ロマン派の薄明【カフェ浪漫主義9】
鎌倉は早くも梅雨入りの模様で、初夏の爽やかな日はまたしても数日しか味わえなかった。風薫る快晴の日和とまでは望まないが、曇りがちでも気分の良い日は出来るだけ戸外の散歩を楽しみたい。
野外の珈琲も今週は虫や蚊が出て来始めたので、今回で最後となるだろう。

名残のハルシオンが咲く我が谷戸の秘密の浄域で、花の精達と茶会を楽しもう。こんな小さな花園でも良き詩と音楽があれば俗世を遮断する結界となり至福の茶座を守ってくれる。
珈琲器は英国アンティークのペアマグに、本は御近所の大詩人蒲原有明の『有明詩集』だ。この詩集にしか載っていない有明訳のクリスティーナ・ロセッティの詩は、日本の訳詩の最高傑作で日英浪漫派の両巨頭が会した金字塔だろう。
そして名詩と花精のお茶会に合わせて、ロマン派音楽の中でも取って置きの名演奏を用意したい。
21世紀に入ってからは各国の若手演奏者達がロマン派音楽に着目し、新しい録音が次々と出て来た。美麗極まるロマン派の曲でもさすがに酷暑時には合わないから、今のうちにそれらの演奏をたっぷりと味わっておきたい。

初夏のコーヒータイムにはブルー&ホワイトの染付磁器が爽やかで良い。百合の薄紅色にも似合い、緻密に描かれた清朝花鳥画のお陰でいかにも楽園らしい雰囲気になれる。
近年ヨーロッパ各国でもロマン派音楽が再評価されている中で、特にフランスでは先年フォーレの没後100年を記念した各種イベントが盛り上がったようだ。
その火付役となったのが写真のV・ジャンケレヴィッチの名著『フォーレ-音楽から沈黙へ』だ。ジャンケレヴィッチはスピノザやベルクソンに影響を受けた哲学者だが、緻密な分析による音楽論も評価が高い。
この本自体は1974年に出ているが、それを学生時代に読んだ若者達が21世紀に入り第一線で活躍し出したのだろう。古典派全盛の20世紀には見られなかった、ロマン派の魂を良く理解した評論や演奏が今世紀には沢山出ている。
西洋音楽史の「ロマン派」の区分はあまりにも大雑把だ。シューベルトもシューマンも、ショパンもリストも、ブラームスもワーグナーもみんなロマン派にされている。確かに、どの作曲家にもロマン派的なところは見出せるのだろうが、私は「優美な旋律」「洗練された和声」「性格的小品」の3点こそ、ロマン派音楽最大の特徴だと思う。
こうした特徴を顕著に感じられるのが、夜想曲のピアノ小品群だ。「夜想曲」は、アイルランドの作曲家ジョン・フィールドの着想をもとにショパンが確立したピアノによる抒情的な性格的小品だ。ショパンとフォーレの作品は特に完成度が高いため、ここで紹介したい。
まず、エレーヌ・グリモーが演奏するショパンの「夜想曲第19番」だ。
この曲はショパンの生前には出版されていなかったため、作品番号72番の遺作とされているが、実際にはショパンが17歳の時に作曲された初期の作品だ。
第1部では、波のような左手の伴奏にバッハの対位法を感じさせる旋律が織り重なり、20小節目から22小節目(01:17〜01:28)にかけては、「影が光に絶えず移り変わってゆく(ジャンケレヴィッチ)」ように短調から長調へ転調する。第2部の23小節目から(01:29〜)は3度和音や半音階技法が使われ、ロマン派らしい曲調になっていく。このあたりの数小節間はこの曲の白眉であり、ショパンがもたらしたロマン派音楽の薄明とも言えるだろう。
従来の演奏では残響を排除してしまうところだが、グリモーのこの演奏はその残響を上手く活かしている。ロマン派の楽曲は演奏家の弾き方と録音の質によって聴こえ方が大きく変わるため、根気強く聴き比べをする必要があるのだが、良い音源を見つけた時の喜びは格別だ。
アリーヌ・ピブルが演奏するフォーレの「夜想曲5番」も素晴らしい音源だ。
フォーレの夜想曲は13番まであるのだが、特に5番と6番、13番の完成度が高い。グリモーと同じフランス人のアリーヌ・ピブルは、パリの音楽博物館にあったガヴォーのピアノでフォーレの没後100周年を記念してこのアルバムをドルビーアトモスで録音した。重みと透明感があるこのピアノはフォーレの曲想によく合っており、収録されている夜想曲や舟歌は雨の日の午後にぴったりだ。
壮大な交響曲や叙事詩的な歌曲は式典や劇場で聴けば貴重な体験になるが、日常的に聴くにはやや仰々しい。一方、ロマン派の小品群は日々の生活にもよく馴染み、彩りを加えてくれるものにもなる。とりわけショパンやフォーレの夜想曲は、ジャンケレヴィッチが言うように「聴く耳を持った人には、ひそやかに語りかけてくれる」「たそがれ時の光であり、また、夜が暁になる時の漠然とした光」でもあるのだ。
