小泉八雲のロマン主義【カフェ浪漫主義23】
この秋からNHKで小泉八雲とその妻をモデルにしたTVドラマが放映され始めた。
八雲(ラフカディオ・ハーン)は怪談ばかりが有名だが、実は立派な文学者として数々の著作と東京大学での英文学の講義が実に優れている。
私も以前からいくつか小泉八雲の著作を集めて来たが、明治時代の良書は今やかなりの高額になっていて入手難だ。

古美濃花入 江戸時代
この『神國日本』と言う題はやや誤解を招きそうだが、国粋主義や国家神道ではなく土着の自然信仰の神々の事を言っている。
彼は自然の神聖さに対する日本人の真摯な敬愛の心に感動しているのだ。
今年は遅くまで咲いていた彼岸花を飾り、日本の自然の陰影を愛した八雲を偲ぼう。茶器菓子皿は幕末〜明治頃の織部にした。
古織部は最も特徴的な日本美を備えた陶器で、歪みや草体の絵付は繊細緻密な色絵磁器しか知らなかった欧米人をさぞ驚かせたろう。
あまり知られていないが彼は夏目漱石の前の東大英文学の教授で、学生達には大変好評で他の学部からも大勢聴講に来ていたようだ。

ピューターマグ 19世紀
その八雲がクビにされてしまった反動からか、後任の夏目漱石は文法しか教えないと散々の悪評だった。お雇い外国人の八雲は、単なるコストカットで解雇されてしまったわけだが、そもそも当時の東大は官僚養成のための大学だから、あまり高邁な芸術を教えられても困るのだろう。漱石自身も八雲の後任は荷が重いと悩んでおり、それも彼の精神衰弱を悪化させる一因になったようで、少し気の毒だ。
NHKのドラマを機に、八雲関連の新刊本がいくつか書店に並んでいた。鎌倉在住の池田雅之氏の八雲解説は興味深く、何冊か買い揃えている。写真の本も二冊とも池田氏が監修している。
八雲は横浜港に来日してすぐ鎌倉や江ノ島を訪れていて、その時の紀行文が実に感動的なのだ。
「神々の島」の素晴らしい一日。いまだ私たち西洋人が経験したことのない、より高貴なる真昼の世界。海と太陽との間の静寂に満ちた、緑したたる聖なる高みから見下す眺めの壮大さ。
江ノ島では弁財天が祀られているが、その正体は市杵島姫や瀬織津姫といった美神・水神だ。名前の通りギリシャのレフカダ島にルーツをもつ八雲にとって、江ノ島で目にした光景と信仰は、かつてサッフォーが讃えたアフロディーテやオデュッセウス、そして遥か故郷の楽園を思い出させるものであったに違いない。
八雲は『東大講義録』において、単にお化けや幽霊を論じているわけではない。むしろそれ以上に、ワーズワースやコールリッジに代表されるロマン派詩人を中心に取り上げている。八雲によれば、文学を通じて最も尊ぶべき精神は「ロマン主義の魂」であり、文学史上の偉大な詩人はすべてこの系譜に属するという。
さらに彼は、ロマン主義を単なる古典主義への反動として捉える見方を退ける。むしろ、ロマン主義が誤解され文学が堕落するのを防ぐためには、ときに古典主義的な反動もまた、真のロマン主義運動にとって必要であると説く。
シェイクスピア、ブレイク、ワーズワース、コールリッジといった傑出した詩人の出現は、このようなロマン主義の精神が具現されることによって初めて可能となるのである。
八雲が指摘していたようなロマン主義をめぐる混乱はクラシック音楽の世界にも見られるようだ。ロマン派音楽の潮流はパリやウィーンだけのものではない。英国でもエルガーやヴォーン・ウィリアムズといったロマン派音楽の流れが脈々と受け継がれているのだ。ドイツの作曲家マックス・ブルッフも、イギリスへ渡ってそのロマン主義の精神を存分に発揮した。英国内の管弦楽の開花はブルッフの貢献によるところも大きいだろう。
今回紹介するのはブルッフの序曲『オデュッセウス』だ。
ブルッフの曲はシンプルなメロディーが多いが、美しさと荘厳さを兼ね備え、精神世界をより豊かなものにしてくれる。ブルッフも八雲も、故郷を離れて海を渡った先で、自然と民族性に根ざした神話的な世界に美を見出した。鎌倉に住む私も清浄な音楽を聴きながら、今一度故郷の聖性を取り戻さねばなるまい。
ブルッフや英国ロマン派は隠れた名曲揃いなので、今後紹介する機会も多くなることだろう。
