続・浪漫主義の底流【カフェ浪漫主義47】
前回に引き続き隠れた浪漫主義の底流を見ていこう。
戦後昭和の文壇は大衆にもわかりやすいレアリスム(自然主義)や私小説が圧倒的主導権を握り、古典より続く神話ファンタジーや浪漫主義的作品は姿を潜めた。
浪漫主義はその代わりに娯楽作品やコミックの世界で生き延び、今日の盛流に至る。
中でも前回述べた捕物帖や類似の時代劇は、戦後のテレビドラマで人気を得て長期連続放映作が次々と出た。『銭形平次』『若様侍捕物帖』『桃太郎侍』『大岡越前』『鬼平犯科帳』『遠山の金さん』等々。

私が思うに戦後昭和の捕物帖の最高傑作は、石ノ森章太郎の『佐武と市捕物控』だろう。
特に江戸情緒溢れる風景や季節感溢れる絵が見事で、浮世絵や日本の伝統美術を深く勉強した成果も伺われる。永井荷風や鏑木清方がよく言っていた近代化で失われゆく古き良き江戸の風情とは、いかにもこんな感じだったのだろうと思える出来だ。
人気コミックは初版以外にも各社で色々な版を出しているが、コミック方面のコレクターにはどうやらこのハードカバーの愛蔵版の類が一番評価が高いようだ。
このような漫画に加え、時代劇の映像も創成期の白黒フィルム時代から凝っていて、同時期に作られた現代物と比べれば美的洗練度が全く違っている。日本的な美意識は芝居や浮世絵の長い歴史の中で磨き上げられた物で、現代物や似非西洋風の都会物と差があるのは当然だ。
他にも浪漫主義的なコミックの良作は多々あれど、あえて特記すべき傑作は手塚治虫の『どろろ』だろう。こちらは中世から戦国乱世が舞台のゴシックロマン的な伝奇ファンタジーなのだが、今だと発禁処分を喰らいかねない表現が一部あり、原作通りのリメイクは難しいだろう。
そして21世紀に入ると女性主人公の料理人やお店物の時代小説が興隆して来る。

髙田郁『みをつくし料理帖』シリーズ
これらも人情世話物が主力ながら、岡本綺堂以来の浪漫主義の流れを引く理想の街の美しい四季の暮しの中で起こる事件や物語を描いている。
数多くの人気作の中で特に私がお薦めするのは、髙田郁の『みをつくし料理帖』と中島久枝の『日本橋牡丹堂 菓子ばなし』だ。
この両シリーズは季節季節の日本料理や和菓子の描写が殊に美しく、我が【カフェ浪漫主義】にも是非取り入れたい程だ。章題や料理や菓子の名に俳句の季語を入れたり、吉原の太夫が気の利いた和歌を誦じたりして、詩的情趣にも満ちている。
中島久枝氏は若い頃はフードライターをやっていたと言うから、その現場取材や実体験に基づいた細部描写もバリエーションが豊富だ。勿論肝心の物語の筋立ては面白いのだが、それ以上に自分もこの美しき町と美しき人々の中で暮らしたいと言う憧れを強く抱かせるのだ。
これらの時代小説は最初から文庫版の書き下ろし企画だったから、今からでもネットで入手し易いのが有難い。
こうして20世紀後半を陰ながらも細々と生き延びた浪漫主義は、21世紀に入りアニメやゲームや日本が世界に誇るべき投稿小説方面で華々しく復活した。明治大正の浪漫主義を否定した現実主義的ないわゆる純文学はその後長らく文壇を支配したが、今や何処を探しても影も形もない。
クラシック音楽方面でも21世紀になり、かつて古典派と前衛音楽の狭間に隠れてしまったロマン派の音楽が再評価されつつある。この連載ではお馴染みになってきたジェラルド・フィンジも、21世紀になってようやく聴かれるようになってきたロマン派作家だ。
英国ロマン派の弦楽は名曲の宝庫だと何度か紹介してきたが、フィンジの「ヴァイオリン協奏曲第2楽章」も隠れた傑作だ。楽章を通して哀しくも温かみのある旋律が幾重にも展開され、後半(06:24〜08:09)は繊細な高音の独奏に沿って精神の深層を冥捜するような神秘的な構成になっている。
独奏者のニン・フェン(宁峰)は中国の実力派で、フィンジの他にもパガニーニ、ヴュータン、ブルッフ、エルガーといったロマン主義者好みのレパートリーが多く、演奏の質も高い。
フィンジはリンゴ農園で暮らしながら、蒐集した詩集や物語を読み耽り、曲の構想を練っていたようだ。
日本でも西欧でも、19世紀頃の古き良き田園を想わせる物語や音楽を愛好する浪漫主義者は、絶えず美しき暮らしを望んでいる。
20世紀の現実主義物質主義の辿り着いた先が、結局は拝金主義だったと言うだけでは悲し過ぎるだろう。
