サロン楽屋話016:怒りが楽しみに変わる、真逆のメンタル世界へようこそ!
▶いつの間にか好きになっている。それが恋
前回のサロン楽屋話「“怒らない”で、テニス人気者になる!──『業論』の教え」では、怒りが湧いた瞬間のかすかの火種を見逃さずに、気づく(念力)ことが、効果的な初期消火になるとお伝えしました。
自分がイライラしているとは気づきにくく、いつの間にかイライラしている。
恋、みたいなものかもしれません。
人を好きになろうとしてもなれないけれど、気づいたら、いつの間にか好きになっている。
同様に、怒ろうとしても怒れないけれど、気づいたら怒っているのです。
▶雨を喜ぶメンタル
初期消火に1回成功すると、業(パターン化)の強度と速度が弱まり、その1回分確実に、怒りにくくなる新たな業へと書き換わるのが「自業自得」のエッセンスなのでしたね。
怒りを我慢するのではなく、じゃのめのお迎えを嬉しく思う女の子の心境というわけです。
我慢すらしないから、「雨なのに喜んでるなんて、あの子は強い!」というのが真のメンタルタフネス。
見方を変えれば、雨を嫌がるのではなくありのままを受け入れているから、「リスペクトしている」とも言えるでしょう。
こちらでも述べたあらゆる対象を慈しむ“究極の自己肯定”です。
▶抑え込んだ我慢も、立派な“怒り”
とはいえ怒りの火種は小さいからこそ、なかなか気づけません。
イラッがイライラになり、気づいたらメラメラと燃え盛っています。
では、初期消火のタイミングを逸して怒りの炎が燃え盛ってしまったら、どうすればよいでしょうか?
頭で「怒っちゃだめだ」などと考えても、それもまた我慢する「怒り」だから、文字どおり火に油を注ぐようなもの。
考えるのではなく、体の感覚に委ねるというのが、じゃのめのお迎えを喜ぶ女の子です。
▶嫌なものは嫌だけど、集中すれば楽しくなる。雨粒を通して見る“真逆の世界”
雨を嫌とは考えないようにしようとしても、嫌なものは嫌なのです。
慇懃無礼な隣人はムカつくし、テニスのミスは落ち込みます。
いえ、落ち込まないようにしようと思えば思うほど、落ち込んでしまうのでしたね(関連記事「『食べてはだめ』と思うと、食べたくなる」)。
ところが、集中すれば楽しくなる。
つまり、「眼耳鼻舌身(げんににぜつしん)」で感じ取る。
雨音はショパンの調べだし、水たまりに落ちて描かれる波紋はアートです。
傘の先端(露先)に宿った雫を通して世界をご覧なさい(どう映るかは、実際に試してお楽しみください)。
▶テニスゼロ、首が回らない
考えるのではなく、体の感覚に委ねる。
怒りのエネルギーが燃え盛っているそのとき、体には比喩的に言えば、さまざまな“炎症反応”が生じています。
具体的にはたとえば、血圧が上がったり、息が浅くなったり、みぞおちに差し込む痛みがあったりするでしょう。
我慢するからです。
我慢するのが自己否定的なのです。
私の場合は、寝違えのような痛みが首に来て、回らなくなるという話はこちら(関連記事「『心の健康』と『体の健康』は直結」)。
▶怒りが巡らせる“体内毒素”、凝り・痛み・しびれの正体とは?
それら反応は、「『守ってくれている』」のでしたね。
体が発熱してくれるのは、ウイルスと戦うため。
それと同様に怒りによる炎症反応は、「イライラするのは毒ですよ」 と伝えてくれる精緻な体からのシグナルです(関連記事「体は精緻。そのシグナルを役立ててアクションを妨げない」)。
凝りやしびれ、痛みがあるなら、それはぶつけたなどの外傷でもない限り、たまたまではなくて、自分の心が怒りに染まっている危険を知らせる機能的なアラートになっています。
▶「イライラするのは割に合わない!」心が合理性を学習する
凝り、しびれ、痛み……。
ややもすれば、そういった感覚は感じたくもないから、目を背けたくなるかもしれません。
けれども、あえて感じ取りにいくのです。
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スポーツ教育にはびこる「フォーム指導」のあり方を是正し、「イメージ」と「集中力」を以ってドラマチックな上達を図る情報提供。従来のウェブ版を改め、最新の研究成果を大幅に加筆した「note版アップデートエディション」です 。https://twitter.com/tenniszero
