第108話 やる気が出ない日は、何を守ろうとしていたんだろう
教員として働く中でうつ病を経験し、休職・入院・リワークを経て回復の途中にいます。
このnoteでは、うまくいかない日も含めた闘病の記録と、自己肯定感について綴っています。
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やらなきゃいけないことは、わかっている。
でも、体が動かない。
やる気が出ないというより、
そもそも”やろう”という感覚が湧いてこない。
そんな日が、続いていました。
「どうして自分はこんなに怠けているんだろう」
そうやって、何度も自分を責めました。
でも、この”動けなさ”は、
本当にただの怠けなんだろうか。
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「やる気を出せ」という言葉の残酷さ
教員として働いていた頃、
私は子どもたちに、
「やる気を出して頑張ろう」と
声をかけてきました。
でも、自分がいざ無気力の底に沈んだとき、
その言葉がいかに表面的なものだったかを、
痛感しました。
「やる気」は、出そうと思って出る
蛇口のようなものではありません。
蛇口をひねっても水が一滴も出ないとき、
そこには「あえて水を止めている理由」が
必ずあるはずです。
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102話で気づいたことの続き
第102話で、私はこう考えるようになりました。
「不安は、自分を守ろうとしている」と。
その延長で、
この無気力についても考えてみました。
もし、この”やる気が出ない状態”にも
意味があるとしたら——
自分に問いかけてみました。
「この状態は、何を守ろうとしているんだろう」
これ以上、傷つかないように。
これ以上、疲弊しないように。
これ以上、自分を追い込まないように。
私は、
「もう限界だから、これ以上動かないでほしい」
というサインを、
自分自身に出していたのかもしれません。
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無気力は、心の「非常ブレーキ」
不安が、
「自分以外への警戒」だとしたら、
無気力は、
「心の崩壊を防ぐ強制シャットダウン」です。
あの時、
やる気が出なかった私が守ろうとしていたのは、
これ以上一滴も削らせてはいけない、
自分の中の最後のエネルギーだったのだと
思います。
心の中には、
何かをして失敗したり、
批判されるエネルギーが、もう残っていない。
だから「何もしない」ことで、
自分を安全な場所に置こうとしていたのかなと。
思考することさえエネルギーを消費するから、
徹底的に休もうとしていた。
これを理解したとき、
「やる気を出そう」と
自分を奮い立たせるのをやめました。
ブレーキが全力でかかっている車に、
アクセルを踏み込めばエンジンが焼き切れる。
動けないのではなく、
今は動いてはいけないと、
自分の中の防衛本能が教えてくれていた。
そう解釈を変えた瞬間、
自分を責める声が少しだけ小さくなりました。
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まとめ
やる気が出ない日は、
ただの怠けではなかった。
自分を守るための、
大切な反応だったのかもしれません。
動けないことにも、ちゃんと理由がある。
そう思えたとき、
少しだけ自分への見方がやさしくなりました。
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おわりに
もし今、「やる気が出ない自分」を責めているなら。
その状態は、あなたが弱いからではありません。
これ以上自分が壊れないように、
心のブレーキを必死に踏み続けて、
自分を守り抜いている。
それは、立派な生存本能だと思います。
無理にブレーキを外す必要はありません。
十分に休まり、栄養が蓄えられれば、
ブレーキは自然と緩み、
また少しずつ動き出せます。
今日は、守りきった自分に
「お疲れ様」と言って、
ただ横になっていましょう。
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あの頃の自分に伝えるなら、
「その動けなさにも、ちゃんと意味があるよ」
そう、静かに声をかけたいと思います。

