【依存の話】②お酒:ビール2ℓで記憶を飛ばす女
お酒を飲んだ翌朝、財布を開ける。
昨夜行ったらしい飲み屋の領収書が入っている。宛名は、きちんと会社名。
2軒目の途中から記憶がない、ということが珍しくなくなっていた40代のあの頃。
振り返れば、習慣的な多量飲酒で依存に近づいていた時期だった。
飲めなかった私が、飲めるようになった
若い頃の私は、お酒が強くなかった。
ビール1杯、梅酒1杯。それで酔っぱらっていたし、それ以上飲むと気分が悪くなった。
それが、40歳を過ぎた頃から、仕事で飲むようになり、飲める量が増えていった。
きっかけは、東北の復興をグルメを通じて応援しようという仕事だった。足かけ2年で、東北沿岸部の飲食店を50店舗以上取材した。
店主から話を聞いて料理を撮影し、取材が終われば、お客さんやカメラマン、ライターと一緒にお酒を飲んだ。
その後、全国をまわるカレンダーの仕事でも、朝から撮影し、夜はお客さん達と盛大に飲んだ。日本酒も飲めるようになり、ワインも飲むようになった。
やがて一晩に、ビールをジョッキで4〜5杯、日本酒なら2〜4合。ワインなら1本以上空けるようになっていた。

お酒と一緒に、人との距離も近くなった
当時の仕事仲間とは、とても密接に付き合っていた。
会社のデザイナー達ともよく飲んでいた。
たまに週末に、自宅に仕事仲間を4〜6人ほど呼ぶこともあった。私がビールを飲みながら料理を作って、みんなで食べて、笑って、飲む。
私にとって、お酒は人とつながる場所にいつもあった。
コラムニストの小田嶋隆さんがお酒について話した記事を読み、お酒はコミュニティへの入場券にもなるのだと思ったことがある。
当時の私にとってもそうだった。飲む場所へ行けば、好きな人たちがいた。お酒の時間には、今でも大切だと思える楽しい思い出がたくさんある。
だからこそ、危険が見えにくかった。

判断力も、記憶も、少しずつ壊れていた
札幌で仕事をしたときのことだ。
札幌ドーム内の雰囲気カットを撮影して、小道具としてサーバーから注いでもらった手付かずのビールがカウンターに残っていた。
「もったいないなあ」とつぶやいたら、クライアントの女性が「どうぞ飲んで大丈夫ですよ」と言ってくれた。
そう言われて、私は飲んだ。
仕事中、しかも午前中。当然断る場面だ。
ビールがもったいないかどうかの話ではない。
クライアントの目の前で仕事中に飲むかどうか判断する力が、すでに壊れかけていた。
飲み会での記憶が飛ぶことも日常茶飯事になっていた。
ある時、仕事仲間の彼氏が店に合流し、私はその人と普通に会話をしていたらしい。けれど、私の頭からは、その出来事そのものがスパッと抜け落ちていた。
その人の顔も、何を話したかも、会ったことすら覚えていない。
もちろん、店を出たあとも覚えていない。
私はどこかでタクシーを拾い、運転手さんに行き先を伝え、首都高6号線を通るルートを指定していた。
そして意識が戻ると、タクシーは自宅マンションの前に着いていて、領収書が財布に入っている。
エントランスから部屋まで20分
深酒した夜は、マンションに着いてから部屋までが長い。
タクシーを降りて立つと気持ちが悪くなり、エントランスでしゃがみ込む。
ようやくエレベーターを呼んでも、扉が開いた時に立ち上がれず、乗り込めない。エレベーター前で5分以上経過してからようやく乗り込む。
自分の部屋の階に着いても歩き出せず、エントランスから部屋まで、20分以上かかることがざらだった。
やっと玄関にたどり着くと、コートも脱がずに廊下へ倒れ込み、そのまま眠り、早朝に硬くて冷たい床で目を覚ます。
それでも、家には帰っている。
財布も携帯電話もなくしていない。娘のお弁当を作り、また仕事へ行く。
だから私は「ひどく酔っただけ」としか思わない。
食欲も体も制御できていなかった
お酒を飲むと、食欲も壊れた。
飲み屋でちゃんと食べているのに、帰りにラーメンを食べる。最寄りのコンビニでタクシーを降り、2,000円分ほどの食べ物を買い、家で食べる。
飲む量も、食べる量も、制御できなくなっていた。
体重は70kgになった。
健康診断では、いくつもの数値が基準値の上限ぎりぎりに並んだ。基準値は超えていないから、まだ病気ではない。
私はその「まだ」に安心していたし、自分をそれほど太っていないとも思っていた。
やがて、足のむくみがひどくなったことがある。
くるぶしが完全に見えなくなるほど足が腫れ、象の足みたいだった。
さすがに怖くなり、私は慌てて病院へ駆け込んだ。
記憶をなくす。
自宅の部屋まで歩けない。
午前中の仕事中にクライアントの前でビールに口をつける。
飲んだあと食欲が止まらない。
体重は70kg。
酔ったまま電車に乗ればたいてい寝過ごし、結局タクシーで帰る。
自宅で飲むと気絶するように寝て、でも1時間半ほどで目が覚めて眠れない。
振り返れば、体にも行動にもアラートがいくつも出ていた。けれど、その最中の私は、それらを一つの線として見ていなかった。
飲酒が危険な域に達しているとは疑いもしなかった。

自分の意志ではなく、環境が切れた
その後、コロナ禍になった。
出張や会食がなくなり、仕事はやがてリモートワークが中心になった。
仕事の種類も変わった。付き合うお客さんも変わった。
あれほど密接だった仕事仲間との集まりも、少しずつ減っていった。人と飲む機会がなくなると、家でも飲まなくなった。
禁酒を決意したわけではない。お酒との付き合い方を反省し、努力して断ったわけでもない。
ただ、飲酒と結びついていた仕事とコミュニティが、生活から切り離された。
私は自分の意志で、依存の淵から引き返したのではない。環境が変わったことで、知らないうちにそこから離れていたのだ。
気づいたときには、遠くまで来ている
お酒のある時間は楽しかった。
そのおかげで親しくなった人もたくさんいるし、今も大切に思う仕事や旅の記憶がある。
それと同時に、私は少しずつ、自分を制御できなくなっていた。
楽しいことと危険なことは、反対側にあるわけではない。同じグラスの中に入っていた。
依存しやすい傾向がある人間と、飲むことが当然の環境。その二つが結びつくと、少しずつ深みに入っていく。一歩一歩は小さく、進んでいることに気づかない。
もしコロナ禍がなかったら。
もしリモートワークにならなかったら。
もし仕事の中身が変わらなかったら。
私は、どこまで行っていただろう。
振り返ると、淵に立っていたのではない。
もう片足は、向こう側に落ちていたのだと思う。
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今も誰かとお酒を飲むのは好きだけど、昔の半分も飲めません。
だけど、当時からつい最近まで、別の依存にも陥っていました。「買った瞬間だけ楽しい」、買い物とカードの話です。
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