海外転職初日、ヒールで19階まで階段登った
以前の記事で、
退職前に心身ともに疲れ果て、
逃げるような気持ちで日本を出国した
と書いた。
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退職後にも、人事との間でビザ用の書類をめぐる一悶着があった。
それでも、やっとビザが下りた。
私は意気揚々と飛行機に乗り込み、
これから始まる人生の第二章に
胸を躍らせていた。
グーグルマップで会社の周辺は事前に
見ていたし、衛生面やインフラ面が
日本ほど整っていないことも
理解しているつもりだった。
だが、現実は想像以上にカオスだった。
出社初日。
気合いを入れて、
お気に入りの服を選んだ。
よく褒められていたラルフローレンの
ストライプの変形ワンピースに、
アローズのノーカラーの紺のジャケット。
足元はペリーコの7cmヒール。
新しい職場、新しい人生のスタートにふさわしい装いだった。
そして会社のビルの1階で、
エレベーターを待った。
しかし、待てど暮らせど来ない。
15分ほどしてようやく到着した
エレベーターは、すでに人でぎゅうぎゅうだった。
乗れない。
諦めた私は、困惑とイライラを
抱えながら、オフィスのある19階まで
ヒールで階段を急いで登った。
ゼイゼイ息を切らしながら。
そのビルは20階以上あるにもかかわらず、
エレベーターはわずか4基しかなかった。
しかも地下のバイク駐車場から
大量の人が乗り込むため、
朝のラッシュ時には常に満員だった。
出勤時間帯は15分以上待つのが当たり前。
慣れるまでは、
満員電車以上のストレスだった。
新天地での、しかも異業種への転職。
仕事が大変になることは覚悟していた。
だが、苦労したのは仕事よりも
生活だった。
2日目は、早く起きすぎたので
歩いて会社へ向かった。
ボコボコの道を慎重に歩いていたのだが、
転んだのは意外にも、
珍しく整備された平らなアスファルトの
上だった。
砂埃で足をすくわれ、派手に転倒した。
あっという間に人だかりができた。
皆が助けようと手を取ろうとしてくれた。
ダンプカーのおじさんが車を止め、
「乗っていけ」と手で合図してくれた。
ありがたかったが、
私は立ち上がり、
そのまま歩き続けた。
会社のビルの近くまで来ると、
今度は歩道を四方八方に走るバイクに
気を付けなければならない。
足を踏まれないよう注意しながら、
ボコボコの道も避ける。
四方から鳴り響くけたたましい
クラクション。
舞い上がる砂埃と排気ガス。
気付けば咳をしていた。
日本では、少々埃っぽい場所でも咳など
出たことがなかったのに。
そして私は悟った。
この国では、
まっ白いカプリパンツも
綺麗なヒールももう履けない。
疲れを取るため、滞在先では、
家賃が少し高くてもバスタブ付きの
部屋を選んだ。
だが、期待していたように熱いお湯に
浸かることはなかった。
結局、ぬるめのシャワーを浴び、
10分も経つと水になるシャワーに震える日々が始まった。
どうしても身体が重くなり、
気分を上げたくなる日が増えていった。
仕事帰りに通うマッサージやシャンプー
だけでは足りなかった。
だから私は、1〜2か月に一度は
近郊のリゾートや都会へ出かけることを
早々に決めたのだった。
ある日、取引先へ向かうセダンの
車の中から
外をぼーっと眺めていた。
レストランの前の道で、
男たちが子ヤギを取り囲んでいた。
最初は何をしているのか分からなかった。
しかし次の瞬間、血が見えた。
それが食用に解体される場面だと
気付いた。
私は強い衝撃を受けた。
直視する事ができなかった。
私は変化への適応が高い方だと思っていた。
実際日本でも留学先でもそうだった
しかし実際は違った。
インフラも衛生も秩序も
整った世界の中でだけ、
私は適応力があると思い込んでいた。
出国してまだ数週間。
それなのに私は、
コンビニスイーツや、
静かで綺麗な駅、
手入れされた公園、
何の変哲もないチェーン店が
既に恋しくなっていた。
日本にいた頃は、
そんなもの見向きもしなかったのに。
東南アジア記事です👇️
昆明の空港での話👇️
失って初めて、大切なものだったと
気付いた事ありますか?
私は、特に公共の清潔さと水回りの
インフラでした。
日本にいる時は当たり前すぎて
ありがたみなんて考えなかったのですが。
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