小さな一歩。熊本応援プロジェクト☆
8月14日
大切な記事なので、ここに貼ります。
是非読んでもらえるとうれしいです。
まずは命を守ってほしい。
天災を前にすると、私たちは非力だ。
抗おうとしても、抗えない。
運というには、儚すぎて、無念すぎて、
怒りを通り越して無力になる。
一度起きてしまった大きな出来事は、
謝っても取り消せないし、
許してもらうことも出来ない。
それでも――。
三回、大地震に遭遇した私は、
揺れの間、必死に謝っていた。
「ごめんなさい」
何の罰でもないのだ。
それなのに、
ごめんなさいをやめられなかった。
夏の災害は生き残っても危ない。
私が実際に大地震にあったのは、
2007年3月25日 能登半島地震
2011年3月11日 東日本大震災
2024年1月1日 能登半島地震
この3回だ。
時期を見てもらえたらわかるけど、
どれも寒い時期だった。
寒さも辛かった。
停電した中で、寒さに震えたし、
車の中のわずかなガソリンで
一瞬の暖をとったこともあった。
だけど、
これが夏だったら?
能登の人は時々、
口々にそう話していた。
冬だからお風呂に入れなくても
我慢できたところがあった。
食べるものも、
すぐに傷む状況ではなかった。
これが、夏だったらどうしようもなかった。
私たち、乗り越えられてよかったね。
そんな言葉を何度も聞いた。
情報が欲しかった
3度の地震で
災害の規模は同じではなかった。
1度目は、食器棚が倒れて、
私が座っている場所に
直撃していた。
あの時、洗濯物を取りに行っていなかったら、
私は生きていなかったかもしれない。
あの時は、停電が続いた。
水は出ていた。
私たち夫婦が使っていた携帯電話の機種は、
完全に使えなかった。
近所の人のdocomoが使えたため、
地区のお祭りで小学校にいた子供たちの安否を確認できた。
2回目は、夫の単身赴任先、
岩手の奥州市で起きた。
停電はしたけど、
水は来ていた。
ガスも使えた。
夫は、多分、生命力が弱い人だから、
自分一人のために
買い出しに並ぶということは出来なかったかもしれない。
たまたま私が一緒にいて、
一緒に買い出しに行って、
命を繋ぐことができた気がしている。
この時、
誰にも助けを求められない状況で
たった一人でいたとしたら……
そんな恐ろしさを感じずにはいられなかった。
3度目の能登半島地震は、
本当に絶望的な状況だった。
電気も水もガスも出ない。
情報を集めるための電波もなかった。
何が一番困ったか?
状況がわからないこと。
いつまで待てばいいのか。
どこへ行けば助かるのか。
このまま家にいていいのか。
何もわからなかった。
他の人がどうだったかはわからないけど、
情報がないことが私には、一番堪えた。
ニーズはすぐには届かない。
最初の地震の時、
私たち家族は、
公民館に物資を取りに行った。
家で食べるものがゼロだったわけではなかったけど、
いつまでこの状況が続くか分からなかったし、
情報を知りたいのがメインだった。
だけど、私の行った場所は、
地域外だったのか、
私たちの顔を知らない受付の人は
怪訝そうに、対応した。
一人に一本の菓子パンをくれて、
ここの人のための食糧ですとはっきり言われた。
その方はちゃんと自分の仕事をしただけなんだけど、
私はとても寂しかった。
私たち家族は、
引っ越してから5年経ってたかどうか……
地域の人と交流して来なかったのもあるとは思う。
私と夫は、
地域外まで足を延ばせたから、
自分たちで、自分たちの分は
まかなうようにした。
当たり前のことなんだろうけど、
私は少し寂しかった。
二回目の時も、
夫の住民票は、
能登にある状態の岩手で、
避難所に行っても無駄かもしれないね。
って、最初から頼らない方向だった。
実際、アパートの被害は
大したことはなかった。
それだけ恵まれていたともいえるから、
それはそれでいい。
あの時、食料を調達するために
時間を費やしたこと、
ガソリンを入れるために並んだこと。
息子の卒業式に間に合わなかった事。
それでも、町の回復は、
眩しいくらい早く思えた。
三回目の時は、
本当にしばらく物資も届かず、
賞味期限が何日も切れたおにぎりを
大切に持って帰った。
トイレ事情も最悪だった。
どこに行こうにも、
公衆トイレは、排泄物で盛り上がっていた。
水が長く出なかったことも
能登の人には一番の困りごとだったと思う。
私は、父が避難所でコロナになったから、
そのまま置いておけなくなり、
親戚のいる金沢に一緒に行ったから、
一番しんどい時間を
能登で過ごさなくて済んだ。
必要なものは、
状況によって、
人によって、
時期によって、
形を変えるものだと知った。
誰に届けたいか?
見もふたもない話をするけど、
私は寄付とかボランティアを
無条件に信用していない。
お願いしますと
頭を下げる時間があれば、
その分働いて、
そのお金を寄付したら早いのではないか?
わざわざ家を訪ねてくる募金者を見て、
そんなことを考えてしまう。
基金の団体で
不正のニュースが出る度に、
そんなもんだよね。
と斜めに感じる私もいる。
だから、私は、
顔の見える誰かにこの思いを託したいと思った。
熊本といえば……
noteで交流のあるクリエイターさんの中で、
私は二人の顔を思い浮かべた。
そのうちの一人とは、
まだ連絡が取れていないし、
連絡が取れた一人も、
自分じゃなくて、誰かに。
そう言った。
だけど、
だからこそ、
そこに届けることにこそ意味があると思う。
私が知る限り、
お二人とも
周りの人を大切にする方だ。
負担になるほどの額にはならないと思うし、
もし予想以上に集まったとしても、
その使い方はお二人にお任せしたいと思う。
7/30 お二人とも無事が確認され、戸惑っておられましたが、
チップの件もご了承いただけました。
私は現状がわからないし、
現地にいったところで、
足手まといにしかならない。
集まったお金で、
二人が食べたいものを食べて、
元気をチャージして、
記事を書くためのパワーにしてくれてもいいなって。
その使い道に納得できなければ、
有料記事を買わなくてもいいし、
なんなら直接二人にチップを送っていただいてもいいと思う。
華子から有料記事を買ったら
華子がプロジェクト進捗記事で、
購入してくれた方のプロフィールを紹介します。
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直接ご自分が良いと思うアクションを起こしてくれたらいいと思います。
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私のプロジェクトはとても小さなものです。
この活動に参加してくださった方には、
孤独を感じてほしくない。
熊本にも、参加してくださる皆さんにも、
応援の気持ちを届けられたらうれしいです。
この先も災害は後を絶たないと思います。
その全てに私は行動できない。
それでも、今心が動いたから、形にすることにしました。
7月29日 華子
ポンタさんの記事、私よりよっぽど有益なので置いておきます。
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