタードとサワーソースをたっぷり添えながら、器用にエスプレッソマシーンを操っていた。黒猫は狭い厨房で少女がどんな体勢になろうとびくともしなった。
凍える冬をようやく乗り越えたマンハッタンの片隅で初めて目にしたとき、頭から黒い猫が生えているのかと本気で疑った。
一枚の写真の中で、ふたりはじっとこちらを見据えている。
傷痕だけを撮影し、印画紙に刺繍をほどこす韓国の写真家。他人の傷だけでは満足できず、自分の躰に傷をつけては撮り集め、畳2帖まで拡大したプリントを展示している。手術などで切ったり縫ったりした傷痕の集合に、彼女は赤い糸を使って波のような模様を刺繍し作品にする。モノクロームに印刷された巨大な皮膚に、流動的な赤い糸が螺旋を描くDNAのように見える。
傷痕だけがホワイトキューブの四方八方を埋め尽くし、顔のないポートレイトの欠片を前に鑑賞者はゾクリとする。非日常のヴィジュアルの大きさは、人の知覚をあやふやにするからだ。
彼女は訪問者としてギャラリー内を彷徨い、巨大な作品の前で放心するように立ち尽くす鑑賞者を狙って、胸ポケットに潜ませたスパイカメラで盗撮する。その写真集はまだ完成していない。
よく晴れた春の日だけ喪服を着て葬儀場に行き、見ず知らずの家のお葬式に紛れ込んで記念写真におさまるのが趣味の中年男性。日本の西のほう。
季節を春と決めているのは、亡くなった奥さんの命日が近いと噂されているが本当かどうかは知らない。ちなみに彼が身につけているのは、すべて奥さんの遺品。宝物のような小さなパールのイヤリングや靴を汚さないために、雨の日はお葬式に出向かないというルールを持っている。
肌が見えすぎない和装は特にお気に入りで、グレイヘアのウィッグも薄化粧も完成度が高く、これまで一度として正体を見破られた事はない。もちろん男性だとバレたことも。彼はそれを誇りに感じている。
写り込んだ記念写真をまとめ自作の小説を添えた本を自費出版するらしい。
もう一度言う。なぜ写真に収めたのか憶えがない。
人はカメラを向けられると、ほとんど反射的に写真使用の表情になる。
この三人だけは純粋にそのひとのままで、ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』37ページの栞代わりに本棚にいる。
#シロクマ文芸部 『思い出す』からはじまるお遊び企画 1134字
参加させていただきました。
いいなと思ったら応援しよう!
応援ありがとうございます✨ ZINE制作や創作活動に使わせていただきます✨