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熊本に何かしたい。その気持ちに正解はあるのだろうか。

熊本の地震で被災されている方々へ、心よりお見舞い申し上げます。



今日noteプレミアムに登録した。
詳しい理由は後日お伝えしたいと思うけど、



初めてコメント欄を閉じさせていただく。


今日はただ、今の自分の中にあるものを、言葉として置いておきたい。



正直に言う。


家庭を持っていた頃の私は、

よそで何かあっても、そんなに関係ない

自分の家庭がよければいい。

まずは、自分の持ち場を守る。

そんな考えだったと思う。



元妻のお金に対する考え方は、とても堅実で、きっちりしていた。

「無駄なものにお金はかけない」

そんな考え方が強かった。


じゃあ、

「無駄」ってなんだろう。


今になって振り返ると、

自分たちの生活に直接必要なものなのか。

使った先に、自分たちに返ってくるものがあるのか。

そういうことを、とても大切にしていたように思う。


逆に言えば、

自分たちに直接の利益や見返りがないもの。

何かが返ってくる確約のないものにお金を使うことには、かなり慎重だった。

冠婚葬祭や、周りとの付き合いにかかるお金に対しても、かなりシビアだった。


だから、

誰かのために使うお金。

どこかに寄付するお金。

そういったものに使える「お金の余白」は、ほとんどなかったように感じていた。



今、夫婦だった頃の会話を思い返してみても、

社会で起きていること、

身の回りで起きていることに対しては、

ドライな家庭だったと思う。



もちろん、そうなったのには理由もある。


高校生と中学生の娘がいて、

子どもがいれば、当然お金もかかる。

妻は専業主婦。

収入は、私一人の給料。

決して余裕のある家庭だったわけでもない。


家計は、すべて妻に任せていた。


正直、

「そこまでしなくてもいいんじゃないかな……」

「少し行き過ぎているんじゃないかな……」

そう感じることも、時々あった。


だけど、

家計簿をしっかりつけて、

家族のお金をきっちり管理してくれていたのも元妻だった。

私は、決められたお小遣いの中で生活する。



それが、私たち夫婦の役割分担だった。



家計について、

私が自由に決められることは、ほとんどなかった。



でも、

それだけを理由にするのは違うと思う。

もし当時の自分に、


「寄付をしたい」

「誰かのためにお金を使いたい」


そんな強い意思があったのなら、


きっと自分の少ないお小遣いでも使ったはずだ。

違和感を持つことはあっても、
家計の事で異論をいうこともなくなった。


その生活を受け入れていたのも自分だった。



結局、

当時の私にとって一番大切だったのは、

自分の家庭だった。


いや、、
そんなカッコ良くない。

自分自身だった。

自分自身を守る。


あの頃の自分は、

認めたくはないけど、そうだったんだと思う。


離婚して、1人になった。


そして、
今回、熊本の地震が起きて、


noteで出会った方々の姿を見ながら、いろいろなことを考えた。


みんな自分の生活がある。

家庭がある。

仕事がある。

自分自身が身体の不自由な方だっている。



決して余裕がある人ばかりではないと思う。

それでも、

「何かできることはないだろうか」


そう考えて、動いている人が本当にたくさんいた。


顔も知らない。

実際に会ったこともない。

それでもnoteで言葉を交わして、その人の考えに触れて、その人の温度を感じてきた。


その人が今、つらい思いをしている。

だったら、何かできないだろうか。


そんなふうに動いている人たちがいた。


その姿を見ていて、

正直、

今までの自分が恥ずかしくなった。


これは過去の自分を否定したいわけじゃない。


あの頃には、あの頃の生活があった。

考え方もあった。



ただ、

今の自分がそう感じた。

それだけだ。



九州で暮らしているフォロワーさんたちは大丈夫だろうか。

そんなことも、すごく気になった。



そして介護の仕事をしているからこそ、どうしても考えてしまうことがある。


ライフラインが十分に整っていない中で、

高齢者の方々は、どうやって生活しているんだろう。


酷暑の地域の中で


水分を取ること。

食事をすること。

排泄すること。

眠ること。


普段なら当たり前にできていることでも、

高齢者にとっては、環境が少し変わるだけで大きな影響を受ける。


水分が十分に取れなかったら。

いつものトイレが使えなかったら。

いつもの場所で眠れなかったら。

暑さから逃げる場所がなかったら。



介護の仕事を長年しているからこそ、

いろいろ想像できてしまう。


自分は、このままでいいんだろうか。


そんなことを考えた。

でも、

だからといって、自分に大きなことができるわけでもない。

そんなとき、フォロワーの

華子さん

が熊本への応援プロジェクトを立ち上げていた。


親しくしているフォロワーさんたちも、次々と参加していた。


それを見ながら、

「これなら自分にもできる」


そう思って、私も参加させてもらった。

本当に微々たるものだけど、

お店に置かれていた

募金箱にも募金した。


金額を言うつもりはない。

大きな金額でもない。


でも、自分にとっては今までほとんどしたことのなかった行動だった。



昨日の

みーちゃん

の記事では、

熊本の食材を買って食べること。

熊本で作られたものを購入すること。


それだって、その地域の支援につながるということが書かれていた。


それを読んで、

熊本のものを買ってみたいと思った。

ネットで探して、購入してみようと思っている。


大きなことじゃなくていいんだな。


そんなことも、noteの皆さんから教えてもらった。



最近、お金について考えることが増えた。


一応FPの資格をもっているからいい機会なのかもしれない 笑


お金の価値観や優先順位って、

そのときの立場や環境によって変わるものなんだと思う


この一年で、私の生活は大きく変わった。


そこそこの金額の養育費を払いながら生活している。



長年働いている職場で、それなりのお給料もいただいているから、特に問題なく生活できている。


だけど、たくさん蓄えがあるわけじゃない。


これから一人で生きていくんだから、

ちゃんと貯めていかないと。

そう思う。



だけど最近、、

人のためにお金を使いたい。

誰かのために、何かしたい。

そんな気持ちが増し増しになっている。


でも、

そこでまた考えてしまう。


これって、

本当の優しさなんだろうか。

そんなに立派な理由じゃないんじゃないか。



もし今、

娘たちに自由に会えて、

お小遣いを渡したり、

欲しいものを買ってあげたり、


自分の意志で

何かしてあげることができていたら。

私は今と同じように、

よその誰かのためにお金を使いたいと思っていただろうか。



もっと貯めないと。

娘たちのために残しておかないと。

そう考えていたのかもしれない。


結局、

自分が本当に使いたいところに使えないから、
その気持ちを別のところに向けているだけなんじゃないか。


自分のお金をどうコントロールしたらいいのか、

分からなくなっているだけなんじゃないか。


そんな少しブラックなことも考える。


だから、

これは本当に優しさなのか。

自分でも分からない


職場の飲み会があったら、

部下の為に少しくらい気前よく使いたいと思う自分がいる。



甥っ子や姪っ子にも、何かしてあげたい。

家族以外でも親しい人には、何かを贈りたい。


その一方で、

自分が欲しいものを好きに買ったあと、

いまだに少しだけ罪悪感を感じる。


使いたい。

でも、貯めなきゃ。

誰かのために使いたい。


自分の答えがわからない。

本当にその人のためを思ってやれているかの自信も持てない。



結局、

自分が満足したいだけなんじゃないか。


考えれば考えるほど、

何が正解なのか分からなくなる。



でも、、

そもそも正解なんてないのかもしれない。


自分が今、したいからする。

自分がここに使いたいと思ったから使う。

もちろん、無理はしない。


自分の生活を壊してまで何かをする必要もない。
それはしてはいけない。


でも、

自分が納得できる範囲で、

今の自分の「こうしたい」という気持ちに従ってみる。

それでいいのかもしれない。


今回、

熊本に何かしたい。

そう自分が思えるようになったのは、

間違いなくnoteで出会った皆さんの影響だった。



誰かの言葉を読んで、

誰かの行動を見て、

今までの自分にはなかった考え方を知る。


そして、

自分の価値観が少しずつ変わっていく。



人との出会いって、

そういうものなのかもしれない。


これは、ほとんど独り言だ。


動機は立派じゃない。

誰かのためと言いながら、

結局は自分自身が納得したいだけ。



でも、

それでもいいのかなと思う。

自分が納得して、

その行動がほんの少し誰かの力にもなるのなら。

それでいいのかもしれない。



もしかしたら、

私と同じように、

何かしたいけど、自分に何ができるんだろう。

こんな気持ちで支援していいんだろうか。


そう考えている人もいるかもしれない。

もしこの記事を読んで、

「そんな気持ちでもいいんだったら、少し募金してみようかな」

「熊本のものをひとつ買ってみようかな」

「少しだけ、思いを寄せてみようかな」

そんなふうに思ってくれる人が一人でもいたら、

それでいい。


人を想う気持ちに、

きれいな理由なんて、

いらないのかもしれない。



今の自分にできることを。

無理のない範囲で。

今の自分が、

そうしたいと思ったことを。


ありがたいことに、noteのフォロワーさんも1000人を超えた。


自分が書いた言葉が、

誰かの目に触れる。

誰かの心に届く。

自分の言葉にも、


影響力があるクリエーターになれたことを、

最近は少しずつ自覚するようになった。

それも、

noteを続けてきた中で得られた、

とても大切な「財産」だと思っている。



だったら、

その財産を使って、

自分が感じたことを記事として届ける。


それも今の自分にできる、

ひとつのことなのかなと思った。


だから、

この記事を投稿することにした。



これでいいのかな……。


まだ、

正解は分からないけど。



今回は、お金や元の家庭についても触れた、

少しセンシティブな内容だったため、

コメント欄を閉じさせていただきました。


ご理解いただけたら嬉しいです。


もし、どうしても伝えたいことがありましたら、

DMは受け付けています。



読んでくださったこと。

少しでも熊本に思いを寄せてくださったこと。



それだけで、

この記事を書いた意味はあったのかなと思っています。


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。


熊本の皆さんに、一日でも早く穏やかな日常と笑顔が戻りますように。


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