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「何者か」になろうとする時代は終わった。AI時代に「器用貧乏」が最強になる理由

イラストレーターの仕事が、また一つ消えた。

「あっ、ここにもあった!」

街中でChatGPTが生成したと思われる画像を使った張り紙を見かけることが増えました。

僕の近所のスーパーではバイト/パート募集のチラシがあきらかに生成AIイラストを使っていますし、よく行く飲食店も店主の顔を使ったコミカルなAI生成画像をインスタのストーリーズに投稿していました。

すっかりそんな光景に違和感を覚えなくなった一方、こうも思います。

イラストレーターやデザイナーの仕事が、また一つ減ったのかもしれないな」と。

写真:照沼健太

ただ、正直に言えば、僕は人のことを言える立場ではありません。

僕は編集者であり、ライターであり、写真家でもあります。一つの記事を企画から撮影、執筆まで全て自分で手がけることがある。つまり「ぜんぶ一人でできる編集者」として、AI以前からライターやフォトグラファーの仕事を「奪ってきた」側面があるわけです。

でも、そんな僕も最近、記事を書いていて、こう思うことがあります。

この箇所の写真は、生成AIによる画像がいいな」と。

僕は自分で写真が撮れますし、ライブラリにはたくさんストックがあります。でも、逆に生成AI画像の方が良いかもしれないと思う場面もある。

文章だって、同じ。

僕は仕事柄基本的には苦もなくテキストを書けます。でも、機械的に説明できればいいキャプションなど、自分のバイアスができるだけかからないAI生成によるプレーンな内容の方がいいと考える場合もある。

これは「自分の仕事を自分で(AIを使って)奪っている」と考えることもできます。

でも、僕が心配しているのは自分のことじゃありません。若い人たちです。

それらの最たるものは、雑用に出てきます。

例えば記事でキャプションに使いたい写真の撮影データ(絞りやシャッタースピードなどの設定値)の抽出。そういう作業を、AIに任せるようになりました。

ここで一応言っておきますが、僕の判断基準はかなり高い位置にあります。また、それゆえにAIへの具体的な指示もできるので、AIアウトプットの質も高いです。

(↑「自分はこだわりがあるからAIでは満足できないけどね」みたいなことを同業者に言われるのが死ぬほど腹立たしいので、先に潰させてください。ちなみに、こういう人間くさいことを書くのも今後のコンテンツ制作には重要だと考えています)

話が横道にそれましたが、これってつまり、バイトを雇う必要がなくなったんです。ハッキリ言えば、一人の新人の登竜門が、おそらく塞がれた

これは僕だけじゃありません。

「雑用を任せたいから新人を雇い、信頼できることがわかったら仕事を少しずつ任せていく」というルートは、ほぼ消えかかっています。

「それはプログラミングだから」と思っていた

写真:照沼健太

2024年、僕はひさしぶりにライゾマティクスの真鍋大度さんにインタビューしました。それ以前はコロナ禍真っ只中。まだChatGPTが世間を席巻する何年も前のことでした。

この一昨年のインタビューで、真鍋さんはこう言っていました。

自分でゼロからプログラムを書くことがもう本当に少なくなりましたね。今回アクリルでプリントした作品の生成と選択のためのコードをClaudeで生成しましたが、基本的に指示を出すだけで済みました。

犬の散歩中にプログラムを書く。真鍋大度がAIに見出す可能性とは?

当時の僕は、これに驚くと同時に、うらやましく思いました。

「プログラミングだからできることだよな」と。

コードは論理の塊だから、AIと相性がいい。でも、文章を書いたり、写真を撮ったり、編集したりすることに関しては、まだ何年か先だろう、と。

今となっては笑ってしまいますね。

でも、それが2024年のリアルだったんです。世界はこの約2年間で、大きく変わりました。

街中の張り紙が、そしてこの前項で僕が書いた内容が、その証拠です。

プロの10年の蓄積が、3000円/月で買える時代

写真:照沼健太

この1年で、僕の仕事のやり方は劇的に変わりました。

その一つの要因は、自分専用ツールを自分で作れるようになったこと。

プログラミングなんてまったくできない素人だったのに。2026年1月だけで、動くアプリを6本ほど作りました(今でもプログラミングはできませんが、AIを使えばできます)。

つまり、僕が自分専用のアプリを作る程度では、プログラマーに頼む必要はない。

コンテンツ制作も同様。街のスーパーの求人広告レベルなら、プロに頼む必要はないんです。

これは大袈裟に言えば、僕たちが10年かけて積み上げたスキルの価値が、月額3000円のサブスクでコモディティ化されているということです。

そんなの別に怖くもなんともない

でも、結論から言えば、僕は何も心配していません。

なぜ僕は怖くないのか。

技術ではもうAIに勝てないからです。

3大AIメーカーの一つであるAnthropicは、数多くのソフトウェアメーカーの株価を先日暴落させた「Claude Cowork」をAI生成のコードだけで作ったそうです。世界最高のエンジニア集団が「生成AIの方が私たちより優秀」と判断しているわけです。

それはコンテンツ制作の技術面でも同じ。

例えば文章。ボキャブラリーの量も、レトリックの引き出しも、僕はAIに敵いません。当たり前です。蓄積しているデータ量が全然違うので、全人類を探しても誰一人として敵うわけがないんです。

でも、僕には別のことができます。

それは「次に何を書くか」を決めること

僕は新しい記事のアイディアが次々と浮かびます。その記事が誰のために書かれるのか、読んだ人がどう次に繋げるのかを想像できます。

漫画家の大友克洋さんと何度かお酒の席を共にさせてもらったことがあるのですが、彼が言っていた「抜いた絵のコマがないと漫画としてよくならない」という言葉が、今も僕の中に残っています。

あの圧倒的な画力を持つ人が、「描かない」ことの重要性を語っていた。

何を入れて、何を抜くか。そこには誰かを想い、想像することが欠かせない。

これは、AIにはできません。AIは「頼まれたこと」はできる。でも「何を頼むべきか」は決められない(中間プロセスでの話は別ですよ)。

僕は「何者にもなれない人間」だった

写真:照沼健太

ここで、僕自身の話をさせてください。

僕の人生は、過集中しては拡散していく繰り返しでした。

音楽に夢中になりながら、友達に勧められて武蔵野美術大学に入学。グラフィックデザインを専攻するつもりが、ゼミでは映像作品や音楽を作り、卒業制作では小説を書いた。

出版社の編集者についてもらって小説家デビューを目指すも、続かず。学生時代から働いていた音楽業界/メディア業界で仕事を続けました。

その後、Webディレクター、コンテンツディレクター、SNSマーケティングのプランナーを経て、レコード会社運営の音楽メディア編集長として独立。メディア終了後は複数の大手企業と仕事をすることになり、必要に迫られて法人化。

今では編集者やライターとしての仕事よりも、YouTubeやPodcast運営、note運営がメインになっています。

傍から見れば、一貫性のないキャリアです。

音楽→グラフィックデザイン→映像→小説→メディア→マーケティング→編集長→YouTuber。

長い間、これがコンプレックスでした。「何者にもなれない自分」が恥ずかしかった。

「器用貧乏」という。あまり褒め言葉じゃない感覚。業界ではこの組み合わせは希少価値ではありますが、それでも「コスパいい」と言われたことは、今もトゲとして刺さっています。

でも、今になって思う。

  • 音楽の知識があるからこそ、音楽YouTubeができる。

  • 映像を学んだからこそ、動画編集ができる。

  • 小説を書いた経験があるからこそ、多くのライターとは違う長文記事が書ける。

  • 美大でデザインを学び、写真が撮れるから、アートディレクションができる。

  • マーケティングをやったからこそ、SNS運営ができる。

  • Webディレクションとゲームの制作進行の経験があるから、複数AIを束ねて開発やプロジェクトができる。

複数の興味を持つことは、弱点じゃなかった。

そしてYouTubeやnoteという「自分のメディア」を持ったことで、それらがようやく意味を持ち始めた。

この“実感”を、言葉にしてくれている人がいました。

「器(Vessel)」という概念

写真:照沼健太

アメリカの起業家Dan Koeは、「Vessel(器)」という概念を提唱しています。

彼自身も、長い間「学ぶだけ」で人生が変わらなかったそうです。いわゆる「チュートリアル地獄」。いろんなことに興味を持ち、学び続けるけれど、それが形にならない。

彼が見つけた答えが「Vessel」でした。

足りなかったのは「器(vessel)」だった。自分のあらゆる興味を、意味ある仕事として外に出し、収入を得るための「器」。

The missing piece was a vessel. A vessel that would allow me to channel all of my interests into meaningful work that I could earn a decent income from.

Dan Koe「If you have multiple interests, do not waste the next 2-3 years」

彼の場合、その「器」はニュースレターとSNSでした。そこに自分の興味(哲学、心理学、ビジネス、スピリチュアル)をすべて注ぎ込んだ。

つまり、「何かのスキルを極める」のではなく、「自分のすべてを注ぎ込める場所を持つ」こと。

これを読んだとき、自分のキャリアが腑に落ちました。

僕にとってのYouTubeやnoteは、まさに「器」だったんです。一貫性のないキャリアで培ってきたものを、全部注ぎ込める場所。

そして、そこにはAIという最高の技術力がある、この時代性も味方しています。いろんなアイディアや知識、経験を、各方面の最高レベルの技術でカタチにすることが簡単になっているからです。

「何者か」になろうとする時代は終わった

写真:照沼健太

僕は長い間、「何者か」になろうとしていました。

「照沼健太といえば◯◯」というラベルが欲しかった。でも、多動的にあらゆる分野に興味関心があり、実際に編集者、ライター、フォトグラファーなど数々の肩書きを持っているからこそ、どうしてもそれは叶わない。これは一つの大きな苦しみでした。

でも、その考え方自体が古かったんだと、今は思っています。

「『何者か』になる」、つまり「ラベル」を貼られることを目指す生き方は、「正解」が存在した時代の産物です。

「医者になれば安泰」「プログラマーは食いっぱぐれない」「ライターとして実績を積めば仕事が来る」。こういう「正解」がある前提の世界観。

でも、AIが「正解」をコモディティ化した今、ラベルの価値は下がっている。

「ライター」というラベルは、ChatGPTが月額3000円で提供できる。「プログラマー」というラベルは、Claude CodeやCodexあるいはCursorが半分肩代わりしてくれる。

代わりに価値が上がっているのは、「この人が言うから面白い」「この人のフィルターを通すと景色が変わる」という、個人の文脈そのもの。

これが、僕なりの「Vessel」の解釈です。

古い入り口は閉じたけど、新しい入り口が開いている

写真:照沼健太

ここまで読んで、「結局、専門性を捨てろってこと?」と思った人もいるかもしれません。

それは違います。

専門性は、むしろ「器」に注ぐ材料になります。

昔は、メディアを持つことは大企業やプロにしかできなかった。今は、誰でもYouTubeチャンネルを持てる。noteを書ける。Podcastを始められる。僕が全部をやっているのが、何よりの証拠です。

「雇われる」「発注される」以外の選択肢が、圧倒的に増えた。

今は「自分の器を持つ」ことが可能な時代です。そして、その器に自分の興味や経験(つまり、これまで培ってきた専門性)を注ぎ込むことで、誰かの役に立てるんです。

昔の「価値」は、誰かに認められることで生まれた。今の「価値」は、自分で発信することで生まれる。

これは、怖いことでもありますよ。誰も道を示してくれないから。

でも同時に、誰かの許可がなくても始められるということでもあります。

例え20代でも、40代でも、60代でも。

「実験室」としてのnote発信

写真:照沼健太

最後に、少しだけ宣伝をさせてください。

僕がnoteで書いている記事は、「完成されたノウハウの共有」ではありません。

むしろ逆で、「実験データの公開」。

  • AIをどう執筆に使っているか(失敗例も)

  • 複数の興味をどう「器」に統合しているか

  • 毎日の実験をどうルーティン化しているか

成功した話だけじゃなく、七転八倒しながら進むプロセスをリアルタイムで共有しています。

なぜそうするのか?

僕自身が「正解を教える先生」になりたくないからです。

AI時代に必要なのは、「正解を知っている人」じゃない。「仮説を立てて、検証して、修正し続けられる人」だと思っています。

だから、僕のnoteの基本的なコンセプトは「教室」じゃなくて「実験室」。

読者の皆さんには、僕の実験を眺めながら、「自分だったらどうするか」を考えてほしい。そして、自分なりの実験を始めてほしいと思っています。

(ちなみにDan Koeの記事についてより詳しく知りたい方はこちらの記事で解説しています)

「正解」を探すのをやめる

写真:照沼健太

AI時代を嘆くことは、とんでもなく簡単です。

「仕事がなくなる」「スキルが無意味になる」「人間の価値がなくなる」。そんな声はこれからもっと大きくなるでしょう。絶望って実は気持ちいいですからね。

そして、不安を煽ってアテンションを稼ごうとする勢力もさらに増えるでしょう。

でも僕は、違う見方をしています。

「正解」を追い続けるのではなく、「実験」を楽しむ方向へ

これは、むしろ解放と考えることもできると思います。

「この資格を取れば」「このスキルを身につければ」「この会社に入れば」みたいな安心できる「正解」がなくなることは、不安を生む側面もある一方、失敗がデフォルトになり、それ自体に価値が生まれるということでもあります。

正解がない世界では、すべてが「仮説」になる。

仮説なら、間違えてもいい。修正すればいいだけだから。

「仕事」ではなく「実験」。

そういう人と一緒に、この時代を面白がりたいと思っていますので、よければ、フォローしていってください。実験の記録を、リアルタイムで共有していきます!

(照沼健太)

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