私も変わった、「会社」も変わっていた
東南アジアへ赴任する前、私は少し疲れていた。
日本が嫌だったわけではない。
正確に言うと、会社の意向に合わせ続けることに疲れていた。
辞めたいと思ってからも、すぐには辞められなかった。
退職の相談をし、理由を聞かれ、引き留められる。
自分で何度も考えて出した結論なのに、そのたびに説明しなければならない。
そのプロセス自体に、かなり消耗していた。
だから東南アジア行きが決まった時、私はどこか逃げるような気持ちもあったと思う。
現地で最初に驚いたのは、空気の軽さだった。
日本では当たり前だった、
「間違えてはいけない」
「迷惑をかけてはいけない」
「空気を読まなければいけない」
そんな見えないプレッシャーを、ほとんど感じなかった。
ラッシュ時の道路は混沌としている。
クラクションは鳴り続け、
バイクは歩道を走る。
排気ガスの舞う道端に、
プラスチックの椅子を並べ、
人々はのんびりお茶を飲み、
フォーを食べている。
日本の感覚なら、
「こんな場所で?」
と思ってしまうような光景だった。
最初は戸惑った。
でも数か月もすると、
自分も気にしなくなっていた。
そして、ある時ふと思った。
私はずっと、
「日本人は細かすぎる」
「正しさを押し付ける」
そんなふうに考えていた。
自分は息苦しい社会の中で生きているのだと思っていた。
でも本当は少し違った。
一番気にしていたのは、
私自身だったのだ。
人の目を気にし、
空気を読み続けていたのは私だった。
東南アジアで学んだのは、「気にしない力」だったのかもしれない。
もう一つ面白かったのは、お金の感覚だった。
日本では贅沢だったものが、
現地では日常になった。
サービスアパートには
掃除サービスが付き、
夕食は毎日のようにデリバリー。
パキスタン料理のチキンカラヒ、
日本食の寿司、
週に何度か通うマッサージやネイル。
それでも生活費は日本よりかなり抑えられていた。
給与はドル建て、生活費は現地通貨。
「強い通貨で稼ぎ、安い国で暮らす」
投資の世界でよく語られる地理的レバレッジを、生活そのもので体験したのだった。
そして日本に帰国した。
空港へ降り立った瞬間、
「ああ、日本だな」
と思った。
電車は時間通りに来る。
街は綺麗で静かだ。
コンビニのご飯は美味しく、
アイスクリームは溶けていない。
久しぶりの海外生活で、
日本の良さがまた見えてきた。
だから今は、この国の便利さや安全さを
以前より素直にありがたいと思える。
外ではきちんとする。
でも家では好きなだけだらだらする。
そんなメリハリのあるFIRE暮らしが、
今の私には心地いい。
そして帰国後、もう一つ気づいたことがあった。
変わったのは、自分だけではなかった。
2023年、
縁あって、
アメリカ移転予定のスタートアップ企業と期間限定の業務委託契約を結んだ。
ベアマーケットへの
リスクヘッジも兼ねて、
週3日・1日4時間だけ働くことにした。
そこでの環境は、
驚くほどフラットだった。
出社も働く時間もほぼ自由。
細かな監視はなく、
締切までに成果を出せばいい。
何より、組織の文化そのものが違った。
前職のような、意思決定の階層が何段もある組織とはまるで違った。
意思決定は速く、物事は合理的に進む。
以前の私は、
「会社組織とはこういうものだ」
と思い込んでいた。
でも実際は違った。
コロナを経て働き方は大きく変わり、
会社ごとの文化の差も
以前より広がっている。
働き方も、場所も、組織も。
思っていた以上に選択肢は
増えていたのだ。
東南アジアへ行く前の私は、
「日本の社会は細かくて面倒くさい」
と思っていた。
帰国した今は、
日本には盤石な公共サービスや
医療制度など、多くの魅力があると思う。
同時に、海外で身についた
「気にしすぎない感覚」も大事にしたい。
結局のところ、変わったのは
東南アジアだけでも、
日本だけでもなかった。
私も変わった。会社も変わっていた。
昔のイメージだけで
国や会社を語ることはできない。
だから時々、自分のいる場所を
離れてみることには
意味があるのだと思う。
離れて初めて見えるものが、確かにあるのだから。
東南アジア記事👇️
FIREしたのに👇️
FIREしたら、、、👇️
皆さんにも、「離れてみて初めて見えたもの」はありますか?
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