【依存の話】③買い物・カード:買う瞬間しか幸せじゃない女
家計簿アプリは、もう何年も使っている。
毎月いくら使ったのかも、洋服代や靴代が多いことも、クレジットカードの引き落とし額が手取り給与を上回っていることも、数字では分かっていた。
それでも、つい最近まで浪費は直らなかった。
見えることと、やめられることは別なのである。
毎日、何かが届いていた
40代の頃から私は、Amazonか楽天かLOCONDOから、ほぼ毎日のように何かが届く生活をしていた。
帰宅すると宅配ボックスを確認し、荷物があれば部屋に持ち帰ってすぐに開封する。何も入っていなければ、「今日は何もないのね」と思う程度。そして、段ボールをほぼ毎日ゴミ捨て場に捨てていた。
なかでも多かったのが靴だ。
コロナ渦となる前まで、広告主企業での取材やオリエン、広告代理店や出版社での打ち合わせが多く、仕事では5〜7センチのパンプスやハイヒールを常用していた。
しかし、靴は店頭で少し試した程度では、本当に足に合うか分からない。一日履いて初めて、痛いか、痛くないかがわかる。
5足買って、戦力として残るのは1足くらいだった。
1〜2万円程度のパンプスをよく買い、Amazonでワコールのサクセスウォークが安くなっていれば注文した。
プラダやコール・ハーンのハイヒール、ロケ用のデッキシューズ。一日履いて靴擦れしたり、つま先が痛くなったりすれば、高い靴でも処分した。返品はしたことがなかった。

家が片付いていた理由
洋服もよく買った。
一着4000円とか1~2万円くらいのブラウス、スカート、ワンピース。届いて着てみると、なんだか似合わない。洗濯すると型崩れする。逆に、クリーニングが必要で面倒になり、着なくなる。そうすると捨てた。
キッチンツールや調理家電も、使いづらい、思ったほど便利ではないと感じれば処分した。
私は30代半ば頃から、モノが増えて家が散らかるのが嫌いになっていた。だから家は、いつもそれなりに片付いていた。
だが、それはモノを買わなかったからではない。
大量に買って、大量に捨てていたからなのだ。
届いたらすぐに開ける。使う。気に入らなければ捨てる。そして、また新しいものを買う。
買うことにも、捨てることにも、ブレーキがなかった。家の中にモノが積み上がらないので、自分では深刻さに気づきにくかった。
そもそも、買わなければいいのに。
うすうすわかっていた。何を買うか、選んで迷っている時間が楽しかったのだ。
毎日終電近くまで仕事していた時は、デザイナーからカンプが上がるのを待つ時間が長かった。
自分がやるべき仕事はとっくに終わっていて、Webニュースや雑誌もひと通りチェックしたらやることがない。
楽天やAmazonを開いて、おすすめで出てくる商品を見て、比較するため検索して。
「これがあったら、あの服と合わせられるな」
「これあったら、ポタージュとか作りやすそう」
そんな気持ちで注文ボタンを押す。
買った瞬間が、一番幸せだった。
商品が届く頃には、その気持ちはもう消えていた。

まだ入っていない賞与まで使っていた
私の会社は、昨年まで月々の給与より賞与の比率が大きかった。
そのため、いつの間にか「賞与で戻せばいい」という感覚が身についていた。
毎月、手取り給与よりカードの引き落とし額のほうが10万~20万多い。貯めていた現金が少しずつ減り、だいぶ減ったと思った頃に賞与が入る。
そこで元の金額まで戻り、少し増える。そして、また使う。
預金残高が回復するたびに、私は安心していた。
けれど、資産が増えたわけではない。過去の買い物で減らした分を、賞与で埋め戻していただけ。
まだ賞与が入っていないのに、賞与月のカード利用枠200万円を、ほぼいっぱいまで使ったこともある。
未来の収入を前借りしているという感覚はなかったし、支払えているから問題ないと思っていた。
しかしそれは、賞与が予定どおり入り続けることを前提にした生活である。収入が途切れれば、残るのはカードの請求だけだ。
気付いていないわけではないが、感覚は麻痺したままだった。
記録しても、浪費は直らなかった
家計簿アプリを始めたのは、あすけんで食事や体重を記録し始めたのと同じ2019年頃だったと思う。
体重も、浪費も、ちゃんとしたいという意思はあった。
あすけんはダイエットにとても役立ったが、家計簿をつけても浪費は直らなかった。毎月、請求額を見て驚いていた。
昨年あたりから会社の業績が悪くなって収入の上限が見え、10年後に迫る年金生活も現実的に考えるようになり、少しずつマシになってきた。
入りが減ったから、出るのも減った。それは確かである。
だが、それだけではない。
今は、買ったものを捨てることに罪悪感がある。
できれば捨てたくない。
長く使えるか、処分するときに後悔しないかを、以前より考えるようになった。

私は今も買い物が好きだ。依存から完全に抜けたとは言い切れない。
しかし、家計簿には、買い続けていた頃の数字と、少しずつ使わなくなった現在の数字が残っている。今になって、ようやくその時の自分を振り返って比較できるようになったのだ。
私が依存の淵まで近づいたお酒と同じだ。依存しやすい人間がカードを持ち、払える収入という環境が組み合わさると、ブレーキが利かなくなる。
私の家は片付いていた。でも、それはモノを買わなかったからではない。買っては捨て、買っては捨てを繰り返していただけだった。
あの頃の私は、「モノを大切にする」の反対側で暮らしていた。
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タバコも、お酒も、買い物も。どれも始まりは、ごく普通の日常でした。
▼ちなみに家は3回買ってます。
▼猫3匹と、ラクしてきれいに暮らす工夫はこちら。
しれっと丁寧な生活してる風な記事になっております。
